婚約破棄するなんて言わないでください!

カウベリー

婚約破棄するなんて言わないでください!

 「い、今何と仰ったのですか?」

 学園の新入生歓迎パーティーで我が婚約者は驚くようなことを言い出した。周りの人たちも皆ざわついて事の成り行きを見守っている。ただ一人、隣国から来た留学生の王女だけはにやにやとこちらを見て笑っていた。

「ヴィクトリア、君との婚約を破棄したいと言ったんだ」

「その言葉の意味が分かっているのですか!?」

 途端に会場内に悲鳴が上がった。私のではなく、誰かの。慌てて周りを見渡せば泣きそうになっている子もいるし、今にも倒れそうなほど青ざめている子もいる。先ほどまで笑っていた留学生様は何が起きているのか分からない様子で目を見開いていた。多分、あの人が原因だな。

「……さ」

「さ?」

「作戦会議を要求します!」

 私がそう言うと婚約者――ヘルムート公爵は少し考えてから頷いた。



「あぁ……もうおしまいです……」

「ブラック、落ち着いて。まだ間に合うから」

「あの……なんですの? この異様な雰囲気は」

 私は、ヘルムート公爵の従者のブラック、隣国からの留学生アンリエッタ王女を集めて頭を突きつけ小声で会話していた。ブラックは既に泣きそうだし、ヘレンはそんなブラックに怒り心頭だし、王女は戸惑っている。けれども今の状況をどうにかするにはこの三人で知恵を絞りだすしかないのだ。

「アンリエッタ王女、時間が無いので単刀直入に言います。ヘルムート公爵に何と仰いましたか?」

「な……何を言ったって私の勝手でしょう!」

「それがそうも行かないのです。貴女にも色々と思惑があってやったことなのでしょうが……このままだと最悪な事態になります」

「最悪って、大げさねぇ。ただ貴女の家と公爵の家の繋がりが切れるだけでしょう? まあ平民の貴女にとっては大問題でしょうけど」

「そんな些細な問題じゃないんです。単刀直入に言いますと世界が滅びます」

「……は?」

「ブラック、説明を」

「はい……。この国に伝わる勇者伝説をご存じですか?」

「そ、そりゃあ勿論。確か悪いことをしていた魔王を勇者が倒したって話でしょ。それが何よ」

「あの話には国外には伝わっていない続きがあるんです……。魔王は勇者を憎み、ある呪いをかけました。それが百年に一度、勇者の子孫に世界を滅ぼす力を持った子供が生まれるようになるという呪いです。困った勇者は女神アレイスに相談すると、こんなお告げを受けました。『魔王の力の子が生まれると同時にその対となる力を持つ子もまた生まれるであろう。その子らを番いにすれば、災いは逃れられる』」

「ちょっと待って! まさか、ヘルムートさまが魔王の……」

「逆です。私が勇者の子孫。つまり魔王の呪いを受けた子供なのです。彼はその対の力を持つ者、いわば神の子です。私たちが結婚しないとこの世界は破滅します」

「う、嘘でしょ? 皆私を騙そうとしてるのね」

「周りの生徒たちの錯乱ぶりを見てもそう言えますか」

 アンリエッタ王女がちらりと周りを盗み見る。泣いている者、こちらを縋るような目で見る者、死んだ魚のような目をしている者、遺書を書きだしている者、恋人と最後の語らいをしている者、実に様々な世界滅亡を前にした人間たちの姿があった。実に惨い様相である。

「お二人が婚約関係にあることで我が国、しいてはこの世界の平和につながっているのです……。それが、それが……婚約破棄をしたいだなんて! もうおしまいだぁ!」

「気をしっかり保ってブラック! そういう訳だからアンリエッタ王女、貴女がヘルムート様とどのような会話をして何故婚約破棄をするに至ったのかを知りたいのです!」

「ももも、勿論! 勿論教えますわよ! こんなことになるなんて思ってなかったのよ! ……でも、話したことなんてそう大したことじゃないわ。ただ『婚約者ってどんな感じなのですか』って貴女について聞いただけ。まあ、ことあるごとに貴方の事を貶したけど」

