第24話 吸血鬼
ガス灯の明かりがまだ消えない早朝。
学園都市から南の丘に、緊張した面持ちの生徒たちが集まっていた。
緊急で招集された生徒とはいえ、全員が爵位持ちであることは、制服の勲章から見て分かる。
ただ、漏れ聞こえる私語から察するに、討伐経験はかなり浅いらしく、自信のなさが垣間見えた。
「男爵を授与されたばっかなのに、ついてねえわ」
「ここにいるの、フィオナ姫以外は位の低い貴族ばっかね」
生徒たちが指摘する通り、女爵や男爵など、位の低い貴族しか見当たらない。
「よくある話だろ。お偉いさんは重役出勤。片付いた頃合いにやってきて、偉そうに上から命令して手柄をかっさらうのさ。いつもみたいにな」
「おい、馬鹿。口を慎め」
愚痴を溢した者は、その知り合いと思しき隣に立つ人物から肘鉄をくらい、腹を抱えて悶絶していた。
幸いにも不敬な私語は他の誰かの耳に届かなかったらしい。
何人かの宮廷魔術師団は、慌ただしく支度を整えている。
いわゆるお立ち台と呼ばれる台座にフィオナ姫が立つ。
側付きの騎士が響き渡る声で「傾聴!」と叫べば、その場にいる全員が口を噤んでフィオナ姫を見上げた。
「緊急の招集にも関わらず、この場に集ってくれたみなに感謝を述べたい。今、フィラウディア王国の南部に千体の魔物の群れが出現した。最前線は宮廷魔術師団と騎士団によって侵攻を食い止めている状況だ」
誰もが固唾を飲んで、フィオナ姫の言葉に耳を傾けている。
十二の娘とは思えないほどの威風堂々たる振る舞い。
毅然とした態度に、言葉遣い。
何かと舐められがちな五歳の姿をした私とは違う。
「我ら第十八討伐部隊は、最前線を突破した魔物を迎撃する。我らが最終的な防衛ラインであることをしかと胸に刻んで欲しい」
集った生徒たちに動揺が走る。
周囲の生徒たちの声によれば、緊急の招集自体が珍しいのに、討伐隊どころか防衛の要を任されるのは異例らしい。
これまでは、精々が補給支援がメインだったそうだ。
デイビット先輩やエルサリオン、ミーシャの姿は見当たらない。
どうやら他の部隊になったようだ。
無事でいて欲しい。
「鎮まれ!」
側付きの騎士が叫ぶ。
迫力のある怒号に生徒たちは怯んで口を噤んだ。
場が静まったのを確認して、フィオナ姫は演説を続ける。
「みなが不安になるのも分かる。しかし、我らの部隊には『銀灰の魔術師』がいる事を忘れるな。魔法祭にて、曇天を晴天に変えた魔術師の偉業を見なかった者はいないだろう!」
周囲の視線が私に向かう。
いきなり話題に出された私は、困惑した。
『こんな五歳児が?』という疑いの視線と、『あの話題の!?』と興奮した期待の視線。
私の方が聞きたい。
銀灰の魔術師と誰が言い出したのかを。
実はこっそり気にしている若白髪を指しているのか?
いやいや、ネガティブに考えるな。
銀灰ってクールな感じの色だから、きっと氷系の魔術の腕前を評価されたんだ。
「『銀灰の魔術師』リル・リスタは、入学早々、何件もの魔物の討伐依頼を完遂させている。彼女がいる限り、我々が魔物に負けるはずがない。そして、万が一、怪我をしたとしても、私の魔法で治してやる!」
フィオナ姫の言葉に生徒たちが沸き立つ。
先ほどの不安そうな表情は消え、熱に浮かされたようにフィオナ姫を讃える。
あまりにもチョロ過ぎる。
あるいは、これが王家の人身掌握術とやらか。
どうしよう。
何か知らないうちに第十八討伐隊の希望に祭り上げられてしまった。
エルサリオンに連れ回された魔物討伐を引き合いに出されるとは思わなかった。
前世でも、上司から褒められた後に難しい仕事やトラブルの仲裁を頼まれた事があった。
だからだろうか。
立場が上の人に褒められると、なんとなく嫌な予感がして身構えてしまうのだ。
演説を終えたフィオナ姫が台を降りる。
代わりに宮廷魔術師団の上級魔術師が台に立ち、作戦の説明を始めた。
「前線との情報を我々『宮廷魔術師団』がやり取りする。前線を突破した魔物の数や特徴を伝えるので、慌てず騒がず、油断しないで警戒するように」
作戦の内容はかなりシンプルなもの。
見晴らしの良い丘の上に陣取り、魔物を見つけたら攻撃魔術で討ち取る。
手負いの可能性が高いから、反撃に気をつけるようにと警告だけを伝えた。
