幕間 指宿イブキ・下


 独りで家にいることが辛いとは不思議と思わなかった。


 この生きにくい世界で誰かと関わることに疲れていたのかもしれない、などと澄ましたことを言えるのは今だからで、当時は「何も思えなかった」のだろう。


 そんな弱りきった感性でも、不意に寂しさを感じることがあった。


 学校から帰ってきて、誰もいない暗い廊下を見た時だったり。

 片付けの終わっていない父の部屋だったり。

 やけに薄ら寒い家の中だったり。


 そういう時はテレビを点けていた。


 もちろん画面は見ていない。

 俺のいないリビングでテレビを点けっぱなしにしていただけだ。


 それでも、独りじゃない気がした。

 いま自分が生きてるのと同じ世界で、誰かが生きているのだと感じられた。


 だから──その日・・・も、テレビを点けっぱなしにしていた。


新宿・・が、崩壊していきます……』


 ニュースキャスターの、もはや呆然とした声が印象的だった。


 23時22分。


 大都市・新宿にて、それは静かに幕を開けた。


 始まりは水道管の破裂だったという評論家がいれば、自動車の炎上爆発だったという当時の被害者もいる。


 確かなことは定かではないが、唯一判明しているのは、その中心に一人の少女がいたことだ。


 少女は新宿の各所にふらりと姿を見せた。

 彼女が現れた先々で、街が壊れた。


 水道管、あるいは自動車から始まった悪夢それは、アスファルトの路面を割り、店を爆発させ、その果てにビルを倒壊させた。


 それは正しく、災害だった。


 一夜が明けるころ、副都心が誇った高層ビル群は姿を消していた。

 瓦礫の山だけが広がる、荒廃した世界。


 唯一の救いは、想定よりも・・・・・生存者が多かったこと。

 その中の幾人かが、瓦礫の頂上で朝陽を背負う少女を見たという。


 彼女は枯れた黒い瞳で、世界を睥睨へいげいしていた。


 名を、ゼナ・ラナンキュラス。


 後の【救世の契りネガ・メサイア】幹部【六使徒】が一人。


 第二席に坐す、〈絶望ゼツボウ〉と呼ばれる女だ。




 ──と、解説してみたものの、俺はこの時のことをよく覚えていない。


 テレビを点けたまま寝床に入って、二時間もしないうちに世界がひっくり返ったような轟音によって飛び起きた。


 寝ぼけ眼のまま、急いで窓の外へと乗り出せば、数キロ先には街を包み込む暗いドーム。

 数多のヘリコプターから照射される光の線のおかげで、それが粉塵だと分かった。


 点けっぱなしのテレビでは緊急速報の音が鳴り響き、今まさに頭上を飛んでいるヘリからの中継映像が流れていた。


 その中央で、崩れゆく新宿時計塔を見た時に、俺は全てを思い出したのだ。


 頭の中に流れ込んでくる、見たことのない映像。

 初めは知らない誰かの記憶だと思っていたそれが、徐々に自分に馴染んでいく。


 やがて自分こそがこの男だと気がつくと同時。

 俺は気を失った。


 ……次に目が覚めたのは、明くる日の夕方。


 リビングの床に倒れ込んでいた俺は、目を刺すような西陽によって覚醒を強いられた。


 そして、




「ココ、わたゆめだあああああああああああああああああ!?!?!?!?!」




 不謹慎にも歓喜の産声を上げたのだった。


 ……ここらへんはクシナには「ショックで倒れちゃった。てへ☆」とだけ伝えておくとして、ともかく。


 こうして俺の、本当の指宿いぶすきイブキ生活ライフが幕を開けたのであった。




 ♢♢♢♢♢




「研究所から呼び出された件(笑)」


 半年後、八歳になった俺は家に届いた封筒をぶち破って中身を読んで反吐が出た。


「──行くかボケェ! 『お悔やみ申し上げますが、もっぺん来いや』じゃねえんだよ! タコが!!」


 結果、行った。


 ……だって『八歳になったら最後の一回受ける契約になってるから来なかったら契約違反で捕まるよん』って書いてあったから……。


 ──行って、正解だった。

 しぶしぶ自分で自分を引きずるようにして向かった松江で──俺は、彼女に出会えたのだから。




 ♢♢♢♢♢




「びっくりするくらいスムーズに終わった……」


 半年以上前に何度も会っていた痩せぎすの研究員は出てこなかった。

 そこらへんにいたお兄さんに、いくつかの質問をされてそれに答えて終わり。


 予後はどうか、とか、何か新しい天稟ルクス目覚めてない、とかその程度の内容だった。

 身構えていた割にはあっさりし過ぎてて拍子抜けである。


 まあ最後の検査と言ってたし、次がない=確認ができないのに何か新しく実験をするはずない。

 そりゃそうか、と納得しつつ、俺は七度目にして最もヌルい松江訪問を終える気満々でいた。


 るんるんで歩いていた足が、ふと止まる。


 そこは橋の上だった。

 父に「母を救えなかった」と告白された、あの橋だ。


 風が心地よく、橋の上から見る川の流れも美しかった。


 胸に去来するのは非現実感。

 あの日、自分に懇願した男が自分の父であるという実感と、彼は自分の父ではないという拒否感。


 彼自身に問題があったがゆえの拒否感ではなく、俺に別の生い立ちがあったが故の認め難さのようなものだった。


 どれくらい、そうして川の流れを見ていたのだろうか。


「とんだラッキーだったな」

「ああ、これは大手柄だぞ」

「もうすぐお迎え・・・が来るだろうし、そいつらに引き渡して終わりだ」


 風切り音だけが届いていた耳に、声が聞こえた。

 見れば、俺の進む方向とは反対から人が近づいてきていた。


 研究所の方へと向かってくるその人影は、三人。


 うち二名は男二人。

 この辺で見る男と言えば、研究員のはずだ。

 先ほど会話を交わしていたのは、この二人だろう。


 なぜ分かるか?


 彼らの間に挟まれた三人目は、女の子だったからだ。

 両隣の大人に腕を掴まれるようにして無気力に歩いてくる。


 一瞬、無理やり誘拐でもされてきたのかと思ったが、少女は抵抗する様子もなく、自分の足で地を踏んでいる。


 彼女は顔を横向けて、ただ川を見ていた。


 その横顔だけで──なんと美しい子なんだろうと思わせられた。


 風が吹き、彼女の長い黒髪が波打つ。


 それと共に、川を見ていた彼女が顔を逸らし前を──俺を見た。


 完璧な美貌に嵌め込まれた、宝石のような紫瞳。


「────」


 それは何よりも美しいはずなのに、ひどく乾いた瞳だった。


 きっと場所のせいだろう。

 俺は重ねてしまったのだ。


 彼女の瞳と、あの日「助けてくれ」と声無き声を上げていた父の瞳と。



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