宵祭り-6.シリアスさんさ、いくら寝ぼけた面/田舎だからっていきなり差してこないでもらっていいかな?

「……全く、暑くてかなわないね」


 はいただいま、これでいくらかましになるんじゃないでしょか?」


 果たしてほんとに日は沈むのか、疑わしくなるほど強い西日が差し込んでくる我が家のキッチンにて。

 まあキッチン、なんていったところでその実「土間敷き」に併設して最低限のガスコンロと流し台があるだけの炊事場なんだけどさ。

 そんな、断熱材皆無ーな台所には現在、セーラーカラー風の襟元に花柄のアップリケがついた白シャツ・それに合わせたショーパンという、だいぶゆったりとした部屋着に着替えた美月が立っていた。


「えいさ、ほいさ」


 もはや、灼熱地獄といっても過言じゃあない空間で鯖みそ(俺の好物)を拵えんと、鍋を注視し続ける美月さんのご尊顔を俺はうちわで扇ぐ。

 俺がわりと必死に? 微風を送り込む傍から、そのきめ細やかな肌を伝った汗がツーっと美月の胸元に吸い込まれていく。

 足だしだし、汗ビタビタで張り付いた無地のシャツ越し強調される胸部装甲に、ドキッとさせられてしまうのは男の悲しい性か……

 そんな雑念を意識の外に追いやり俺は、一心に幼馴染へ涼を届けるべく手首を動かし続けた。


「ちょっと君、そんなに顔面ばっか扇いでどうするんだい! うっとおしくてしょうがないんだけど?」


 今や無心の境地となってうちわを上下する俺に、険の混じった美月さんからの注文が飛ぶ。


「おい君、絶対にふざけているだろう? だからって、ロウアングルから扇ぎ出す奴があるかい!」


「いえいえ、そんなそんな、他意はございませんって……!」


 台所に充満する熱気とは反対に、温度を数段低くした切れ長の目で睨みつけてくる美月さんに、滅相もないと応じながらひときわうちわをパタパタさせて言う。


「せっかく美月さんが私めのために作ってくださってるんですから。せめてもですね、快適な環境になるよう努めさせていただきますともよ」


「何か、釈然としないね。……というかだ、だったらなおのことうちわで扇ぐよりそこの扇風機近づけてくれないもんかね?」


「こりゃしつれい、気づきませんでした。今すぐ、仰せのままにーっ!」


 さも、私はですね美月さんのためにですね? とそれっぽくテケトーな理由を並べ立てる合間にも、美月さんの瞳孔はどんどん収縮していくばかりで……

 内心、鋭さをましていく視線にビクビクしていた俺はその「お触れ」にこれ幸いと飛びついた。


「もっと近づけた方がいいでしょか?」


「いやいいだろう、まあこの暑さじゃどっちみちないよりはましって感じだし」


 美月がぼやく通り、ゆうてこんな室温じゃ焼け石に水程度の涼しか得られないと思うけど……

 俺がズズズと後ろで回していた扇風機を引きずってくると、ようやく美月は注意を鍋に戻した。


