第18話 フィーブル・ボーイ・スタンブル

 焦りばかりが雨剣ルイの心を占めていた。


 地上のヒナタを今すぐにでも助けに行きたい。

 けど、人々を見捨てればヒナタが悲しむ・・・・・・・


 ルイはただ、それだけの理由で被害を食い止めるため砕身していた。


 ──その背後、すなわち死角にて。

 派手な炎の渦に隠れるように、一本のナイフがルイに迫っていた。


 それが致命的な距離になって初めて、


「────」


 ゆっくりと。

 スローモーションに進む世界で。

 ルイは背後の凶器に気づいた。

 あと一秒もなく自身に突き刺さるであろう、ナイフに。


 だが既に、天稟ルクスは幾重にも発動している。

 その状態での瞬間的な発動は彼女でも難しい。


 避けることは、不可能。


 自身の未来を予期した瞬間。

 彼女の瞳にごく僅かな、けれど確かな恐怖の色が浮かんだ。


 短刀がルイの背に当たる──その時。


 ──《分離》


 ナイフが、がくんと落下する。

 自らを殺しうる凶器。

 それが、まるで割れ物をつつくかのように弱々しく触れただけだったことに、彼女は驚く。


 困惑は一瞬。

 つい最近、ルイはこれと似た現象を目にしている。


「…………っ!」


 彼女は素早く辺りに目を走らせ───その人影を見つけた。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 彼岸花の紋様があしらわれた黒のローブ。

 そのフードを目深に被り、俺は激戦下のホールへと歩みを進める。


 静かに近づく俺に、その場の幾人かが気づき始めた。

 彼ら、そして彼女らの全員が、こちらに目を止める。


 それはそうだ。

 なにせ、あの〈刹那セツナ〉と同じローブなのだから。


 そんな中で、警戒を緩める大男と、敵愾心を剥き出しにする少女がいた。

剛鬼ゴウキ〉とルイである。


 どちらも〈乖離カイリ〉の正体が俺だと知っているため、認識阻害が働いていないのだ。


「なんの用だァ、〈乖離カイリ〉?」


 沈黙を破ったのは大男の方。

 彼の口から出た名前にヒナタちゃんの身体が強張ったのがわかった。


「──ここには」


 そっと、返答を口にする。


 ──……はやく。


「ここには、〈刹那セツナ〉はいない。来ることもない」

「あァ……?」


 要領を得ない言葉に、怪訝けげんな表情を浮かべる〈剛鬼ゴウキ〉。

 彼だけではなく、他の構成員や二人の天使も俺を注視していた。


 ──……はやくっ。


「たまたま俺一人、近くにいてね。今なら彼女に知られず会話ができる」

「そうかよ。なら、さっさと用件を言え。見てわかンだろ、お楽しみ中なんだよ」


 誰もが互いを警戒しあっていた。

 ここで会話が終われば、すぐにでも乱闘が再開されるだろう、絶妙な均衡。


「それじゃあ、単刀直入に。……この間の返事をしに来たんだ」

「この間ァ……?」


剛鬼ゴウキ〉は、その太い首を捻る。


 ──はやく……!


「……あァ、勧誘か」

「そう、君が言ったんだろう? 『〈刹那セツナ〉じゃなくて、俺の下につけ』ってさ」

「「───っ!」」


 幹部に関係する情報に反応を示したのは天翼の守護者エクスシアの二人だ。

 滅多に知られることのない、敵上層部の動向に驚いている。


 ──はやく……っ!!