作戦の説明を終えた上級魔術師が台を降り、具体的な指示を細かく一人ひとりに割り振っていく。
恐らく、一気に説明するよりも、必要な情報だけを伝えた方が良いと上級魔術師たちは判断したのだろう。
魔物討伐の経験はあっても、集団で動くとなれば勝手が違う。
いつの間にか私の隣に立っていたフィオナ姫が口を開いた。
「リル・リスタ女爵」
「はい、なんでしょうか」
「有事の際は、身分に関係なく動きなさい。このフィオナ・フィラウディアが許可します」
「えっ……?」
困惑を深める私の耳元で、フィオナ姫が囁く。
底冷えするほどに冷徹な声だった。
「この件、我が元婚約者のアレクサンダー・シュナウザーとリンガ・フォルテッシモが裏で糸を引いています。恐らくは、私と貴女を殺害する為の」
「その話は確かなのですか? 既に二人は貴族籍を抜かれ、監獄に放り込まれたと伺いました。この件に関わるだけの力があるとは思えないのですが」
リンガ・フォルテッシモ下級魔術師。
私が貴族学園の入学試験を受けた際、高圧的な態度を取った挙句に攻撃してきた事で、ベルモンド教授に咎められた。
アレクサンダー・シュナウザー。
貴族学園の四年生で『魔法主義』の代表だった。魔法祭前日にデイビット先輩に決闘を挑んだ際、婚約者のフィオナ姫を賭けの対象にして問題となった。
貴族向けの新聞にて、二人は正式に貴族籍が剥奪、懲役刑が処されたと報道された。
名前と顔を知っているだけに複雑な思いで紙面を眺めていたから、よく覚えている。
私の問いかけにフィオナ姫は顔色ひとつ変えずに答えた。
「監獄の管理も貴族が行っています。熱心な『魔法主義』の支持者は、王家や法よりも思想にしがみつく」
その目は、遠くを見ていた。
私が想像するよりも、遥か遠くの景色を。
子どもがするような目つきではない。
「後手に回っている以上、油断や迂闊な行動は首を絞めると心構えなさい」
「承知しました」
どうやら敵は魔物だけではないらしい。
私は気を引き締め、周囲を警戒する事にした。
父さんと母さん、ルチア姉さんのいる街は無事だろうか。
安全である事を祈るしかない。
フィオナ姫の警告を胸に留め、作戦の舞台となる丘の上で待機する。
昇りゆく朝日が、フィラウディア王国の土地を照らした。
島の中央を湿原が占める独特の風土。
朝や夕方に重たく横たわる霧は、島を取り囲む海から吹き付ける風がもたらす。
湿原を駆ける影を見つける。
一つや二つどころではない。
軽く見積もっても、十はある。
魔物の中でも厄介な、肉食の特性を持つ個体だ。
蛇の尾、鷲のような羽根に人よりも大柄な狼の胴体。
「そんな、馬鹿なっ! 総員、攻撃じゅん────」
目を見開いて、指示を叫ぼうとした上級魔術師の喉に矢が突き刺さる。
目の前で人が倒れるのを見た生徒たちは悲鳴をあげ、腰を抜かした。
「リル・リスタ!」
フィオナ姫が叫ぶ。
怪我人は任せろと彼女の顔が語っていた。
十二の子どもが、自分の責務を果たそうとしている。
前世の記憶を持つ大人として、自分よりも歳下の子が頑張っているのに怠ける訳にはいかない。
「分かってる!」
上級魔術師の負傷に気を取られ、悲鳴を上げた生徒に噛みつこうとした魔物に向けて『雷』を放つ。
感電して動きを止めているうちにトドメを刺す。
エルサリオンに連れ回されたおかげか、すっかり血や魔物の殺意に慣れてしまった。
「数が多いな……!」
魔物の俊敏な動きに、生徒たちが対応できていない。
放たれる生徒たちの『火球』を魔物は避け、ぐるぐると囲い込むように輪を描き始める。
目視で数える限り、九体。
いずれも大柄で、肉食型。
初めての魔物討伐で仕留めた草食型は、猪突猛進な攻撃が特徴だが……
肉食型は、狩りに精通している。
『いいか、リル・リスタ。肉食型の魔物は「賢い」。多数に囲まれたら、迂闊に攻撃するよりも反撃を狙え』
エルサリオンの言葉が脳裏を過ぎる。
いつでも反撃できるとちらつかせながら、周囲に視線を素早く向けて上級魔術師を狙撃した存在を探す。
矢。
人が使う飛び道具だ。
私やフィオナ姫を狙う為に、何者かが指揮系統を狂わせた。
……見つからない。
魔物の影に隠れて、この場を離脱したか?