「大した内容じゃないですか……」

「もしかしてそれでヘルムート様が嫌になって婚約破棄しようとしたとか……?」

「そ、それは無いと思います……。ヘルムート様はヴィクトリア様の事をものすっ………………ごくお好きなんです。僕はお二人の仲を見てこの世は安泰だって思ってましたし」

「今ものすごく言葉をためたわね」

「じゃあ何なんだ……? 何か世界を滅ぼしたいほど嫌な出来事でもあったのか……?」

「とりあえずヘルムート様本人に聞いてみなさいよ。婚約者だしそれくらいは許されるでしょう?」

「確かにそうですね」

 私は顔を上げてヘルムートの方を見る。すると目が合ってニコリと微笑んできたので私も同じく微笑んで返しておいた。

「話は終わったかな?」

「ええ、まあはい。あの、どうしてヘルムート様は婚約破棄をしようと思ったのですか?」

 内心手を揉みながら機嫌を損ねないように恐る恐る聞く。すると彼はなんてことないようにこう言った。

「君と一緒になりたいから」

「……えーと、すいません。婚約破棄をするとむしろ永遠に離れ離れになってしまうような気がするのですが……」

「それは違うよヴィクトリア。確かに婚約破棄をすると法の上では僕たちは他人になってしまう。でも、その後は世界が壊れるまでずっと一緒に居ればいいんだよ。僕たち特別な力を持ってると言っても人間なんだ。もしかしたら何か事故で片方が死んだり、最悪殺されるかもしれない。そうなったら僕は耐えられない。君がいない世界なんて何の意味もないし価値もない。だからそうなる前に君の手で世界を終わらせてほしいんだ。他の誰でもない、君の手で。勿論死ぬときは一緒だよ。そうして僕たちの魂は永遠に一緒になれるんだ。確かに婚約っていう言葉の響きはいいけれど、それ以上にこの世界は懸念事項が多すぎる。そもそも君に対して妙な考えを持ってる人間が多すぎるんだよ。平民がどうのこうのとか僕の事を憐れんでくるやつとか……君の美しさを知らない人間が多すぎる。特に外の国の奴らは僕に婚約者がいることを知っていて平気で見合い話を持ち掛けてくるし、挙句の果てには外面を取り繕っただけの女をヴィクトリアよりも美しいとか抜かしてくる……そんな奴らには一回君がどういう存在かを身をもって分からせる必要があるんだよね。あ、勿論、ヴィクトリアが恐ろしいってことじゃないよ! ただ君がどんなに凄い力を持っているのか、そしてその力を私利私欲に使わない素晴らしい人だってことを知らしめてやりたいんだよ。そうすれば君が軽んじられることも無いだろう? まあその前に全員死ぬかもしれないけどね。ハハハ。えーっと、つまり僕が君と婚約破棄をするのは、万が一離れ離れにならないようにいっそのこと二人で一緒に終わらせようってことかな。何だか色々喋っちゃったけど、この説明で分かったかな」

「……あ、はい、そうですね……。あの、もう一回会議していいですか?」

「重大な決断だもんね。彼らと話していて建設的な意見が出るかどうか知らないけどゆっくり考えて良いよ」

「ありがとうございますぅ……」

 私は再び二人の元に戻る。さっきと同じように頭を突きつけて小声で話し始めた。

「駄目かも」

「駄目かもじゃありませんわよ! 世界の命運は貴女に掛かってるんですのよ!」

「だってあんなヘルムート様見たことないですよ! 何、何ですかあれは、私より魔王っぽいこと言ってますよ!」

「だからさっき言ったじゃないですか。ヘルムート様はヴィクトリア様の事がすっごくお好きだって」

「すっごくの域を超えてない?」 

「というかさっきのヘルムート様の『建設的な意見が出ると思えないけど』っていう言葉にとても棘を感じたのだけれど」

「バリバリ棘刺さってますよ。何ならいまこの瞬間もヴィクトリア様と喋ってるってだけで苛立ってると思います」

「え、ダメじゃない? 私達離れた方が良くない?」

「私一人でヘルムート様と対決しろって言うんですか!?」

「いや、もうこの時点で離れても手遅れです。その前に何とかヘルムート様を正気に戻して婚約破棄の意思を失くしてもらうしかありません」

「……思ったのだけれど、この際婚姻状態でどうやって力とやらを抑えているのかとかは置いといて、婚約破棄ってよっぽどのことが無い限り両者の合意があって初めて成立されるじゃない? だったら貴女が拒否し続ければいいだけじゃないの?」

「それは出来ないんです。その、えっと」

「私から説明するわ。……アンリエッタ王女、伝説を最初に聞いた時思いませんでしたか? 魔王の力を持った子供を殺せば万事解決だって」

「……思わなかった、と言えば嘘になるわ」

「一応国を救った勇者の子孫ということで、基本はその方針は取られていません。ただ、例外はあります。先ほど、どうやって力を抑えているのかと聞かれましたね? 私たちは互いに婚約する時に疑似結婚式のような物をするんです。そして、神の前で愛を誓うと教会の女神像の手にこの指輪が現れます。これが私の力を抑えるいわば鎖なのです。この指輪を両者が嵌めることによって力の封印は行われています。しかしこの指輪は着けている者が死ぬ、あるいは外すと効力がなくなります。つまり、先ほど言った例外とはあるいはと判断された時に呪い子は制御不可能と判断されて処刑されるのです」

「ちょっと待って、それじゃあ神の子が拒否するだけで呪い子は死んでしまうってこと?」

「まあ端的に言えばそうなりますね。ただ神の思し召しかなにか分かりませんが、神の子と呪い子は互いに惹かれ合うんです。例え身分差があっても自身の好みと乖離していても、不思議とその人の事が好きになってしまうんですよ。だから、さっき言ったような前例は殆ど無いんです、が……」