「あれ、彩人ちゃんいるーっ?」


 そうこうしていると、無造作に取っ手を引く音と共に俺の名を呼ばう声が玄関の方から聞こえてきた。


「母さんが来たみたいだね。悪いけど出てくれるかい?」


「みたい、だな。ちょうどいいや、顔見せしてくるよ」


 一度鍋から視線を外した美月が、ちらっと振りざまお玉で玄関を指し示し俺に頼んでくる。

 明日あたりにでも顔出しに行くか。って思ってたけど、早まる分には何ら問題ないので「はいはい聞こえてますよー」と俺は返事をしながら台所を離れた。


「冬華さんこんにちは。ってえとこんばんは? お久しぶりです」


「あ、いたいた彩人ちゃん! ほんとそうね、お久しぶり。一年ぶりぐらいになるのかな?」


 たぶん、そのくらいかな? と玄関に顔を覗かせて、框に下りた俺はどうもと頭を下げる。

 うんうんと柔らかく笑んで頷く幼馴染の母親は、確か40代中ほどぐらいだったか。

 顔立ちは娘にそっくり。なんてこともなく、似た面影はあるものの「シャープさのある美月」と違ってその面差しは柔和な印象を抱かせる。

 まあ年齢もあってか、頬がふっくらしているからかもしれないけどさ。


「美月ちゃん、来てるわよね?」


 鼻をスンスン、家中に漂う鯖みその香りを嗅ぎながら娘がいることを確信した声で俺に問うてくる。

 ええ、美月なら台所で準備してくれてますよ。と俺が言い終わるよりも先、お邪魔するわねと小さく呟いて冬華さんは上がりに足を乗せる。


「美月ちゃーん、お母さんが手伝いにきたよーっ!」


 ひょいと目線が同じ高さまで上がってきたかと思うや、冬華さんは俺を呼ばった時同様大きな声量で娘に声をかけた。


「……母さん。悪いことは言わないから、大人しくそこのと一緒にいてくれ」


 戻ってこない俺に業を煮やし……いや今にも台所に進撃ーっ! していきそうな母親の気配を察知してか、冬華さんを迎え撃つように美月がこちらへ顔を出す。

 そこの呼ばわりされた俺のところでステイ、そのまま留まるようにと美月は押し返すようなジェスチャーをする。


「えーっ、猫の手いらない?」


「それを言うなら猫の手も借りたいだよ。母さんが持ってるのはしゃくし! というかね、なんでしゃもじ片手にやってきたんだい?」


 いやそれは俺も、玄関に立つ冬華さんを目にした時から思っていたことだった。

 呆れる美月が指摘した通り、天高く突き上げられた冬華さんの右手には何故だかしゃもじが握られている。


「そそ、そんなーっ、せっかくお母さんも気合い充分で来たのに……」


 まるで駄々をこねる子供みたいにしゃもじをぶんぶんさせる母親の様子に、それはそれは深いため息を吐いてから、美月は振り回されたそれを摘まみ上げ代わりに洗ったばっかのうちのしゃもじを渡す。


