千度目の春
富本アキユ(元Akiyu)
第1話 千度目の春
何百回も繰り返す季節の中、僕の心はあの人だけを想い続けていた。
僕が怪異の肉を食らってから、もうどれくらいになるだろうか。何十年。いや、何百年。平安時代は終わり、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と時代は目まぐるしく変わってきた。
怪異の肉を食らいし者は、不老不死の力を得る。
僕が不老不死を選んだ理由は、もう一度あの人の魂に巡り合うためだ。
先の怪異との戦いで命を落とし、僕よりも先に逝ってしまった、誰よりも魂の美しいあの人に。
叶う事ならば、もう一度、あの人と笑い合える日が来ることを願っている。
今の僕は、名を雨色千春と名乗っている。
もうこの世に生を受けてから千年目の春だから、自らを千春と名付けた。
だが、名など今更どうでもいい。大事なのは、己の魂の存在であり、自身の魂さえ、その場に明確に在ればそれでいい。
元号は令和となり、今までの常識とされていたものが覆り、激動の時代が続いている。時代は情報社会。ありとあらゆるものがネットで繋がり、可視化された世界だ。
世界は箱庭と化している。
平安の世からすると、とてもではないが、想像の出来ない世界だ。
僕の年齢は一応、二十歳という事になっている。もし千年を生きている不老不死の身であることを、他人に知られたらと思うとゾッとする。騒ぎになり、僕は人捜しどころではなくなるだろう。
そこで身を隠し、社会に適応するため、僕も仕事を持つことにした。
学生という選択肢も考えたが、学費を稼ぐ必要があるし、時間を学業に束縛されたり、数年毎に学校を転々としなくてはならない等の問題点があるため、選択肢から除外した。だから今、僕が選んだのは、コンビニエンスストアでのアルバイト。いわゆるフリーターというやつだ。
別に金なんて稼ぐ必要はない。天涯孤独の身であり、養うような家族もいない。
皆、平安時代に死に、別れを済ませている。正直、何百年も前の事で、もう顔すらもろくに思い出せない。
僕は不老不死で病気知らず。食事もする必要がない。
故に文無しでも生きていけるわけだが、住む場所を維持するための家賃は支払わなければならない。
それからネット環境というものは、使ってみると実に便利だ。人を探すには、効率が良い。
家賃とネット環境の為だけに働いているといっても良いだろう。
コンビニの仕事は、客が購入する商品を会計するのが主だ。他にも品出しや掃除などの業務もあり、仕事は思っていたよりも多く、仕事中はそれなりに忙しい。だが、それも悪くない。何もしていない時間の方が辛いのだ。
今日もまた、いつも通りの仕事をして家路につく。
アパートの部屋に戻ると、スマホを取り出して画面を見る。
すると一通のメールが届いていた。差出人は―――。
『黒井芽衣子』と書かれていた。
その名前を見て思わず笑みを浮かべてしまう。
それは彼女の名前だ。
そのメールアドレスは、僕が彼女に教えたものだ。
彼女は無事だったのか?
あるいはアドレスを変えたかと思ったが、まだ変えていなかったようだ。
本文を読むと『お久しぶりです。先程、千春さんのPC宛に送った画像を見てください』と書かれている。
僕はすぐにメールに対して返信する。
『久しぶりだな。新聞見たよ。交通事故に巻き込まれて重傷だったって。体はもういいのか?』
すると、すぐに返事が返ってきた。
『ええ。足の骨折はしましたけど、なんとか。もう歩けますし』と書いてあった。
添付されていたファイルを開くと、そこには一枚の写真があった。
写真の中で女性が微笑んでいる。
それを見た瞬間、心臓が大きく高鳴った。
そこに写っていたのは紛れもなく彼女だ。
艶やかな長い髪に整った目鼻立ち。そして何よりも澄んだ瞳。
間違いない。僕はこの人のことを知っている。
千年の間、探し続けてきたあの人の容姿に瓜二つだ。
一瞬、気を失いそうになったが何とか堪えた。
だがいや、まだ期待するには早い。これは他人の空似で、ただ似ているだけの可能性もある。
そう自分に言い聞かせながら、もう一度よく写真を凝視する。
やはりそうだ! この女性の魂の感じ。
この人の魂の色を間違えるはずがない。
ようやく見つけたぞ。僕の愛しき人を。
この世に生まれ落ちてから千年目。やっと巡り合えた。
ずっと探していた魂の持ち主と。
僕は居ても立ってもいられず、芽衣子に電話をかけた。
電話に出た芽衣子は、どこか緊張しているようだったが、そんなことはどうでもいい。
今は彼女と直接、話をしたい。
「もしもし、千春さんですか?」
「ああ、千春だよ。この女性は今どこに?」
僕は逸る気持ちを抑えられなかった。
つい声色が荒くなってしまっていたが、気にしない。
それよりも早く彼女の居場所を知りたい。
だが、芽衣子の声は妙に落ち着かない様子で、「それが……」と言い淀む。
なんだ? 何か問題があるのか?
