第31話 反響


 ルイは完全に呆気に取られていた。

 それが徐々に嫌悪に染められていき……、


「そんな出まかせで──」

「出まかせじゃない!」


 拒絶の言葉を遮って、畳み掛ける。


「まず! 心根が尊すぎるっ!」

「────」


 こちらの大音声だいおんじょうに、ルイが目を丸くした。


「いつも明るくて朗らかで誰に対しても笑顔でコロコロ変わる表情から推し量れる天真爛漫さなんかまるで春のあったかい陽の光みたいだし何よりめっっっちゃ優しくてマジで天使っっ!!!」

「………っ、〜〜〜〜っ!」


 眼下でルイが何か言いたくて堪らないという顔をした。


「でも戦うとなると責任感に溢れてて相手への敬意を捨てないしどんなに辛くても諦めずに顔を上げて前を向き続ける直向ひたむきさがめちゃくちゃ尊くてカッコいいっっ!!!」

「そっ、それ……っ!」


 うずうずして、声を上げたように見える。


「それでいて! たまーに出る天然な感じが超良い!」

「わっ、分かる……っ!」


 言ってしまってから、まるで自分に言い聞かせるように、ぶんぶんと首を横に振る。


「そっ、そんなので誤魔化せ──」

「このまえ近所の猫に『にゃーにゃー』話しかけてた」

「かわいい゛……っっ!」


 思わずといったように声を上げてしまい、そのあと彼女はハッとした。


「──い、いえっ、……う、嘘でしょう……?」


 愕然とした表情のルイに向かって自信満々のドヤ顔をくれてやる。



「嘘や冗談で、ここまでヒナタちゃんの魅力を並べ立てられるとでも?」



 天上天下ヒナタ独尊を地で行く絶世の美少女は、至極真剣な顔つきで長考したあと、──言った。



「ありえない、わね」



 志を同じくするからこそ、分かってしまったというべきか。


上辺だけでにわか共にこのワタシと同レベルのヒナ愛を持つの推しごとは不可能だわ……」


 抵抗は、すっかり止んでいた。


 ──か、勝った、のか……?


