アンラッキーな菜々
清瀬 六朗
第1話 わたしを絶句させる菜々
「なっ……」
わたしは一瞬絶句した。
「……なななななな、
「絶句」からは回復したけど、声が
「本気? だって、音楽の部活はもうやらないって……」
「もう!」
ボケ菜々が言い返す。迷惑そうに。
「いくらわたしが菜々だからって、「な」を七回も繰り返すことないじゃない?」
「そういう問題じゃないでしょが、ボケ菜々っ!」
それに「菜々」という名まえまで含めると「なっ」から「菜々」まで「な」を九回繰り返しているのだが。
そんなことはどうでもよく!
問題は、この
ボケ菜々とわたしは、同じ中学校マーチングバンド部でいっしょだったのだが。
「んもぅ」
ボケ菜々の迷惑そうな言いかたが続く。
「わたしといっしょにやるのがいやなの?
責めるように。
「いや」
あ。
ここは「うん、いやだ」の一言が正しかったのだろうか?
でも、それは違う。
菜々といっしょにマーチングバンドで演奏してマーチングして。
それが、二年と何か月か、夏三回分、できる。それは嬉しい。
とても嬉しい
だから、言う。
「嬉しいよ。そりゃさぁ」
やっぱり、ちょっと口ごもる。
「今度こそ、ボケ菜々がリーダーのマーチングバンド部で演奏したいとわたしは思ってるんだから」
あ。
今度は、正直なことを言い過ぎた。
ボケ菜々の過去の傷に触れてしまったかも知れない。
このボケ菜々は、ボケ菜々のくせに、中学校マーチングバンド部で部長候補だった。
クラリネットが上手だった、という以上に、だれにもツッコまない徹底したボケぶりが愛されたからだろう。
ところが、そこに、マーチングバンド部の顧問に敵意を持っている音楽教師の横やりが入った。
その教師は、マーチングバンド部の生徒にわざと悪い点数をつけていた。もちろん菜々も狙い撃ちされた。そして、菜々に
「音楽の成績がこんなに悪いのに部長なんか務まるはずがありません」
と圧力をかけたのだ。
もし部長になればその音楽教師にいじめられるのは必至だった。だから、わたしも菜々に立候補しないように言った。
その結果、菜々は部長選挙に立候補しなかった。
さらにその結果、中学校三年生の一年間、マーチングバンド部の活動は停滞した。
横やりを入れた音楽教師のお気に入りの子が部長になったのだが、部をまとめきれなかったから。
菜々ならば、それは菜々だけに
菜々にはそれが重苦しい思い出になっている。
やっぱりボケ菜々としては触れてほしくないところだったらしい。
さらにいやそうに眉を寄せて、恨めしそうにわたしを見るボケ菜々!
「そのことはもういいよぉ」
続けて、言う。
「だいたい、愛桜。愛桜が先に高校のバンドに入ってたんじゃん?」
「まあ」
それは……。
「やっぱり、中途半端でやめたくなかったから」
「だったら、わたしだって中途半端でやめたくないよ」
不服そうに言う。
いや。
わたしが高校マーチングバンド部に入ると告げたとき、このボケ菜々は、しばらく悩んでから
「音楽の部活はもういいや。だからマーチングバンド部にも入らない」
と言って、入部しなかったのだ。
ボケ菜々だから忘れている、なんてことはない。
「ボケ」であっても、こういうところではボケはやらない。それはしっかり覚えているだろう。
その「もういいや」の発言から、ほぼ一か月半……。
ボケであっても無節操ではない菜々は、なぜか、その決心を変えたのだ。
それはなぜか?
訊くと、話がややこしい迷路に迷い込みそうだ。
そこで別のところを突いてみる。
「しかも、トランペットで入るっていうんでしょ?」
菜々は中学校ではクラリネットだった。同じ管楽器でも、クラリネットは木管、トランペットは金管で、吹きかたが基本から違う。
「菜々ってトランペット吹けるの?」
菜々が揺るぎない自信を見せて、答える。
「吹けるわけないよぉ」
いや。
そんな自信たっぷりに言われても。
ボケ菜々の反論。
「でも、そんなこと言ったら、愛桜だって、チューバでしょ? 中学校のときバスクラリネットだったじゃん?」
菜々が「じゃん」と言うときの「ん」の声の高さがとてもキュート!
いや、そんなのじゃなく!
ボケ担当菜々としては珍しいツッコミだ。
でも、これは余裕で返せる。
「わたしはいいのよ」
とても柔らかく言う。
最大限に見下して。
とてもあたりまえのことのように。
「わたしは才能あるから」
さあ、どう来るか?
「そんなことないよね」
とてもまじめに、ボケ菜々は言った!
何?
ボケ菜々が……。
ボケ菜々が、わたしの才能を否定した!
二人の仲が最悪だったときにも、ボケ菜々はそんなことはしなかったのに!
そんなわたしの小さなショックには関係なく。
「愛桜は、努力したんだよね?」
確認するように、ボケ菜々は言う。
「努力したから、チューバも巧くなったんだよね?」
そして、わたしの返事も確かめないで、その眉をきりっとさせる。
続ける。
「じゃあ、わたしもトランペット、がんばる。努力する。愛桜と才能の差があるのはわかるよ。だから、努力してどれだけ身につくかはやっぱり才能の差だけど、でも、愛桜の二倍三倍がんばって、トランペット、身につけるよ。人の足を引っぱらないくらいには上達するよ!」
「あ、ああ」
圧倒的な菜々の熱気に押されて、わたしはそのときには心にもないことを言ってしまった。
「それは、わたしだって、それは、菜々とおんなじバンドで吹きたいから、その」
ここで切っておけばまだよかったのだが。
その先まで言ってしまった。
「だから、菜々ががんばるのは、わたしも、それは、嬉しいけど」
「ありがとう愛桜っ!」
眉をきりっと真剣な表情をしていた菜々は、一転して、最高の笑顔を見せてくれた。
「がんばるよ! 愛桜が嬉しいと思ってくれてるんだもん。がんばるよ、わたし!」
こちらの体が砂糖細工になってそのままとろけてしまうような、そんな笑顔を。
*「七転八倒」の標準的な読みは「しちてんばっとう」です。
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