まさか、既にこの世にはいないとかいうんじゃないだろうな。
すると次の言葉を聞いて、僕の頭から血の気が引いた。
「実は私、交通事故のショックで部分的に記憶喪失になっていまして……最近の記憶が曖昧なんです。私が敏腕女探偵で、千春さんから人探しの依頼を受けていた。それは覚えているんです。ですが、この女性の事はさっぱり記憶になくてですね……」
芽衣子は、申し訳なさそうな口調で言う。しかし、自分の事を敏腕女探偵などと言うのか。
彼女はもう少し謙虚になった方が良い。
嘘……だろう。
ここまで来たというのに、あと一歩のところで手が届かない。
何故だ? どうしてこうなる?
せっかく、千年の間、こんな時代になるまで探して続けて来たというのに……。
僕は力なく床にへたり込んだ。
「でも」と芽衣子が続ける。
「でも、どうしてもこの女性に会いたいというなら、協力しますよ。あ、でも、お金の方は前払い制なんで、よろしくお願いしますね。もう契約期間は切れてますので、依頼するなら追加料金が必要です」
金か。金など腐るほどある。
だが、彼女の言うとおり、金を払う事で手伝ってくれるのならば、払うべきかもしれない。
「分かった。いくら払えばいいんだ?」
「えっと、とりあえず前金を十万円頂ければと」
「わかった。君の口座に振り込ませてもらう」
「ありがとうございます」
こうして僕は、再び彼女に依頼する事になった。
数日後、僕は芽衣子と会う約束をした。
場所は、前にも待ち合わせに使った喫茶店だ。
コーヒーを飲みながら待っていると、彼女がやってきた。
芽衣子の服装は、デニムパンツにシャツといったシンプルな格好だ。
髪も後ろで束ねている。
だが、それでも美しく見えるのは、素材が良いせいだろうか。
僕は椅子に座りながら挨拶をする。
「こんにちわ、芽衣子さん。わざわざ来てもらって悪いね」
芽衣子もまた席に着くと、軽く会釈をしながら答えた。
「いえ、こちらこそ。ご足労いただきまして。とりあえず私の方で色々調べてみたんですが、手がかりになりそうなものは見つけましたよ。まずはこの写真を見て下さい」
そう言って、彼女は鞄の中から二枚の写真を取り出した。
僕はそれらを受け取り、一枚ずつ確認する。
一枚目の写真には、一人の男が写っていた。年齢は五十代くらいか。無精髭を生やしており、黒いスーツを着ている。
顔つきからは険しさを感じさせた。
そして一番気になったのは、その男の手に握られているものだ。
白い鞘に収められた刀のようなものを持っているのだ。
「これは?」
「なんでも、彼は剣道の達人だったらしくて、免許皆伝の腕前だったとか。剣道道場で指導しているそうです。それで自分の剣技を忘れないようにと、いつも肌身離さず持ち歩いていたみたいです。それにしても、この男の顔に見覚えはありませんか?」
言われてみれば確かに見たことがある。
そうだ、思い出した。地元のローカルテレビに出演していた。
「ああ。テレビに出てた人だな」
「それで次の写真を見てください」
促されるまま、僕は二枚目を見る。
そこに写っていたのは一人の少女の写真だ。
肩にかかる長さの黒髪に赤いリボンをつけており、制服姿に身を包んでいる。
可愛らしい少女であるが、それよりも気になる事がある。
「似ている。若い頃の彼女か?」
「はい。彼女は彼の剣術道場で昔、剣道を習っていた可能性があります」
「なるほど」
「その彼女の名前は、相川百花といいます。今は、ヨガスタジオの受付をやっています」
「そうか……。もうそこまで調べてくれたのか」
僕は手元にある写真を眺める。
まだ、ほんの少しだけ希望がある。
「ありがとう。このヨガスタジオを当たってみるよ」
「頑張って下さいね」
「ああ、君も元気でな」
「はい。もし何か情報をつかんだら、また連絡しますね」
芽衣子は笑顔で答えると、そのまま店を出て行った。
僕はコーヒーを飲み干すと、店を後にし、駅へと向かう事にする。
電車に乗り、目的の駅で降りると、そこからは徒歩で移動する。
目的地は駅からすぐ近くのビルの中にある。
入り口を通り抜け、エレベーターに乗る。
すると、そこには『Yoga Studio プラカーシュ』と書かれた看板があった。
どうやらここが、芽衣子が言っていた場所のようだ。
中に入ると、様々な種類のヨガマットが並べられていた。
奥の方では、何人かの女性達がストレッチをしている。
その横を抜けていくと、受付が見えてきた。
そこでは髪を一つ結びにした若い女性が座っている。
僕の姿を見ると、女性は声をかけてきた。
「こんにちわ。体験レッスンですか?」
「あー、いえ、あの、ここで働いている相川百花さんに用事がありまして……」
「あぁ、それなら今日はいないですよ。相川は本日、お休みを頂いておりまして、代わりに私が」
「そうですか」
「何かお伝えしておきましょうか?」
「いえ、結構です。また伺います」
「わかりました。またよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる女性に対し、軽く会釈しながらその場を離れる。
いないのか……。
まあいい。また日を改めて来ればいいだけの話だ。
僕は踵を返し、出口に向かった。
そのままマンションに帰ってきたが、ふと頭に疑問が浮かんできた。
彼女になんて伝えようか。
まさか、君と前世で愛し合っていた仲だったんだ。なんて言えばいいんだろうか。
いや、それでは、昨今の時代、通報されかねない。
どうする。次に会いに行く時までに考えなければならない。
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