第47話 想像は現実を超える
のちに移住するこの島に初めて旅行で来たとき、道を渡ろうとしていたら、信号も横断歩道もない道で車が止まった。荷台にサーフボードを積んだ軽トラックだった。交通戦争と言われた昭和40年代に小学生だった私は、祖母から止まってくれた車でも運転手さんの顔をちゃんと見てから渡るんだよ、と百回くらい言われていたので、運転席に目をやった。
カーキ色のシャツに野球帽のお兄さんだった。ニィと笑って、私たちに道を渡るよう手の平をスゥと横に流した。わぁ止まってくれるんだと感激、会釈をして渡った。これも移住へと背中をトンと押されたひとつだったが、今回、書きたいのは移住の話ではない。お兄さんが手に持っていたもの、つまり食べながら運転していたのは魚肉ソーセージだった。オレンジ色のビニールが風にヒラヒラと揺れ、桃色の魚肉のかじった跡もはっきりと見えた。
いまや、めったに車は止まってくれない。思うに観光客には優しいのだ。お客さんはすぐわかる。靴とカバンが輝いている。島民はたいていが安全靴かぎょさん。カバンは買い物袋しか持っていない。だが、魚肉ソーセージはいまも健在だ。よく食べながら運転している。まさに島のファーストフードなのだ。島には何もない。マックもケンタも宅配ピザもコンビニもない。
だからいまも夢にみる。何の夢かって書くのも恥ずかしいが、ポテトやハンバーグ、フライドチキンを食べる夢である。青い空にぽっかり浮かぶ白い雲を見てあの形はムネ肉のチキン、あっちはモモ…なんて考える。冷凍の角切りポテトを揚げて、丸パンに切れ目を入れてケチャップをかけたハンバーグをはさんで食べるのだが、なんか寂しい。でも何もないのでマヨネーズを足してみる。
上京したら、ここも行こうあそこも行こうと話が盛り上がる。グルメ番組に出てくる老舗の店や最近の人気店もしっかりメモを取って、いざ!と出掛けて行くのだが、ファーストフードとファミレス、コンビニでもう満足してしまう。コンビニの品揃えに驚いていたら、スーパーはお惣菜がずらっと並び、お豆腐だけでも何列も棚を埋める品数に目をみはる。
夢にまでみたケンタッキーフライドチキンにいそいそと出掛けて行く。何を注文するかは頭のなかでシュミレーション済みなので、いつになく早口流暢に話せる。満面の笑みでトレイを運び、そそくさと席に座る。うん、おいしい、とうとう来たね…と夫に笑いかける。だが、ふと思う。こんな味だったけ、もっとおいしかったと思ったんだけど…。
いや充分においしい、おいしいのだけど、何かが違う、違うような気がする。欲には限りがないのか、思い出のあのころから自分自身や自分を取り巻く状況が変わってしまったのか、何かが違うのだ。思い出の味、頭のなかで何度も思い返して思い描いた想像の味は現実をはるかに超える。
最後の晩餐に何を食べたい?と聞かれたら、実際には気取って違うことを答えるかも知れないが、本当は子どものころに食べた大根の葉のお茶漬けが食べたい。祖母は大きな木樽と漬物石でぬか漬けを作っていた。大根、きゅうり、なすが定番だが、私は少し漬かりすぎた大根の葉っぱを細かく切ってご飯に乗せ、緑茶をかけて食べるのが好きだった。
これこそは再現できないであろう。SFの世界じゃないととても無理だろうが、仮りに成分とか分析して完璧に同じものを再現できたとしても、きっと私は何かが違う、これじゃないと言うだろう。友達と遊びにも行かず、ずっと家にいる私のそばにいてくれた祖母、花柄のポットと朱泥の急須があった昭和の暮らし。その思い出が加味された味は現実をはるかに超えていく。
おいしかったなぁ…あのお茶漬け。もう二度と食べられない。
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