「わざわざ〈刹那セツナ〉を撒いて、こんなトコまで来たってこたァ……」


剛鬼ゴウキ〉はにやりと口角を吊り上げる。

 自身の派閥が拡大する予感に酔うその笑みに、俺は友好的な笑顔を向けた。


「ああ。俺は……」


 本当は嘘でもクシナを裏切るような真似はしたくない。

 けれど、この一瞬すらも時間稼ぎ・・・・に使えるならば。


「俺は……〈剛鬼ゴウキ〉の部下に───」



 ──それは、一切の音無く。



 嗤う〈剛鬼ゴウキ〉の台詞を遮って、視界の端を閃いた。


 一条の、銀色の流星───否、それは“矢”だった。


 やじりから羽根に至るまで、鏡面のような銀一色。

 周囲の景色が映り込む、不可視の矢。

 ゆったりと流れる視界だからこそ、ぎりぎり捉えられる代物だ。


 まるで豆腐に釘を打ち込むように。

 それはするりと〈剛鬼ゴウキ〉の足元に突き刺さった。


「────っ!?」


 そこでようやく、〈剛鬼ゴウキ〉がそれに気づいた。

 俺と〈剛鬼ゴウキ〉は同時に矢が飛んできた方向を振り返る。


 けれど、そこには誰もいない。

 あるのはただ、壁一面のガラス窓のみ。


 ──否。


 ガラスの向こう側に聳えるビル群の、さらに奥。

 そこに、一際大きな建物がある。


 白亜の城の如き威容いようを誇るそれは───【循守の白天秤プリム・リーブラ】第十支部。


 ゆうに数キロは離れている。

 それでも確信できた。


 ──この矢は、あの場所から放たれたのだと。


剛鬼ゴウキ〉の判断は早かった。


「オマエら、撤退だ! 地面にノビてるヤツらを抱えろ!」


 言うや否や、両腕で地面を殴りつける。

 地面が爆発し、一瞬で辺りを粉塵が覆った。


 おそらく〈剛鬼ゴウキ〉は地下から逃げおおせるつもりなのだろう。

 確かに、今ならそれは可能だ。

 あの男は大雑把に見えて、繊細な戦術眼を持っている。

 それさえも視野に入っていたのだから、当然。


 ──この賭けは、俺の勝ちだ……っ。


 稼ぐ時間は少しでよかった。

 本来ならヒナタちゃんたちが倒されてしまうであろう、その間だけでいい。

 それだけで、こうなると分かっていた。


『最近はオマエらんとこの銀色女・・・に追いかけ回されてなァ。思う存分に暴れられてねェんだよ』


 〈剛鬼ゴウキ〉自身がそう言ったのだ。


 銀色女、それこそは──夜乙女やおとめリンネ。


 第十支部最強の天翼の守護者エクスシアである。

 彼女が〈剛鬼ゴウキ〉を追っているのなら、必ずやこの事態を捕捉してくれる。


 いくら〈剛鬼ゴウキ〉でも彼女を敵に回せば分が悪い。

 撤退せざるを得なくなるのである。


「…………っ」


 俺は踵を返すと、粉塵に紛れて黒ローブを収納。

 そのまま近くの店へと滑り込んだ。

 ドサッと壁にもたれかかると、


「────っはあああああああ……!! 緊張したああああ!!」


 俺は今までの息苦しさを振り払うように、大きく息を吐き出した。





 ──海抜約250メートル、【循守の白天秤プリム・リーブラ】第十支部・屋上。


 少女とも女性ともつかぬ年頃の女が風に吹かれていた。

 銀髪が、さらさらと優美に靡く。


 白亜の城の上にいて、彼女が纏うは漆黒の軍服。

 あちこちにゴシックロリィタ風の装飾が散りばめられている。


 その手には、小柄な体躯たいくに見合わぬ長弓が下げられていた。


「あの彼岸花のローブ、報告にあった〈刹那セツナ〉の部下か」


 独りごちるその声は、中性的な美貌の彼女にそぐう音色を奏でる。

 思い返すのは〈刹那セツナ〉の部下──〈乖離カイリ〉の行動。


「射線を遮らず、さりとて〈剛鬼ゴウキ〉には外からの射撃を気取られない好位置に立った。……偶然? いや、迷わず、あそこに立った。──まるで、ボクがそこを狙うと分かっていたかのように」


