悪運も運の内 Bad Lack Boys

大黒天半太

悪運なんか怖くない

 悪運とか凶運というものがあるとして、運から見離された私には、そもそもあまり関係はない。一緒に行動する仲間たちにとっては、傍迷惑はためいわくかもしれないが。


 悪運とは、たちの悪い旧友のようなもので、散々な目に遭い、離れたり避けたりはするものの、いつのまにか、また性懲りもなく、近くにいるものなのだ。


 幸運が来れば来る程、その反動の不運は大きくなる。


 本当に運のついてる奴ってのは、一緒に来る不運の影響を最小限にして、ささやかな幸運を噛みしめさせてくれるものだが、逆にどこまでもついてない奴は、常に収支がマイナスで、小さな幸運を喜ぼうとした瞬間に、予期せぬ落とし穴が口を開けて待っているものなのだ。


 冒険者ジークことジークベルト・ベルナウアーの人生は、まさにそんな感じだった。


 ついてない奴の中では、比較的によく運に助けられる方。収支はトントン、というところか。

 ついてはいないが、最悪の事態は回避できていた。その意味では、幸運だったと言えないこともない。


 だが、不運も怖がらないし、幸運も忌避しない。ただ、あるがまま受け入れ、運命を享受する。幸運の反動? 油断のジンクス? そんなものは、犬にでも食わせてしまえ。


 ラッキー7のサインが行動の端々に現れる。そう、俺達7人はラッキーなのだ。

 これだけ不運に見舞われ、冒険者という危険と隣り合わせの仕事についていても、まだ、誰一人欠けていない。

 まだ、冒険続行不能にも、陥っていない。


 地下迷宮ダンジョンから帰還しさえすれば、再度仕切り直せる。そう、何度でも。そういう、生死ぎりぎりの世界を、我々は選んだのだ。


 集団戦闘も、知恵ある行動も、一定のレベルを越えたら立ち向かわないといけないとは言え、魔物ゴブリンでも、人型や何かしらの言語で会話している風なのは、まるで人、ヒューマンやデミヒューマンを相手にしているようで、いつまでたっても思いがそれに囚われると、腰がひける時もある。


 いや、状況によっては、ヒューマンやデミヒューマンが相手になることもある。密偵スパイや盗賊は、どこからでも現れるから。それは、この稼業を続ける以上、割り切らなければいけないことでもある。


 死中に活を求めなければ、生き残れない。

 それは紛れもなく、誰の命を選ぶのかという選択であり、幸運に恵まれなければ選択肢すら与えられないのだ。

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