「ヘルムート様の婚約破棄と言うのはつまり指輪を外すってことなんです……。しかも相手が嫌いだからじゃなくて好きだからそうするなんて、聞いたことがありません。勿論、ヴィクトリア様が規則に乗っ取って処刑されそうになったら何がなんでも止めるでしょう……。そうしないとヘルムート様の目的は達成できませんから……」

「話を戻しますね。あの魔王状態のヘルムートを何とか止める方法ですが………………」

「何も思いつかないからって黙ってんじゃないわよ。もう貴女が泣き落としするか色仕掛けで何とかするしかないわ」

「ヘルムート様、先ほどとにかくヴィクトリア様と一緒に居たいってことと、婚約のことに他の方々から口出しされるのがうっとおしいって言ってましたよね。そこら辺のことを踏まえて何とか説得できないでしょうか」

「分かった。とりあえず……何とか話してみる」

 ブラックとアンリエッタにそう告げて、私は覚悟を決めた。

「ヘルムート様! 婚約破棄などおやめください!」

「何故? 君の事が嫌いになったわけじゃない。むしろ僕は」

「私はもっとヘルムート様一緒に居たいのです! 一緒に美味しいものを食べたり湖でボートに乗ったり、そう言うことがしたいのです。それなのに私を化け物にして世界を滅ぼそうとするなんてひどいです……」

 慣れないが必死にしおらしさを出して同情を誘う。目の端でアンリエッタ王女とブラックは酷い出来の演劇でも見ているかのような顔をしているが、ヘルムート様はショックを受けたような顔をしていた。

「ごめんね、君を傷つけるつもりは無かったんだ。そうだよね、いくら気持ちは変わらないと言っても婚約破棄なんて傷つくよね」

「そうです。だから婚約破棄なんてやめて――」

「うん、自分の力でやり遂げることにするよ」

「そうなります!? いや、えーっと、そうではなくて。……そう! そんな暇があったらもっと私に構ってください! 寂しいです!」

「寂しい?」

「そりゃもう! 私の事よりも他の人に意識を向けるなんて寂しいです! ヘルムート様も私が貴方の事を放っておいて他の人と一緒に居たら嫌ですよね? 例え好意が無かろうと!」

「そう、だね。確かにそうだ。……うん、僕が間違っていたよ。君のためを思って、なんて言っておいて寂しい思いをさせたら駄目だよね」

「そう、そうです! 世界を滅ぼす暇なんてあるんだったら私と一緒に居てください!」

 私がそう言った瞬間、ヘルムートはパァッと満面の笑みを浮かべて私の手を両手で握った。

「勿論! 君が辞める時も健やかなるときも富める時も貧しき時も喜びの時も悲しみの時も君と僕の命が続く限り、いや死んでもずぅっと一緒に居よう!」

 頬には朱が差し、目は先ほどまでと違って輝いている。どうやら直近の危機は回避できたらしい。ホッとした途端、足に力が入らなくなり、思わずヘルムート様によりかかってしまう。だが、そんな状態の私を彼は嬉しそうに抱き抱えていた。



 「おはよう。ヴィクトリア」

 パーティー婚約破棄事件から翌日。寮の自室で目覚めると何故かキッチンに制服姿のヘルムート様が居た。念のために言うが、私は彼と一緒に住んでいないし合鍵も渡していない。

「おはようございます。あの、ヘルムート様、何故ここに」

「昨日君が言ってた通り、寂しい思いをさせちゃ駄目だなって思ったから、出来る限り一緒に居ようと思って! あ、勿論ヴィクトリアも恥ずかしいだろうから、お風呂やトイレは別々だし夜には自分の部屋に帰るから、安心してね」

 そういってヘルムートは私に温かい紅茶を渡してくれた。ミルクと角砂糖が二個入った私好みの紅茶を。一口飲むと、程よい甘さと温かさで寝ぼけていた頭がスッキリしてくる。

「……まー、いいか」

「ん、何か言った?」

「いえ、何でもありません。それよりヘルムート様、朝食はいかがなさいますか」

 私は彼の側に立って笑いかける。すると、ヘルムート様も同じように微笑んでくれた。

 ――神の子と呪い子は惹かれ合う。それはとどのつまり私もヘルムート様の事が好きと言うことである。流石に彼ほどの大きな想いではないが、それでもヘルムートが自分の部屋にいきなり現れても許してしまうくらいには好いているのである。

「ヘルムート様、もう二度と婚約破棄だなんて言わないでくださいね」

 もし、私の事が嫌いになって今度こそ本当に別れようなんて言われたら、自分でもどうなっちゃうか分かりませんから。

 私がぽつりとそう呟くと、彼は一瞬息を呑んだ後大きく大きくため息をついた。不味い、流石に重かったか、今の言葉は。

「もう二度と言わない。絶対言わない。君に誓って約束する」

 顔を真っ赤にしながら、でも私の目を見つめてヘルムートはしっかりと言い切った。その様子に何だか急に自分の言ったことが恥ずかしくなってきて私も顔が熱くなってくる。

 結局、私達はその後登校するまで林檎のように顔を真っ赤にしたままだったのであった。

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