異世界鉄道乗務日誌

やた

プロローグ

1


 トンネルは不思議だ。

 入口と出口でまるで景色が違う。

 山や川、あるいは海や街の下を超え、反対側に出るのだが、そこは本当に入口と同じ世界なのだろうか?

 もしかして、全くの異世界に来ているのではないだろうか?

 いま超えてきたのは、本当に実在する山なのか?

 トンネルを抜けると雪国だった、と誰かが言ったように、たった数分や数秒でまるで違う世界にいざなうトンネルは、異世界の入口と言っても過言でない。


 そしてもしも、本当に異世界にいざなうトンネルがあるとしたら、どんな出会いが待っているのだろうか。




 ピチョン…


 暗闇の中で、水音が聞こえた。


 ピチョン…、ピチョン…


 水音はなおも響いている。

 何も見えない真っ暗闇の中で、水音の方向を見ると、上からしみ出ている水が少しづつ大きくなり、そして雫となって下に落ちる。

 少しづつ辺りが見えてきた。下には銀色に光る何かが見える。その何かを辿ると、長い線になっている。そして、何かの線はもう一本あり、交わることなく並行に続いているのだ。

 レール。鉄道車両を目的地に導く鉄製の棒で、2本が並行にならび、交わることなく続いている。

 そのレールを辿ると、遠くに白い点が見える。白い点は少しづつだが大きくなってきた。

 最初は何も音がしなかったが、コォォ…という音もしてきた。キィィンという金属同士が擦れる音もする。

 いよいよ白い点は大きくなり、音もゴォォォと強くなる。そして…

 ガタン!タタンタタン…!

 強烈な音と衝撃を撒き散らしながら、列車が目の前を通過していく。重たそうな機関車を先頭に10両ほどの客車が、先へ先へと全力で走っていった。


 列車が過ぎ去ったトンネル内はしばらくの間、コォォ…とキィィ…という音の残り香があったが、それも止んだ。

 そして、ピチョン…ピチョン…という静かな水滴の音が再びこだまするだけになった。




 ハル・クローバーが機関車乗りになって、1年が経つ。

 昨年、18歳になったハルは念願だった機関車オペレーターの免許を手に入れた。今はマザー・タートルを起点にするタートル鉄道の乗務員として、忙しくも楽しい毎日を送っている。

 彼が乗る機関車は“No.774クロス・ドーラ”といい、通称“ドーラ”と呼ばれている。

 見た目は昔ながらの蒸気機関車だが、実際には高性能の電気機関車で、マザー・タートルでしか作れない永久ボイラーを搭載し、無限に走ることができる。

 走行システムも最新鋭の機器が搭載されていて、ほぼ自動運転である。ハルたちオペレーターが操作するのは、停車駅でのドアの開閉、発車時の起動ボタンの操作、緊急時の対応である。

 手動運転をするタイミングは、客車や貨車との連結時や、緊急時の非常運転など、いずれも時速30キロ以下の低速に限られている。

 それでも何千トンにもなる巨大な鉄の塊を、自分のスイッチ操作で動かすことに誇りと使命感を持っていた。

 最初の内は、特に旅客列車の場合は自分の手に何千人にも及ぶ人命がかかっていたことから、その責任感に押し潰されそうな気もしていた。しかし、無事に目的地に到着すれば、それはそのまま大きな達成感につながる。それを繰り返すことで、少しづつ仕事に対する不安も払拭されていった。


 今日も、遠くのある街から帰ってきているところだ。いま走っているこの長いトンネルを抜けると、終着駅はすぐそこだ。ホッと一息つきながら、彼の列車はラストスパートに入っていた。

「おつかれ、ハル」

 後ろから声が聞こえた。声の正体はナツ・ダイヤ。彼と同じくこの機関車ドーラのオペレーターで、2人は交代しながら乗務をしている。

「おつかれさま」

 ナツもハルと同じ19歳の少女で、彼と一緒に免許を取得した。彼らは幼少の頃からの幼馴染で、いつも一緒にいた。その関係は恋人というよりもはや兄妹のようで、互いに欠かせない存在になっていた。将来の進路を考えるにあたって、ハルが機関車乗りを希望し、ナツもそれについてきたのである。