 自分でも半ば信じられない心地で自分が押さえつけるルイを見る。


 それからしばらく、噛み締めるような沈黙が続いた。

 やがて、切れ長の目が真っ直ぐにこちらを捉える。


「じゃあ、結局何であんな、言いたくもないヒナの悪口を言ったのよ」


 それを真正面から見返して、


「君が、殺意を抱けないから」

「殺意……?」


 予想外の返答に、首を傾げるルイ。

 頷いて、


「そのままじゃ、いざという時に判断が鈍るでしょ?」

「………っ、アナタになんの関係が……っ」


 痛いところを突かれたとばかりに顔をしかめながら、尋ねてくる。


 馬鹿正直にルイのためと言うよりは、ヒナタのためと言った方が信じてもらいやすいだろう。

 それも嘘ではないのだから構うまい。


「君はヒナタちゃんのペアだろう? あの子推しをしっかり守ってもらわなきゃ困るからね」


 これ以上ないくらいの自信を持って、笑ってみせた。


「…………」


 今度こそ、ルイは完全に沈黙した。

 何度も何度も、何か言いたそうに顔を歪めては首を振る。

 それから──彼女は、大きなため息をついた。


「………筋金入りね」


 そして、諦めたように目を瞑る。


「……さてはアナタ、1000年に一度の馬鹿でしょう?」

「なら、あと一人くらいはいるね」

「……ワタシじゃないわよ」

「どうかな?」

「ちょっと」


 ルイはイブキを睨みつけた。




 ♢♢♢♢♢




 ──よく分からない。あったはずの怒りと、それ以上の呆れと困惑を処理しきれない。


 そんな中で、ルイはふと思う。


 ──こいつ、ヒナの見た目について何も言わなかったわね。


 ヒナタは親友の贔屓目を抜きにしても、とても可愛らしい顔立ちをしている。

 小柄で庇護欲をそそる上に、身体付きも女性らしい起伏に富んでいて魅力的だ。


 クラスの男子達が裏でコソコソと褒めているのを聞いたことがあるから、異性の目からしても魅力に溢れているのは確かだろう。

 ……まあ、そいつらは一睨みして黙らせたのだが。


 偶然かもしれない。

 けれど実際、〈乖離カイリ〉はそれには触れなかった。


 それも、自分があっさりと目の前の男の言い分を飲み込めた理由かもしれない。


「ごめん……っ」


 巡る思考に、〈乖離カイリ〉の声が割って入る。

 何かと思えば、彼はルイの両手首を抑えていた手を離した。

 それから、


「───っ、ちょっ!?」


 ぎゅうぅ、と。

 胸のうちに抱き込まれるようにしてルイは抱きしめられた。


「だからっ、なんなのっ!! アナタさっきから人のこと……っ!!」

「ち、ちがうんだっ」

「何がっ!?」


 問うと、やや逡巡するような間の後に、頭上から諦めたような声がする。


「……代償アンブラ、なんだ」

代償アンブラ……?」


 頷いたのが、気配で分かった。


「後払い式で、『人と接触すること』が求められる代償アンブラなんだ……」

「…………」


 その力無い声音が、彼の言葉に真実味を持たせていた。


 それを聞いて納得したこともある。


 ヒナタの初めての任務で〈乖離カイリ〉が彼女を抱きしめた事件だ。


 思えばアレも代償アンブラのせいだったのだろう。


 なにより代償アンブラに悩まされる気持ちはよく分かるので、ルイはあまり強く出られない。


「…………今回だけ」

「え……?」

「今回だけは、許してあげるって言ってるの。──オタク仲間同志にね」


 呆気に取られたような沈黙を返されて、少しだけやり返したような気持ちになった。


「ワタシが同担拒否じゃなかったことに感謝するのね」

「──あっ、ありがとう……! 助かるよ……っ」

「ふん」


 それだけの言葉が交わされてから、その場を沈黙が支配した。


「…………」

「…………」


 どちらも喋ることなく、〈乖離カイリ〉の代償アンブラが終わるのを待っている。

 その静けさの中で、ルイはその音・・・に気づいた。


「────」


 それは、〈乖離カイリ〉の胸の内から鳴り響いていた。


 ──鼓動の音。


「心臓、動いてる」


 かつてヒナタに抱きしめられた時に、失いたくないと執着したあの残響となんら変わりのない音。


 ──ああ。


 結局、〈乖離カイリ〉もヒナタと同じだった。


 ──自分などよりも、価値ある命。


 あれだけ憎き敵に見えていた存在でさえも、自分よりよほど生きる意味がある命なのだ。


「………っ」


 さざ波のように押し寄せるのは、胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのような感覚。

 それは、諦め、とも言い換えられるのかもしれない。


 ──結局、ワタシには誰の命も奪えない。


 仇敵だと思い込んでいた、男の命さえも。

 養成学校スクールで幾度となく聞かされてきた標榜が蘇る。


『天秤は人命より秩序に傾く』


 ──ワタシには、そうは思えない。


 ヒナタのように、それでも尚、貫けるだけの強さがあったなら良かった。

 でも、今の自分を見れば分かるだろう。

 ただの構成員一人にも勝てずに組み敷かれている、この無様な姿を見れば。


 ──ワタシって、天翼の守護者エクスシア向いてないのかな。


 こんな汚らわしい才能アンブラを持って、実の母親にも愛されないような……、



「君の心臓だって動いてるだろ」



 打てば響く、木魂のように。

 さも当たり前のことを口にする時の軽さだった。


「────」


 なんのことを言っているのか、一瞬分からなかった。

 しかしすぐに、自分の呟きへの返事だと理解する。


「…………え?」


 けれど、内容までは理解できない。

 思わず溢れた疑問符に、頭上から返答が降ってきた。


「いや、心臓動いてるのなんて君もでしょ?」

「ワタシも……?」

「うん」

「アナタだけじゃ、ない……?」

「うん」


 彼の「何を馬鹿なことを言ってるんだか」という内心が聞こえてきそうな、軽い返答だった。


「ワタシ、アナタと、同じなの……?」

「当たり前でしょ」

「………ぁ」


 ぎゅうっと胸の奥を揺り動かされるようだった。


「ワタシ、は……っ」


 自分の胸に両手を当てる。


 ──そこから、確かな脈動が伝わってくる。


「ぁ、あ……」


 ──ヒナだけじゃない。〈乖離カイリ〉だけじゃない。


 ずっと、自分の命は軽いのだと思い込んでいた。


 ──そうじゃ、なかった……っ。


 自分より軽い命などない。

 けれど──自分より重い命もないのだ。


 彼の何の気ない口調と同じ。

 こんなにも、当たり前のことだったのだ。


「ぅうう……っ」

「えっ……!? ル、雨剣さん!?」


 慌てているのが、声からも揺れる身体からも伝わってくる。

 こんなところを見られないように、ぐっと身を寄せた。

 努めて、軽口のように言った。


「……もう少し、アナタの代償アンブラに付き合ってあげるわ」

「──、……ああ、ありがとう」


 言葉少なな返答に少しだけ笑みを溢す。

 自分の胸に手を当てながら、そっと〈乖離カイリ〉の胸にも手を当てた。


 ──とくん、とくん、と心の音が重なる。


 もう少しだけ、この反響に身を委ねていようと思った。




 ♢♢♢♢♢




 時は少しだけ遡り・・・・・・・・──【月の塔】大聖堂・・・


 取り残されていた少女・・・・・・・・・・は、一人の隊員に言った。



「【救世の契りネガ・メサイア】の男の人が、ヒナタって人をて、てごめ?にするって……!」



「──へえ、『手篭め』」


 伝えられた隊員はかがみ込んで少女を撫でる。


「ありがとう。イイコト教えてくれて」


 彼女──傍陽ヒナタの瞳に、妖しげな光が宿った。



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