3 眩しい夢からの目覚め

 その後、八尋達は一旦事務所へと戻ってきた。

 怪我もそうだが、レイアの精神的なダメージが大きい。

 一旦落ち着ける場所で休んだ方が良いという判断だ。


 そしてそれを促した烏丸はユーリの捜索を始める為に再び外へと出て行った。

 正直烏丸がこの場に居た方が安心ではあるが、烏丸曰く逃げられはしたものの拘束には成功しているらしく、それが解かれるまではまともに戦える状態ではないそうだ。

 その前に先手を打つとの事。


 篠原は事務所周辺の見張りを買って出た。

本人は念の為とは言っていたけど、多分気を使ってレイアと二人にしてくれたのではないかと思う。


 そう、二人だ。

 レイアと二人。

 俯き、塞ぎ込んだレイアと二人。


 レイアの傷はほぼ癒えた。

 自分と行動を共にする事によってレイアの肉体は烏丸の治癒魔術をも超える速度での治癒が始まる。

 あの程度の怪我なら然程時間は掛からない。

 だが、心は。


「……」


 下手に何も言えず、ただ隣に居る事しかできない中で、少し冷静になって考えてみた。

 何か言葉を掛ける為に、冷静になって考えるしか無かった。

 そして浮かぶ一つの答え。


 恐らく今、レイアは考えられる限り最悪な状況に置かれているのだと思う。

 突然強襲されて片腕を圧し折られるような大きな傷を負う。

 そんな程度でレイアの戦意が消えない事は分かっている。

 自分より強い相手と相対したとしても折れないのは分かっている。

 見てきた。ずっと、そういうレイアの背中を追い続けてきた。


 それでもレイアの戦意は消えた。

 消えて無くなりこの有様だ。

 つまり外的要因がこうさせているのではないのだろう。

 即ち、レイア個人の問題。


 ……突然動けなくなる程の、大きな問題。


 それが何かの見当は大体付いている。

 こうなった以上、もう都合の良い解釈は出来ない。

 そういう解釈ができなくなったから、下手に何も言えないのだ。


 ここから先に踏み込むのに、志条八尋という人間が躊躇っているのだ。


 踏み込んでしまえばもう戻れなくなるような、そんな感覚が全身を走るから。

 だからこれまでは掛ける言葉を探しているつもりで、実際は自分の中での覚悟を決める為の時間だったのだと思っている。


 そして今、それは決まった。


 レイアを見ていて、目を離すと消えてしまうように思えてしまったから。

 それを拒んだ。


「……思い出したんだろ、忘れていた記憶を」


「……ああ」


 そう答えるレイアの声音はこれまで聞いた事が無い程酷く重く、思い出した記憶が碌でも無い物であった事を確定させていく。

 そして今のレイアがその記憶を碌でも無いと思えば思う程、ユーリの話との結び付きがどうしようもなく強くなっていく。

 そしてレイアは問いかけてくる。


「八尋は……どこまで知ってる? 知り合いなのだろう、あの男と……ユーリ・ランベルと」


 先程連絡が来た時に八尋の口から出なかった、ユーリのフルネーム。

 これでもう確定だ。


「アイツは二年前に殺し損ねた猟奇殺人犯の女を殺害する為に別の世界からこの世界に来た。俺が知っているのはこの前南米でアイツと知り合った時に聞いたその話だけだ」


「……その時はそれが私だとは思わなかったのか?」


「状況だけを考えればレイアじゃない方が不思議な位だった。でもお前じゃない確信はあったんだ……お前がそういう事をする奴じゃないというのは分かっていたから」


「……でも結果そうだった」


「そうだな。お前がその調子って事はそうなんだろ」


「…………だったら!」


 レイアが泣きそうな声音で八尋の肩を強く掴んでくる。


「だったらなんで八尋は私の隣に居る! なんで平然と……違うだろ、それは」


「違うってなんだよ。なんだ? 俺はお前の過去知ってブチギレてぶん殴ったりすりゃ良かったのか? それこそ違うだろ」


「違わない……違わないだろぉ……ッ」


 そう言ってレイアは泣き出してしまい……そして言った。


「八尋は……ヒーローなんだから……ッ」


 きっとレイアは自身が裁かれなければいけない存在だと思っている。

 具体的に何をやったかまでは知らないが、世界の敵とされる程の事をやったのならば、きっとこれまで自分達が戦ってきたどんな敵よりも……そしてきっとかつて自分の人生を滅茶苦茶にした魔術結社の連中よりもその罪は大きいだろう。


 レイアなら、自分の事をそういう風に追い込む。

 ……そして八尋もそう思う。


 それだけの事をやった犯罪者を殺しに来たユーリはきっと正しく、こうしてレイアの隣で話をしている自分は間違っている。


「だからだよ……今現在を生きてるお前にとっては今日の出来事は紛れも無く理不尽だ」


 間違いなく正しくない事を言っている。


「俺は記憶が消えた程度で人格は変わらないと思っていた。精々一人称が童から私に変わった位で、それ以外は特に変わらないと。でも多分間違ってんだろうな。だから少なくとも俺の中では自分のやった事を棚に上げて理不尽とか言い出す一人称が童なクズと、今のお前は別人みたいなもんだと認識している……だから今のお前は悪くない」


 息を吐くように、思ってもいない事を垂れ流している。


「だからお前を助けようとする事には正当性があると思う」


 全部全部全部、間違いだ。

 正当性なんて何も無い……あってたまるかとすら思う。


 そうだ。こんな事に正当性などあってはならない。

 ……例えばの話だ。


 四年前の魔術結社の主犯がまだ普通に生きていて。

 記憶を失って綺麗な心を持つ真っ当な人間になっていたとして……その事実を知った上で。


 志条八尋という人間はその相手を許す事ができるだろうか?


 ……絶対に許しはしない。どんな形であれ罪は償わせる。

 理不尽だと思われようがそんな事は関係ない。

 確実に追い込んで潰す。

 息の根を止める。

 それだけの事をあの連中はやってきた。


 だとすればきっとそれ以上の事をやって来たであろうレイアが……許されていい筈が無い。

 そんな掌返しを許し始めたら何もかも破綻する。

 ただの個人的な感情論で都合良く物事を解釈し始めれば、もうこれまで戦ってきたような連中をどうこう言えない。


 だから、この話を始める事を躊躇っていたのだ。


「俺はレイアの味方だ。味方でありたいと思う」


 こんなのは、良い感じのヒーローとは程遠いから。

 自身が憧れた、烏丸信二というヒーローとは程遠いから。

 レイアに救って貰って、改めて目指してきたそういう道から背を向けて歩いて行かなければならなくなるから。


「……良いのか、本当にそれで」


「……いいんだよ、それで」


 良くはない。それでも。


「これでいい」


 志条八尋は積み上げてきた物を壊して踏みにじり、踵を返して進む事を決めた。

 それを決めてしまえば、枷が外れたように。ここからやるべき事が鮮明と浮かんできた。


 個人的な感情でレイアという大罪人を助ける為にやるべき事が。


 それが簡単に思いつく当たり、志条八尋というヒーローは紛い物だったのだろう。

 その程度の物だったのだろう。


 とにかく……そういう風に割り切れれば、思考はとてもクリアな物となった。

 ……夢を見るのはもうおしまいだ。

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