「もうできあがるところだからね。特に手伝ってもらうことはないよ……だけどそうだね、茶碗にごはんでもよそっておいてくれ」


 ああでも、私のはまだいいから。とそれだけを言い残し、美月はにべもなく台所に顔を引っ込めた。


「ねえねえ彩人ちゃん! うちの美月ちゃんが全然取り合ってくれない件について……おばさんは悲しい」


「まあまあま、ほら冬華さんも一緒にごはん食べましょ?」


 俺も腹減ってるから早いとこごはんよそってもらいたいし。と幼馴染の母親をなだめすかして、冬華さんを台所傍の茶の間へと案内する。


◇◇


「じゃあいただきますか」


 それから無事に? 碗を並べ終わった俺達は、美月を除いて先に夕飯をいただくことにした。

 さっそく、手を合わせ美月の作ってくれた鯖みそに舌鼓を打っていると、そこからはあれこれと俺が聞かれるターンとなった。

 ゆうても「大学はどう?」とか「やっぱり勉強難しい?」とか、「ちゃんとごはん食べてるの?」とか俺を心配するようなものばかりだったけど。


 そういやさ、おじさんは?」


 話がひと段落着いたところで、俺はふと気になったことを口にする。


「ああ、あの人? あの人ならほら、鎮魂祭の実行委員だから。それの打ち合わせ、っていってもねほとんどそれ口実の飲み会だろうけど」


「ああそっか、もう明後日とかだっけ?」


 鎮魂祭っていうのは、俺の地元で毎年夏に行われる花火大会のことだ。

 元は、単に盆時期に海岸で開催される花火大会でしかなかったんだけど、去年3月の事故を受けてからちゃっかり「鎮魂祭」の文言が追加されたっていう。


「そうそう、今年も一応開催はされるのよね」


 一応? となんだか含みのある冬華さんの物言いに疑問を感じた俺は、小首をかしげそう尋ね返す。


「あ、うん。実はね、ほら今朝あんな事件があったじゃない? だからね、事件が解決するまでは延期にしようかーって話も出てたのよ」


「へえやっぱ大事になってんだな、今朝の事件てさ」


「そりゃあね。でも今の時点では予定通り執り行われることになったそうよ?」


 食べる手を止め事情を語ってくれる冬華さんに、まさか地域行事の実施可否にまで影響があったとはつゆ知らず、

 俺は箸を動かしたまま「でもまあ、しゃあないか」と一人納得する。


 ただでさえ、こんな寝ぼけたくらい何もない田舎に降ってわいた猟奇事件な訳だし。

 俺が耳にしていないだけで今日は「その話題」で町中持ち切りなんだろう、

 なんて独り言ちつつ俺は残りの白米とみそ煮をかき込んだ。


 そうして俺が晩飯をかっ食らっている間、料理を振舞ってくれた当人はといえば「暑い、もう無理」とだけ言葉を残しシャワーを浴びに行ってしまった。

 まあそれも10分程度のことで、さっぱりした様子で戻ってくるともう食事を終えそうな俺と冬華さんを他所に、のんびり座して自分の作った鯖みそをパクつき始めた。

 そんな美月のことを視界の隅に収めつつ、俺は皿の端っこにある鯖のかけらをちょちょちょっと箸でかき集める。

 最後にそれを盛った白米の上に乗せると、俺はきゅうすからお茶を注いで飯を茶漬けでしめることにした。


「それじゃあおばさん、彩人ちゃんのもまとめて片しちゃうね?」


 コメ一粒に至るまで茶と一緒に流し入れ、俺がほうと一息つくやそれを待っていた冬華さんが茶碗を回収していく。


「すんません、ありがとうございます」


 いくら生活能力皆無ーな冬華さんであったとて、美月が口を出してこないのを見るにさすがに食器の片付けくらいは任されているようだ。

 っていうか冬華さん、自分で「おばさん」って呼ぶ分には問題ないらしいんだよな。呼ばれるのにはNG出してくるけど……


 それから10数分して片づけを完遂した冬華さんは、「よーし、じゃあ邪魔者はさっさと退散しましょうね」とやけに「邪魔者」を強調したかと思えば、手を拭き拭きしながら玄関先に降り立つ。