「もう出品は終わったの?」

「うん!バッチリよ。やっぱスカルエルズのタペストリーは人気ね。もう注文がきたわ」

 ハルは幼い頃から機関車乗りを希望していたが、ナツはそうでも無かった。だから自分が機関車乗りになると言って、ナツも一緒に目指してくれたが、付き合わしてしまったようで心に落ち度を感じていた。

 しかし、いざ蓋を開けてみると、ナツは乗務先の名産品をネットショップで販売することを天職にしてしまった。元々、彼女の実家は雑貨屋を営んでおり、何度か親の手伝いをするうちに、彼女自身にあった商売の才能が花開いた。

 今では、あらゆる上質な商品を取り扱う彼女のネットショップは人気を呼び、それ相応の利益も上げている。そして、この機関車乗りの仕事でないと、その商売も上手くいかないことから、乗務にも全力で取り組み、優秀乗務員として表彰されたこともある。

 ハルとしても、そうやって仕事を満喫するナツを見てホッとするし、嬉しくもなる。

「アキとフユは何してるの?」

 ハルは助士席に座るナツに言った。彼女はタブレットで注文に返事を打ちながら応えた。

「うーんと、アキは報告書作ってて、フユは筋トレ」

「筋トレ」

「うん」

 アキとは、アキ・ハート、彼らのマネージャーだ。22歳で看護師の資格も持ち、頼りになる存在だ。2人が通っていた学校の先輩にあたり、ひょんな事から関係を持つようになった。彼女は卒業してタートル鉄道の別の部門で働いていたが、2人から乗務員になるという事を相談されたとき、彼女自身も興味を抱き、猛勉強の末、最年少でマネージャーになった。

 一方、筋トレをしているフユとは、フユ・スペードのことだ。最年長の23歳でエンジニアを担当する。タートル鉄道の整備部門で働いていた時、ハル、ナツ、アキの3人が社内SNSに出したメンバー募集の掲示に興味を抱き、彼らと共に旅をすることになった。大型の機械を相手にする以上、身体も鍛えなくてはならないという彼自身の理論の元、日々の筋トレが日課だった。

「相変わらず、フユはストイックだね」

「そうね。アキもアキで細かいから、報告書1から書いているのよ。前のをコピペして手直しすればいいのに」

「ああ、いつも時間かかってるなって思ったら1から書いてたんだ」

「そうよ。まあ私たちが適当っていうのもあるけど」

「ちょっと、変なこと言うなよって思ったけど、否定はできない…」

「そうでしょ。やっぱ4人で力を合わせて列車を動かさなきゃ。ガツガツチームとゆったりチームのバランスよくね」

「あらー、誰がガツガツチームなのかしら?」

「きゃっ!」

 唐突に後ろから聞こえてきた声に、ナツは悲鳴をあげた。そこにはアキが立っていた。

「いつからいたの?」

「さっきからよ。私の悪口が聞こえてきたから」

「もう、アキったら地獄耳」

「誰が地獄耳ですって?」

「きゃー、ごめんなさい」

「まあいいわ。私も1から真面目に報告書書き終わったし、ようやくゆっくりできるわ」

「おつかれさま」

「ところでハル、あとどのくらい?」

「うーんと、もうすぐトンネル抜けるかな。だから30分てとこか」

「30分か。じゃあ最後の一回りしようかしら」

「え、まだ仕事するの?」

「当たり前でしょ、まだ終点に着いてないんだから。ナツも行くわよ」

「え、さっき行ったもん」

「あなたすぐに帰ってきたじゃない。ちゃんと見たのかしら」

「ちゃんと見回ったよ」

「へー、なら確かめなきゃね。じゃ行ってくる」

「えー、嫌だ怖い、私も行く」

 そう言うと、2人は機関室を出て行った。

 賑やかな2人が出ていき、室内は静まり返った。ふうっと前方を見つめると、明かりが見えた。トンネルの出口が目の前に迫る。今回も無事に乗務を終えそうだ。

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