第22話 剣と指揮棒


 天翼の守護者エクスシアたちの演奏を楽しんでいたのは、子どもたち(+オタク)だけではない。

 聖堂の二階部分では、天上の音に聞き惚れる”お偉方”の姿があった。


 彼女らの案内人として来賓席の末席に座るイサナは、


 ──もうやだぁ……むりぃ……。なんで私のこと好きなのぉ……? 意味わかんないよぅ、こわいよぅ……。


 どこぞの不審者オタクから向けられる、まるで道理が分からぬ理不尽な好意にかなり精神をやられていた。


 ──人気投票なんて、私出てませんもん……。


 若干、素が出てきている。


 たしかに全支部合同で天使の人気投票もあるが、イサナがそこに名を残したことは一度もない。

 つまり──マジで意味がわからない。


 ここまでで受けたオタクの好意スリップダメージがいよいよSAN値を削り切ろうとしているので、イサナは〈乖離カイリ〉への《読心》を諦めることにした。


 ……ちなみに、ここまでも幾度となくそう思っていたのだが、「でも今なら悪いこと考えているかもしれないしなぁ……」とチラチラ覗き見てしまい毎度ダメージを受けている。


 でもやめます。

 今度こそやめます。

 やめるったらやめます。


 と、背後から気配が近づいてきた。


「これはまた見事な演奏だな、副支部長殿。ここにいる天使で全てというわけではないだろうに」


 振り向くイサナの視線の先には、ストロベリーブロンドのウェーブロングを波打たせる美女がいた。

 一瞬で意識を切り替えて、こころなし背筋を伸ばす。


「お気に召したようで何よりです、ブルートローゼ様」


 ローゼリア・C・ブルートローゼ。

 今回の見学会の大きな要因となったパトロン、ブラッドローズ家の現当主だ。


 最上段の自席から、わざわざ最前席まで足を運んできたらしい。

 イサナの座席より数段上に立って、声を掛けてくる。


「そうかしこまるな。わらわと貴様の仲じゃあないか」


 傲慢さが滲み出る面貌には、わざとらしい笑みが貼り付けられている。

 言葉を額面通りに受け取らせるつもりがハナからないとしか思えない。


 ──イチかバチか、心を読んでみるか……?