あるいは、次の機会を伺っているのかもしれない。
四方八方から向けられる殺気。
学園生から向けられる期待と縋るような視線。
年代はバラバラだが、全員が前世の私よりも歳下だ。
「全員、フィオナ姫を囲って。そこが安全だから」
恐慌状態に陥った生徒をフィオナ姫の近くに下がらせる。
側付きの騎士が視線で私に問いかける。
何をするつもりなのかと。
「救援や増援は期待できない状況ですよね?」
騎士が渋い声で答えた。
「連絡を取れる上級魔術師が怪我で行動不能。これだけの群れが最前線を突破している以上、他も手が回らない状況だろうな。フィオナ姫だけでもこの場を逃がしたいが……」
のそりのそりと闊歩する魔物たちは、徐々に円を狭める。
見晴らしのいい場で陣を構えたのが不利に働いた。
立てこもるスペースはない。
「まあ、無理でしょうね。明らかに魔物たちは魔術師との戦い方を理解しています。
「では、どうすれば?」
「殲滅します」
「えっ?」
私は魔物に向けて、これ見よがしに『火球』を放つ。
すぐに魔物は素早いステップで避け、鋭い牙を剥き出しにして飛び掛かってきた。
すかさず二発目を放つ。
モンテスギュー子爵が考案した高威力の『火球』。
ベルモンド教授と実験を重ねて実現させた爆風の範囲指定。
それを超至近距離で爆発させる。
草原に響き渡る生徒たちの絶叫。
おかしいな。
彼らに怪我どころか、火傷一つもないはずなんだけど。
「お、落ち着いて、みんな。魔物はもう倒したから……」
生徒の一人が目を開く。
それから、慌てて体をぺたぺたと触り始めた。
「い、生きてる!? ここは地獄? それとも、天国!?」
「誰も死んでないですよ。落ち着いてください」
「落ち着けるわけがないでしょ! 私、たしかに爆発に巻き込まれて……でも、誰も怪我してない……」
ようやく周囲の状況を飲み込めた生徒がキョロキョロと見回す。
遠くに焼け焦げた魔物の亡骸が転がっているのを見て、露骨に顔を顰めた。
「ど、どうやら本当に魔物を倒したみたい……」
一人の生徒が落ち着きを取り戻すと、続々と生徒たちが安堵のため息や涙をこぼし始めた。
爵位持ちの生徒たちが多いとはいえ、本格的な軍事活動は初めての者も多いのだろう。
青ざめた顔に、手足が震え声は上擦っている。
フィオナ姫の様子を確認する。
上級魔術師の容態も落ち着いたようで、生徒たちを宥める為に声を掛けていた。
「狙撃手は逃げたか」
フィオナ姫の忠告を思い出す。
リンガとシュナウザーがこの件に絡んでいるという話だ。
魔物を退けた今、疲弊した状況を狙って姿を現すと思ったが……。
ぞくりと悪寒が走る。
空を見上げれば、そこには件の二人がいた。
リンガ・フォルテッシモ。
アレクサンダー・シュナウザー。
二人は背中から生えた大きな蝙蝠翼を優雅にはためかせ、黒のタキシードを着用していた。
リンガの白のシャツには血痕が染み付いている。
小脇に抱えた生徒を地に投げ落とす。
咄嗟に『暴風』で生徒の落下の速度を緩め、素早く回収する。
首筋にいくつもの刺突痕がある。
真っ青になった顔には血の気がない。呼吸も弱々しい。
まるで、何時間にもわたって血を抜かれたようだ。
フィオナ姫がヒュッと息を飲んだ。
「シュナウザー、貴方、どこまで堕ちるつもりですか!」
シュナウザーは嗤う。
赤い瞳を爛々と輝かせ、蝋のように白い顔に裂けた口を歪めて醜悪な笑みを浮かべる。
「堕ちる? はは、面白い事を言うな。俺は選ばれたんだよ。大いなる意志、この世界の全てを超越する偉大なる御方に!」
シュナウザーの表情を見て、私は確信した。
あれは話し合いが通じる状態じゃない。
「見てくれよ、この『吸血鬼』になった体を! 並大抵の攻撃では傷もつかない。吸血鬼になった時の瞬間を思い出すだけで、歓喜に震える!」
異様に興奮し、饒舌に捲し立てている。
まともな精神状態ではない。
貴族学園の授業内で、魔物に関する講義はあったが、人型の魔物など聞いたこともない。
他の生徒たちも同じようで、困惑と怯えが伝播していた。
それでも、知識のない私たちでも分かる事がある。
あの二人は、間違いなく『敵』だ。
既に、どこかで生徒の一人を襲い、傷つけた。
「シュナウザー、あの御方を待たせる訳にはいかない。さっさと目的を済ませるぞ」
「ああ、分かってるさ。いちいち指図するんじゃねえよ、折角の良い気分に水を差しやがって。ほんの数週間、先に吸血鬼になった分際で俺に命令するんじゃねえ!」
シュナウザーは怒鳴ったかと思えば、こちらに向き直って下品な笑みを浮かべる。
「へへ、食事の時間だ。初めて飲むのは処女の血、それもフィオナ、テメェのものと決めてたんだ……!」
あまりにも生理的嫌悪感を想起させる笑みを目にした私は、リンガやシュナウザーへの情を捨てる。
相手はこちらを害するつもりだ。
飛行しているだけでも厄介なのに、シュナウザーの話によれば頑丈な体をしているらしい。
手加減すればやられるのはこちら。
未知の魔物『吸血鬼』二体との戦いが始まった。
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