 まさかね、と微苦笑を溢しつつ、自分の妄想を一蹴する。


「だって、それじゃあボクらの──天秤リーブラの味方みたいじゃないか」





 ──この日、二人の新人天翼の守護者エクスシアが【救世の契りネガ・メサイア】有力構成員〈剛鬼〉及び麾下十数名と交戦した。


 少女たちは辛くも敵の攻勢を凌ぎ切り、民間人の被害者をゼロに抑える。


 この件は【循守の白天秤プリム・リーブラ】の評価を大きく上げ、またそれを成した二人の名声をより高みへと押し上げた。


 これよりしばらく、世論は彼女たちに沸くこととなる。


 ──本人たちの、忸怩たる想いを置いて。




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




「──と、いうのが本日のあらましです」


 正座をさせられながら。

 台所に立つエプロン姿のクシナに向けて、今日あったことを伝える。

 当然、クシナを裏切って〈剛鬼ゴウキ〉の下に付こうとしたこともだ。


 トントン、とまな板を包丁が叩く音が続いた。


「ふぅん」


 寄越されるのはぞんざいな返事のみ。

 帰ってきて早々(代償で)思いきり抱きしめたから、ちょっと機嫌が悪いように見える。


「いいんじゃない? ヒナタたちを助けるためにやったんでしょ。あたしも〈剛鬼ゴウキ〉のやり方は好きじゃないし」


 クシナは肩越しにちらっと俺を見て、また料理に戻った。


「雨剣ルイに関しては危ういけど……──ま、いざとなったら、あたしも手伝うから」

「ありがとう」

「別に」


 言葉少なに答えながらも、料理の手は止めない。

 こういう時のクシナは大抵、何か大事なことを考えている。


 どうやら怒っているわけではないようだ。

 てっきり、ルイとの綱渡りじみた関係をとがめられるかと思ったのだが……。


「…………」


 動いていい雰囲気でもないので正座のままじっとしていると、嫌でも考えさせられる。


 ───俺は、本当の指宿イブキじゃない。


 言わばこの世界の──『わたゆめ』という舞台の、外の人間だ。

 所詮、俺は舞台上の輝かしいキャラクターたちを眺めているだけの、一観客オタクに過ぎない。


 その俺が、傍陽ヒナタという少女の物語を変えてしまっていた。

 ルイの件しかり、今回の件しかり。

 原作とは大きく・・・異なる出来事が起きた。


 ルイの件は、俺が恨まれてるだけだし、別にいい。

 けれど、今回の〈剛鬼ゴウキ〉襲撃に関してはダメだ。

 あやうく人が死ぬ所で、ヒナタちゃんには怪我まで負わせてしまった。


 今回の襲撃に俺が関係しているのかは分からない。

 でも、全くの他人事とも思えない。

 なにせ原作では──俺がいない世界では、起こらなかった事件なのだから。


 この道を選んだとき、俺はこうも物語が変わるとは考えもしなかった。

 それはもう、浅はかだったとしか言いようがない。

 だから、今度こそ慎重に考えなければならないのだ。


 ──ただの一観客でしかない俺が、このままヒナタちゃんに関わっていて良いのかを。


「ねえ、イブキ」


 まるで狙い澄ましたかのように。

 まな板を叩く音が止まり、優しくも厳しくもない声音が俺を呼ぶ。


「貴方も、たまには鏡くらい見てみるといいわ」


 それだけを言い残して、料理の音が再開した。


「はあ……。なに、どういう──」


 かけられた言葉の意味を問いただすより前に、


 ──ピンポーン。


 と、ドアチャイムの音が鳴り響く。


「ごめん、イブキ。いま手が離せないから出てもらえる?」

「はいよ」


 そうして扉を開けた先にいたのは──顔を曇らせたヒナタちゃんだった。



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