14 深海の世界へ

“20XX年3月17日木曜日”


 7:20、ハルが起床したとき、列車はブリスゴー駅に停車していた。

 昨晩のグランフェルのシードームを出ると、ひたすらに下り、ここは海面下約4000mの深海である。とはいえ、シードームの効果により、周囲は明るく地上と変わらない朝の風景が見られる。

 ハルは、ベッドから起きると、支度をしてメタ・エントランスへと向かった。

「おはよう」

「おはよう、ハル」

 メタ・エントランスにはアキがいて、既にパソコンに向かい仕事をしていた。

「早いね。もう仕事してるんだ」

「ううん、やっているように見えるだけ。ほんとはネット見てただけよ」

 アキは苦笑しながらパソコンを閉じると、立ち上がった。

「コーヒー飲む?」

「うん」

 2人はそのままダイニングルームへと向かった。


 7:35、1時間以上停車していたブリスゴー駅を発車した。もっとも、メタ空間内では体感ではわからず、モニターで見て判明しただけである。

 ハルはコーヒーと朝食のマフィンを食べながら、前方の映像を映すモニターを見ていた。列車はブリスゴーのシードーム内の高架線を走っている。何となく、先日“リサ・バード急行”で行ったルクスシエルの街並みに似ていた。

 それにしても、やっぱりこの朝の静かな雰囲気は良い。メタ空間内でも、外の世界でも、これから何かが始まる予感のする朝の雰囲気は、最高の気分になれた。


 7:54、ハルが運転室に向かうと、リンガイル駅に到着するところだった。

「おはよ。リンガイルはあまり止まらないから降りないでね」

「えっ」

「アキに聞いたよ〜。昨日留守番させて散歩してたんでしょ」

「まあ、そうだけど」

「お土産にココア買って」

 そう言われて、ハルは何だか恥ずかしくなってきた。

「別にいいだろ、アキがいいよって言ってくれたんだから」

「えー、私悪いなんて一言も言ってないよ」

「む…」

 ついムキになってしまった自分が、なおさら恥ずかしくなってしまって、それ以上に何も言えなかった。女性との会話はいつまでも慣れないものだった。


 7:56、ブレーキを軋ませリンガイル駅に到着した。発車は8:05、10分間の停車だ。

 ナツとの交代は8時ちょうどだが、そこまで厳密に守らなくていいため、到着後の作業が終わるとすぐに交代した。

「じゃあ、ここまで異常なし」

「了解。おつかれさま」

「ふぅー、じゃあ駅のカフェでココアでも買ってこようかな」

「えっ。そんな時間ないよ」

「冗談。じゃあね」

 そう言うとナツはメタ空間に去っていった。ナツの後ろ姿を見ながら、ハルは顔を赤らめた。ナツとアキの女同士の会話を聞いたことはないが、自分のことを話されていると思うと、それはそれで恥ずかしい感じがした。


 8:05、定刻にリンガイル駅を発車した。発車後、少し走るとシーチューブに突入した。ここからは約9時間、今回で最長のシーチューブで、さらに次のシードームはゴルである。ハルは無意識に肩に力が入った。

 シーチューブの内部は薄暗かった。シードームは人々が主に生活をする場所だから、太陽光を極限まで集め明るくしているが、シーチューブはそこまで明るくはならない。とはいえ、本当の深海なら200mで既に暗闇に包まれているのに、この4000mでも薄らと視界がある点で十分明るいと言えるだろう。

 行きの乗務では、深海4000mの景色はどうだろうと少しは楽しみだったが、帰りはそうでもない。

 何もないからだ。

 深海4000mはほとんどが平原である。ここは地上や浅い層にある粘土や砂、またはプランクトンなど生物の遺骸が海洋地殻の上に溜まり、ここまで広い大平原になっているのだ。深海大平原と呼ばれるほど広いその場所は、静かで沈黙の世界である。シーチューブから眺める深海平原は、ただひたすらに広く、何もない、無の世界だった。


 何も無いといいつつも、時折、海底火山が見られる。地面が隆起しているその場所の頂点からは、黒煙や白煙が上がっていた。

 海底火山が噴出するのは、豊富な生態系を作り上げる栄養素だ。日の光も届かない深海で、火山が生み出す栄養素は、命を繋ぐ重要な要素になっている。まさに生命の母という存在だった。

 地上の世界と違い、周囲に何も無い海底では、その姿をはっきりと見ることができる。美しくそびえる山の姿を見て、ハルは自然の力を感じた。

 それと同時に、人間の無力さも感じた。この星の人類が海底に追いやられたのは、温暖化により極地の氷が溶け、水没してしまったからだ、というのが通説だが、一方では、巨大な海底火山の活動が活発化し、それが海水温を温めて温暖化した、という説もある。

 どちらの説が真実なのかはわからない。ただ一つ言えることは、圧倒的な自然の力を前に人類は無力なのであって、一度でもその流れを乱してしまうと、二度と元には戻らないということだった。

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