高校生の日常、三人の非日常

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プロローグ 昔の記憶

①登山道

 最高の親友と最高の景色が見たい。

 頭の中で呟いた。

 さきほどから何度その言葉を反芻しているだろう。

 上里つかさを動かす原動力は、大半がその言葉のおかげだった。

「なぁ上里。マジで今から頂上を目指すのかよ」

 後ろでは友人の一瀬が弱音を吐いている。

 それでもこの冒険をここで止めるつもりはなかった。

「文句を言うくらいならキリキリ足を動かしてけ。畑のストレスが溜まるだけだぞ~」

「いや、おれはもう十分お前にムカついてるぞ」

 最後尾で冷静に返すのは同じく友人の畑。

 上里を先頭にした小学六年生三人組は、散歩気分で登山に挑戦していた。



 三階建て以上の建物などない、畑と田んぼが広がる田舎に三人は暮らしていた。家を飛び出してほどなく歩けば林と森が連なり、動物園に住んでいると言っていいくらいに、日常の中には自然が溢れていた。

 それは山でも変わらない。

 上里に急に誘われたとは言え、予定のなかった一瀬と畑は、文句を言いながらも登山に付き合ってくれていた。

 ちらりと後ろを振り返る上里。

 まだまだ中腹なのに、年の割に体の小さい一瀬は、すでに肩を上下させていた。

「一瀬はもっと運動すればいいんだよ。そうすりゃもっと色んなところに行けるぜ」

「こんな田舎じゃ、やれることなんて限られてるだろ。いずれおれは都会の学校に行って、運動も勉強も今より頑張るつもりだ」

「おれは家でテレビでも見ていればいいかな」

 畑は二人の仲を取り持つお兄さんのように、差し当たりのないことばかり呟いている。

 一歩でも踏み場を間違えれば、すぐ脇には崖が広がっている。下手をすれば命を落とすだろう。

 それなのに目を輝かせた上里は、段々と自分たちの村が遠くなっていくのを目にし、心臓の鼓動を早くさせていった。

「いや~ワクワクするね。山頂から拝む夕日は絶景だぜ。マジックアワーって言うらしいんだ。図書室の本に書いてあった。川下りや洞窟の探検よりも、何千倍何万倍、すげーものが待ってるはずだ」

「すげーもの……なぁ」

「まあ、せめてこんな遅くじゃなきゃ、もっと気楽に付き合ってたんだけどな」

「大丈夫。パッと行ってパッと帰るだけだから。別に手ぶらでも良かったのに」

「念のためだ」

 畑は懐中電灯を持参して、問題なく動作するのかを確認していた。

 というのも、山や森から溢れ出る動物たちの騒めきも大人しくなっており、太陽はもうじき地平線に接しようとしている。だが、上里からしてみれば、それだけの余裕があれば、夜になる前にすべては済む予定だった。

 三人はなおも足を運び続ける。

 今頃三人の親がそれぞれ心配しているだろうがそれも日常茶飯事のこと。

 三人の格好は、衣服の所々が擦り切れたり汚れたりしている。

 日頃から無茶なことをしているのはありありとわかるくらいだ。

「きっと感動するって。おれたち三人でできなかったことは今までなかったろ」

 一瀬も畑もそれに返答するだけの気力はなかったようだが、沈黙は肯定の意味を表していた。たかだか小学校六年間を共にしただけ。だが少年たちにとっては一生の半分に値する時間で、その絆は第三者には測れないのである。

 しかしながら、そこに有無を言わせぬブレーキが掛かった。

「――あ」

「どうした……上里?」

「やっぱりな。嫌な予感はしてたんだよ。下には看板があったっていうのに……」

 三人は同時に足を止める。

 そこまで大きいというわけではない。

 だがその姿はどす黒く、まるでこの世のものとは思えない様相を呈していた。

 少なくとも少年たちの人生(リアル)にこんな生き物は登場していない。

 こちらを威嚇しているのはそう――クマである。

「まっじかよ……そこに居られると上に行けないんだよな……。このままじゃタイミング逃しちまうだろうが」

「呑気なこと言ってる場合かよ」

「親父が言ってたぞ。クマは大人でも平気で殺せる生き物だって」

 殺せる。

 畑の言うことを要約すれば、このままでは自分たちが死に至る可能性があるということだ。三人と言えど、子供だけで太刀打ちできる相手ではない。

「逃げるって言うのか? せっかくここまで来たのによ!」

「馬鹿、大声出すなよ。刺激したらどうすんだ?」

 一瀬が制すと、上里は虚構を見つめて、壊れたスピーカーのように呟き始める。

 その光景を二人は幾度となく目にしていたはずだった。

「……うん、うん、うん……なるほど、なるほど……ははぁん、あは……そうだよな」

「おい上里、聞いてるのか?」

 畑が問うと、上里は奇妙なくらいに口を横に伸ばした。

 危機的状況なことは理解しているのに、まるで正反対の行動を取る。

「おれの中の神様が言ってるわ。『立ち向かえ』って……そう言ってる」

「正気かよ?」

「そうだよ。邪魔なんかさせるかってんだ。あんなのおれがぶっ倒してやらぁ!」

「おい、よせ上里!」

 大きく息を吸い込み、山中の動物がざわつかんばかりに叫ぶ。

「おらこいよ! クマがなんだってんだ! そこをどかねぇなら、こっちこそオマエを殺してやんぞ!」

 一ミリたりとも虚勢ではない。上里は本心から立ち向かおうとしていた。

 一瀬と畑の制止は意味を成さなかった。

 クマが明らかに良くない唸り方をしているのに、その場を離れようとしない。

「……来いよ」

 箍が外れる。

 クマは四本の足で地面を強く蹴ったかと思うと、一気に加速し突進を仕掛けてきた。

 このままでは上里が死んでしまう。

 その場に居合わせた誰もがそう思ったはずだ。

「上里ィ!」

 一瀬は、衝動的にクマに体当たりをしていた。

 一瞬の出来事に上里も畑も反応が追いつかない。

「……え?」

「一瀬!」

 そうして勢いに流された二者は、もみ合うように崖を滑落していった。

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