 どうにも猜疑心を抑えられぬ彼女の在り様に、そんな短慮が選択肢に上がる。


 そう、短慮・・だ。


 イサナの《読心》には『伝心』というリスクがある。

 もし、この女狐が自身の予想の範疇を超えた思考回路を持っていた場合。

 逆にこちら側の思考が読まれることになってしまう。


 そうした思考は大抵、反射的に考えてしまった浅いもの。

 深い所まで読もうとしなければ、こちらも深いところまで伝えてしまうことはない。


 しかし、それですらもローゼリアに気取られるのは危ういと、イサナの直感が訴えていた。

 最悪、こちらの天稟ルクスが向こうに露呈する可能性まである。


 なにせ眼前の女は百戦錬磨の死の商人だ。

 一介の構成員イブキ自身の部下ヒナタとは話が違う。


 また、精神に作用する天稟ルクスは珍しいが、無いわけではない。


 常日頃から命を狙われているような人間が、そうしたものに無防備である方が不自然。

 むしろ精神防御のための罠すら仕掛けているかもしれない。


 考えれば考えるほど、《読心》に縋るのは愚策としか言えなかった。


 ……ついでに本日最初の《読心》でやらかしていることも、イサナの自信を地味に削いでいる。


 ここまでの思考を、イサナは一秒にも満たない間でまとめた。


 最善手は、軽く受け流すこと。

 進展はないが、下手を打つこともない。


 次点で、



「はて、私と貴方は対等ではありませんでしょうに。それを自覚されているから、私よりもに立つのでしょう?」



 喧嘩を売る。

 何を考えているか探る手がかりでも掴めればいい。


 どうせ上っ面だけで牽制し合う時間は終わったのだ。

 だからこそローゼリアもこのタイミングで声を掛けてきたのだろう。


「──……クくく」


 しかしてイサナよりも数段上に立つローゼリアは、面白くて堪らないといった風情で笑う。

 彼女の肩にかけられたミリタリージャケットが揺れた。


「闘争は美しいなァ、イサナ・シンドウ」

「私は嫌いですけどね。猿の遊戯ですから」


 睨み合う二人から、周りの富豪たちは脂汗をかいて身を引いた。

 彼女らにしてみればローゼリアという大財閥の主勝ち馬に乗りにきただけであって、決して一方と険悪な関係になりに来たわけではない。


 どちらにも関与せず、自分の利を得るべく石に徹するのが吉。

 そうくるだろうとはイサナも予想していたので問題ない。

 向こうに加勢しないだけマシというものだ。


「しかし、シンドウ」


 思惑が絡み合う聖堂上段から、すっと緊張が引く。


「残念だが、今日は貴様と争いに来たわけではない」

「…………」

「大人しく続きを鑑賞するとするさ」


 言うなり、ローゼリアは呆気なく身を翻した。


 ……結局、何が目的で話しかけてきたのだろうか。


 自席へ戻る彼女の背を油断なく見つめながら、イサナは相手の意図を掴み損ねていた。




 ♢♢♢♢♢




 万雷の喝采、子どもの無邪気な歓声に、雨剣ルイは優雅な一礼で応えた。

 ゆったりと持ち上げた顔は、彫像のように整っている。


 絵にも描けぬ静謐な美貌を目にした少女が、ひゅうと息を呑んだ。

 上段に座すお偉方も、今はただ一心不乱に壇上の指揮者を見つめていた。

 天使達すらも彼女の横顔に囚われていたことだろう。


 誰も彼もが雨剣ルイの一挙手一投足に目を奪われていた。

 俺も、例外ではない。


 けれど、奪われていたのは「目」のみ。

 よもや脳は赤熱するまいが、それほどに思考は疾く駆け巡っていた。


 ──やっぱり、そうか。


 雨剣ルイは歌が上手い。

 のみならず鍵盤・管・弦・打、およそ殆どの楽器を彼女は手足のように操れる。


 それでも、彼女は指揮者を選んだ。

 なぜなら、彼女は指揮が好きだから。


 原作で、ルイはヒナタちゃんに「全部の楽器が好きなの。だからそれを纏める”指揮”が一番好き」と笑顔で語っていた。


『わたゆめ』で彼女が見せる満面の笑みは数少ない。

 とてもよく記憶に残っている。


 ──だというのに。


 現在イマ、指揮を終え、振り向いた彼女の美貌は「彫像のよう」なのだ。

 ただただ美しく、虚しい。


 ──今の君は、指揮が──音楽が楽しくないのか。


 演奏が始まって最初の一振りで、思った。


 腕の振りが全然、伸びやかじゃない。

『わたゆめ』を読んで俺が感じた、まるで白鳥が翼を広げるような自由さがまるでない。


 指揮の良し悪しなんざ素人の俺に分かったものじゃないが、推しルイの良さなら誰より知っている。……嘘。ヒナタちゃんの次くらいには知っている!


 君は、大空を羽ばたくように在る人だ。

 決して鳥籠に囚われていていい人じゃない。


 なら、君を閉じ込める鳥籠はなんだ?


 いつの間にか始まっていた二曲目。

 変わらずルイは壇上に立って、指揮を魅せていた。


 流れる水のように、彼女の繊手が舞い踊る。


「……──〈美しき指揮者マエストロ〉」


 その言葉をつぶやいた瞬間、


「────」


 美貌の指揮者の姿に、長剣を背負う戦乙女の姿が重なった。

 同時に、訓練場で見た精彩に欠く一振りが想起させられる。


 剣と指揮棒。

 形は違えど、彼女の得物。

 どちらも不調というならば、重なる答えは一つだけ。


 ──トラウマは「腕を振るう行為そのもの」か……っ!


 じゃあ、その傷の原因はなんだ?


 ──『犯人を、殺してしまったんです』


 ヒナタちゃんから聞いた限り、ルイの原作との一番の違いはそれだ。


 ……その程度で?

 ここは、超常の力が当たり前の世界。

 そんな世界で、正当な公務の上での過失致死だ。


 たかがその程度で、あの・・雨剣ルイが──、


「────、あの・・……?」


 あの・・って、どの・・


 ……今、俺が目にしている雨剣ルイだ。


 ヒナタちゃん至上主義で、敵対者には容赦がない。

 ──俺の目には・・・・・そのように映っている、雨剣ルイ。


 でも俺は、『もう一人の彼女』を知っている。


『私の視た夢』、第二章。


 ──人生で初めて食べるクレープを黙々と、けれど目を輝かせながら食べる『雨剣ルイ』。


 ──人生初めてのカラオケで、思わずヒナタちゃんが聞き惚れるような歌声を披露する『雨剣ルイ』。


 ──帰り道にスイーツ店に寄ったりカラオケに行ってみたりという、年相応の娯楽にはしゃぐ『雨剣ルイ』。


「───ああ……」


 邪魔をしているのは”原作知識”ではなかった。

 捨てるべき先入観は、”この世界の常識”だ。


 人が死ぬのなんて珍しくもない世界。


 ──でも。


 彼女はまだ、15歳の少女なのだ。


「それだけ分かっていれば、充分」


 ここは『わたゆめ』ではなくて、俺が生きる世界。

 そして『雨剣ルイ』は笑顔で、雨剣ルイは泣いている。


 ならば、


「──雨剣ルイを、見えない鳥籠から救い出す」


 彼女が翼を広げられるよう、変えてみせる。


 ……けど、どうする?


 ──『貴方も、たまには鏡くらい見てみるといいわ』


 クシナにそう言われた時、俺にはその言葉の意味が理解できなかった。

 この世界の住人なんだと自分で気付けたからこそ、それを理解できたのだ。


 いくら他人に言われたって、実感を伴わなければ理解はできない。

 本当の意味で自分を変えられるのは、結局のところ自分だけだ。


 けれど。

 人から貰った言葉にも、必ず意味はある。

 だって俺は、クシナの言葉にも、レオンの言葉にも、確かなヒントをもらっているのだから。


 ということは、だ。


 俺が、なればいいのである。

 ルイにとっての頼りになる存在クシナやレオンに。



「──推しルイの敵である、この俺が……?」



 自分で言っていて不可能としか思えない壁に、俺は頭を抱えそうになった。



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