14 リサ・バード記念館駅
8:30、ハルは再び運転席に座った。ここからの1時間半が、今回最後のシフトだ。朝食を食べた時にアキに淹れて貰ったコーヒーを飲みながら、気を抜かずに仕事をしようと自分を奮い立たせる。
どうしても、仕事の終わりが見えてくると気が緩んでしまう。乗客の命を預かる鉄道の仕事に気の緩みは御法度なのだが、人間の性には逆らえないのだろうか。
とはいえ、列車は順調に走行していた。ここまで順調ならば、多少はのんびりしててもいいんじゃないかと思ってしまう。その考え自体がダメなのだが、だからと言って常に神経を尖らせ、トラブルがあった時にそれが弾け何も出来なくなるよりかは、ある程度余裕を持たせた方が上手くいくのも事実だった。
要は列車の乗務員、特にタートル鉄道の乗務員には、普段は自動運転に任せ余裕を持ち、トラブルがあった時に全力で対応できるような臨機応変な対応力が求められているのだ。
そんな事を考えている間にも列車は走り続け、8:56、モーラ大学駅に到着した。
ここはさっき調べた通り、学術都市で研究機関が集まっている。座席車だけでなく、一等寝台車や二等寝台車からも多くの乗客が降りていった。マザー・タートルからの研究者や出張を終えた者、エリテン王国内で乗った研究者やビジネス客も降りたのだろう。前方の貨物車からも大型のコンテナがいくつか下された。3分の停車で8:59に発車した。
9:10、モーラ大学駅を発車してわずか10分後、アルデネタノロン駅に到着した。終点のルクスシエルの前、最後の大都市駅である。人口は114万人、工業都市である。近くに鉄鉱山があり、また貿易港も近く金属加工などの重工業地帯として発展してきた。近郊のモーラ大学とも産学連携で次々と新製品を世に送り出してきた。
ただし近年は、発展し過ぎた工業の結果、街全体が煤やスモッグで覆われるなど大気汚染が深刻になり、環境改善が喫緊の課題になっている。
列車は5分ほど停車し、9:15に発車した。市街地を抜けると穀倉地帯に入る。しかし、アルデネタノロンの大気汚染の結果、ここら辺で農業を営むことは不可能に近く、大半が荒地になっていた。
重工業の発展は確かに人間の生活を豊かにした。エリテン王国は周辺国でもトップのGDPを誇っている。ただ、その恩恵を受けられているのは一部の富裕層に限られ、大半の国民は貧富の差に喘いでいる。また、大気汚染で農業が廃業した結果、食糧事情も深刻になっている。
こうした事情はエリテン王国政府内でも把握されている。いや、政府こそ一番深刻に捉えている。ただ、ここで重工業重視の政策をやめてしまうと、あっという間に周辺国に抜かされる恐れがあるほか、出資をしてくれた資本家たちに反発される恐れがある。
そんな折に開通したのがこのタートル鉄道だった。マザー・タートルでは最新の技術により、あらゆる工業と農業、またその他の産業も共生して発展している。その実情を見たエリテン王国政府高官は、積極的に技術を取り入れ、国を立て直そうとしている。既得権益を我が物にしている資本家からの反発も強いが、エリテン王国では先程のモーラ大学など、産学連携でグリーン経済を実現すべく努力しているのだ。
これらはハルが昨日、乗務前に読んだニュース雑誌に書いてあった。自分はただ列車を動かすだけ、でもそれだけで誰かの生活を支えられている。それは凄いことなんだと感じた。
9:49、“リサ・バード記念館駅”に停車した。まさしくこの“リサ・バード急行”の由来となった記念館のある駅である。
リサ・バードとは約300年前、エリテン王国にいた女性探検家である。周辺諸国だけでなく、当時国交の無かった未開の地も巡り、現地民族との交流を果たした。それはエリテン王国の海外進出に大きな一歩となったが、同時に覇権主義が台頭し、暗黒の奴隷貿易時代が始まった。
リサ・バード本人は、奴隷貿易を完全に反対し、デモ隊を組織、反対活動のトップを務めていたが結局は政府内の強硬派に逮捕、投獄され、失意のうちに獄死してしまう。彼女の死により反対派は急速に衰え、奴隷貿易は最盛期を迎える。
しかし、今からおよそ70年前、リサ・バードの意志を継ぎ奴隷解放に尽力した一団がいた。彼らも強力な妨害に遭いながら反対活動を展開、それは30年も続き、殺害されたメンバーも少なく無いが遂に奴隷解放を達成した。
その後、これまで無かった各国との国交を樹立し、平和的な外交を展開するに至った。
そして20年前、最初に彼の地に辿り着き、平和を願う彼女と奴隷反対派の活動を記念し、“リサ・バード記念館”が開館した。
ちなみに、“リサ・バード急行”とは、彼女と同じように全く未知の世界であるマザー・タートルと交流するにあたり、平和的な結びつきを期待する願いを込めて命名されている。
1分の短い停車時間で発車した。乗り降りは少なかった。だけど、この列車がこの駅に停まる意義は大いにあるだろう。
列車名一つ一つに由来がある。その列車名を冠した記念館があるのならば、今回の休憩時間を使って来てみようかなと考えた。
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