人間のわたしを、殺さないで。 ~加害者少女は犬になる~

柳なつき

最大同時接続数、一万人を超えた夜

 ついている、かもしれない。うまくいく、かもしれない。

 そう思ったときに、ことごとく裏切られてきた。


「……わん、わん、わんわん」


 衣服をまとわず、首輪と両手のミトンだけつけて。

 犬になったわたしは泣きながら、きょうくんの膝にすがりついている。


 必死に……こんなに必死にお願いしているのに……ソファに座る恭くんは、強くなってしまった彼は、わたしがどんなに泣いても、微動だにしなかった。


 やっぱり、今日は不吉な日だった。

 ラッキーセブンなんて、ふざけてる、……死んでしまえばいいのに。


 無駄なことばっかり覚えている。

 お兄ちゃんに命令されて、恭くんをさらった日も。恭くんに、犬になれと命じられた日も。

 朝のニュースの、わたしの占いは大吉だった。


 占いなんて見るのをやめればいい。

 それなのに、ふと占いを見てしまう。なにかに縋るかのように。

 

 今朝も、わたしの誕生月占いは大吉で。なにもかもが、うまくいく日なんだそう。ラッキーナンバーは、7。なんとラッキーセブンの7だ。

 すごくすごくすごく、運が良いんだって。奇跡的なほど。

 このチャンスをどう生かすかは、あなた次第! なんだって。


 奇跡なんて、何度も起こるようなものでもなくて。

 だから、逆に今日はわたしの人生にとって記念に残るほど最悪な日なのかもしれなくて――。

 夜の動画配信で、なにかやらかすかもしれないと、落ち着かなかった。


 今夜は、動画のライブ配信中。配信用の可愛い服、可愛い背景で、いろんなことをお話しする。

 万近いひとたちが、わたしの配信を見に来てくれていた。


 話が膨らみそうなコメントを、拾っていく。


『前、雑誌のプロフィールで見ました。咲花えみかちゃんは、7が好きなんですよね?』

「そうなのー! 7って、ラッキーセブンって言うでしょ? 縁起もいいし、ハッピーになれそう! わたし、いつも7からパワーをもらってるんだ!」


 わたしは明るく答える。


『咲花ちゃんのポジティブなところ、大好き!』

『私も7が好きになりました』

『ハッピーになれるよね!』


 コメントが、あふれる。

 わたしは、しゃべり続ける。


「今朝の占い、大吉だったんだ。しかもラッキーナンバーは7! わたしの大好きな7だよ! みんなは占いって信じる? わたしはね……」


 しゃべって、しゃべり続けて、……しゃべり続ける。


 動画配信中――最大同時接続数が万の単位を示したのを、わたしは、確かに見た。


 時が来て、動画配信が終わった。

 わたしはとびきりの笑顔をつくって、たくさんのリスナーさんに向けて手を振る。


「今日もお話できて楽しかったな! なんと今日は……初めて、最大同時接続数が一万人を超えていました! こんなに多くのみんなに見てもらえて、とっても嬉しいです! みんな本当に、ありがとう、ありがとう!」


 本当に嬉しい。

 すごい、すごいよって、自分を褒めてあげたい。

 こつこつと続けて……ついに、ここまできた。


 配信を終了する。

 機材がすべてきちんとオフになっていることを、三回は確認した。

 そして、今の配信の録画をアップロードする。


 わたしの場合、モデルの仕事は事務所と契約しているけれど、動画配信は個人でやっているのでここで今日の配信は終わりだ。事務所との打ち合わせなんかもない。

 自由な事務所なのだと思う。男女交際も許可が出るし。動画配信にも許可をもらっている。


 黒い画面に反射するわたしの顔は、さきほどの明るい「咲花」と違って、ぐったりとして暗かった。


 ここまでは。……ここまでは、いい。

 今日という一日は……うまくいった。

 すごく、うまくいった。同時視聴者数、一万人を達成して――。


 五月。ゴールデンウィークが終わって、大学の授業も少しずつ本格的になってきて。だけどどうにか授業にはついていけているし。

 仕事のほうも、問題ない。

 今日も当たり障りなく、一日を過ごした――。


 あとは。お兄ちゃんたちからの呼び出しがないことを、願うだけ。

 あるいは、恭くんがわたしに優しくしてくれることを……祈るだけ。


 配信のために与えてもらった部屋から、わたしは、おそるおそるリビングに戻った。

 恭くんは、デスクに向かって勉強をしていた。


 最近の恭くんは、大学の勉強以外にも、すごくたくさん勉強している。それだけじゃない。ランニングや筋トレも始めて、頑張り続けている。

デスクには、刑法とか少年法とか人体の仕組みとか、様々な分野の本が積み上げられていた。


「恭くん、配信、終わったよ……」

「お疲れ様。今日は時雨たちからの連絡はない。支度してきて」


 恭くんは、言う。

 それは、命令。


「……はい」


 お兄ちゃんたちからの連絡がなかったのは、安堵したけれど……。

 でも。結局。わたしが犬になることは。……変わらない。


 わたしは廊下に出て、服をすべて脱いで洗濯機に入れる。……もう、今夜はこれから服を着ない。

 身体に残るのは、恭くんが首輪と呼ぶチョーカーだけ。

 五月だけれど、裸だとひんやりと冷たい。


「んっ……」


 裸になって、両手を床について、膝を突き出すように。犬のおすわりの体勢を取るとき。いまだに、――羞恥心なんかが働く。

 もう、死んでしまっていいのに。羞恥心なんか。……羞恥心なんか。

 

 ……すこしのあいだ、ぼんやりしてしまった。

 すぐに行かないと……怒られるのに……。


 たった数分前には、わたしは多くのひとたちに向けて動画配信をしていた。

 モデルで動画配信者の、咲花だった。


 モデルで動画配信者のわたし。恭くんの、飼い犬のわたし。

 最近では、どちらが本当の自分なのか――わからなくなってきている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る