 なんのグッドラックなのかは知らんけど、やたら良い笑顔と共にサムズアップしてから戸をガラガラ開け去っていく。


「ほんとにもう、だね」


 嵐の用だった冬華さんが撤収していくのを、ジトーっとした目つきの美月と俺は苦笑い気味に見送った。



「それじゃあまあ、行ってみるかい?」


「ん、ああそうだな」


 それから適当に時間をつぶすこと一時間弱。

 俺はパラパラとめくっていた参考書から目を上げると、ガラケーをポチポチやっていた美月が徐に顔を上げて言う。

 これといった間も明けず玄関に向かった俺達は、サンダルでも突っかけたいところではあったけど行く場所が場所なのでスニーカーを履くことにした。

 靴をトントン、引き戸を引いてみれば途端に遠くで泣いていたカエルの合唱が耳朶を打ってくる。

 民家がちらほらあるといってもな、四方を田畑に囲まれたこの辺りは、聞こえてくる物音もなく「カエルの鳴き声」だけがやたら耳につく。


 未だむんとした昼間の余熱が残る夜気の中、昼間に分け入った裏山とは真逆・俺達は少なくない家屋が連なる方へと足を向けた。

 まあゆうて、ほんとに数軒程度な訳だけど。街灯何それおいしいの? 状態な薄闇をスマホのライト頼りに進むことしばし、

 屯所のある十字路に出ると心もとない光源を受け一つの小高いシルエットが浮かび上がってくる。


「にしてもさ、意外に曇ってんな」


「そう、だね。だけどまあ、上るだけ上ってみるかい?」


 実家の裏手に構える小山群とは反対に、周りに遮るものがないこっちの山の方がよく見えそうだということで来てみたんだけど。

 あいにくの曇天で夜空には星一つの明かりさえも確認できない。


「……あらよっと。こっちにも10年ぶり? とかに来てはみたものの、まさか誰か入って整備でもしてんのかね?」


 屯所を素通りしぽつんと佇む野山に踏み入ってみれば、驚いたことに秘密基地まで続く幅の狭い砂利道は健在で……

 ここももちろん、小学生時代に舗装(じいさんの力ありき)した思い入れのある道ではあるんだけども。

 ざっざっと砂利を踏みしめ上がっていく道程には、葉切れも小枝も転がっておらず、


「まさかとは思うけどさ。じいさんの奴、こっちにも手入れにきたりしてんのか?」


 嘘だろと呆れてしまうくらいには、脇から突き出した枝もなければ敷き詰められた砂利に欠けたような箇所も見受けられない。


「かもしれないね」


 俺ほどの驚きはなさそうだけど、さして躊躇いもなく美月は後をついてくる。

 結果として何ら支障もなくてっぺんまで登りきると、俺達二人は「お目当てのポイント」へ同時に踏みでした。


「こりゃ驚いた。この様子じゃ、君の言う通りほんとにひきじいが着てるみたいだね」


 砂利道に入ってから5分と掛からず、ぽっかりと開けた空間に出た俺達のライトが照らす先、

 何年かぶりに訪れた秘密基地(笑)の中央には、当時「なんちゃって木工」でくみ上げた丸テーブルと丸イスが二客。

 間違いなく風雨には晒されていたであろうに、そのイスもテーブルも土にかぶれることなく残されている。


「腐食もあんましてなさそうだし、何より土埃もかぶってねえしな」


 全くじいさんは何やってんだか。と首をすくめる俺に、美月も呆れ笑いの様子だ。


「でもよかったじゃないか? おかげで汚れずに済みそうだよ」


 そういって美月は下げていたカバンからレジャーマットを引っ張り出して、ポンっと二つのイスにそれを乗せる。

 確かにそうだけどさ。と俺は半ば脱力したように、美月の敷いてくれたマットに尻を据えた。

 そうして空を見上げるも、未だに雲が晴れる気配はなく、


(まあ上りだした頃から風は出始めてたし、そのうち見えるようになるとは思うけど)


 そこからしばし、俺達の間に無言の時間が流れる。

 ホーホーと小山のどこかでふくろうが泣くのを耳に、ふと隣を見てみれば膝上に置いたスマホのライトが美月の横顔を照らす。

 何の気なし、ライトの明かりが吸い込まれていく前髪の隙間。そんな光量じゃその奥に隠された「額の傷」が見えるはずはないんだけど……



 ――兄、さん。みーちゃんが、みーちゃんがっ!?



 なんでだろう、意識したつもりはほとんどない。でもなんでだか唐突に「フラッシュバックする負い目」にこめかみのあたりがドクンと脈打った。


「どうしたんだい?」


 そんな俺の視線を感じ取ったらしい美月が、不思議そうな顔をこちらに向けてくる。


「ん、いやなんでもない」


「そう、かい?」


 俺は一呼吸おいてから、急に襲ってきた動悸にも近い症状を落ち着けると首を横に振るった。

 平然を装う俺に怪訝そうな視線を送ると、すぐ興味をなくしたように美月は夜空を仰いだ。


「ありゃ、彩香からか」


 とりあえず、ごまかせたっぽいな。と俺が安堵したのも束の間、静かな山の中には似つかわしくない着信音が鳴り響いた。


「もしもし彩花か。どうだった、和香ちゃんには会えたのか?」


 そういや、友達と話しとやらはできたんだろか。なんて考えつつ、俺が画面をタップし受話口に出てみれば、


「……兄さん、あの、あのね。どうしよう? 誰かにつけられてるみたいなんだけど……」


 電話口の向こうからは浅い呼吸を繰り返す、緊張した妹の不安げな声が聞こえてきた。

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