あたためつづけた思いのゆくえ

白星こすみ

むすんで、ひらいて

「なあ、歩きにくいって」

「さむいからいーじゃん。それか、からかわれたの気にしてる?」

「そんなんじゃねーよ」

「あしたバレンタインだねー。たのしみ?」

「……オレさ――」


 あのとき、修司はなんて言ったんだっけ。

 

「は? 信じらんない! なんでそんなことゆーの!」

「おい、春!」

「しゅーじのバカ! もうしらない!」


 ――――


 ひやりと冷たい風に身震いする。ドアが少し開いていた。バレンタインの放課後、私は教室の隅で燻っている。予定ではチョコのように甘いひとときを過ごすはずだったのに。

 

 今ごろ幼馴染で同じクラスの宮田修司にチョコを渡して、手を繋いで一緒に帰っているつもりだった。別れ際のハグで彼の温もりを感じて、もしかしたら、その先も――。


 妄想の最中、聞き慣れたチャイムの音がひとりぼっちの室内に響いた。私ははっとして時計を見る。もうすぐ下校時間だ。


 「はぁ」


 がっくりと肩を落とす。修司は放課後すぐ、隣のクラスの女子から呼び出されていた。今ごろはその子と一緒に帰っていることだろう。小柄で内気そうで、お人形さんのように可愛らしい子だった。

 

 私と正反対だ。私の女子力は低い。睨まないでと言われたことは何度もあるし、それで言い争いになったこともある。そのくせチョコを渡す勇気は足りないのだ。自分のことながら嫌になる。つり気味の目尻を指先でぐりぐり虐めた。


 もう、やめよう。


 のろのろと帰り支度をはじめた。出しっぱなしの筆箱とノートを片付けて、机に手を入れる。中からかわいらしいラッピングの包みが一つ。軽く揺らして、恨めしげに指でつついた。ベイクドチョコを用意したけれど、今年も渡せなかった。帰ってお母さんからお父さんに渡してもらおう。


 どうしてこんなことに。

 

 小学六年生のとき、ケンカをした。それが不幸にもバレンタインの前日で、どうしても修司を許せなかった。結局その年は渡さなかったのだが、それが後悔のはじまりだった。

 

 それからなんだか疎遠になって、また話すきっかけを掴めないまま四年が過ぎた。高二の冬、つまり今年こそ仲直りしようと意気込んできたはずなのに。


「修司のバカ」


 八つ当たりである。でも罵る理由がないわけではない。修司が女の子に呼び出された直後、私と目が合ったのだ。一瞬どきりとしたけれど、それは私だけだったらしい。修司は気にした様子もなく、彼女について出ていってしまった。


「……バカは私か」


 染みついた温もりを求めて、修司の机の隣に立つ。今年は最後のチャンスだった。渡せなければ来年は受験シーズン真っ只中、お互い学校に来ている保証はない。さらに再来年、大学生になれば会えるかどうかさえ怪しい。


 こみ上げるさみしさを紛らわすように、そっと机を撫でる。天板は氷のように冷たかった。


 認めよう。手渡しには失敗した。ならせめて机に忍ばせておこうかとしゃがみ込む。中を覗きこんで、いよいよ泣いてしまいたくなった。まるで、机さえも私の後ろ向きな決意をあざ笑っているようだ。


「修司のヤツ、置き勉しすぎ」


 机はチョコ一つ入らないほどに詰まっていた。もしチョコでいっぱいなら修司は胸焼けを起こしただろうけど、中は教科書の山だった。胸焼けは私の方にやってきた。


 はみ出した答案用紙には堂々と書かれた彼の名前がちらりと見える。隣に書かれた結果はなかなかの高得点で、なんだか余計に落ちこんだ。

 

「ちぇっ」


 机の足をつま先で軽く小突く。モヤモヤを軽くするのにはそんな発散が必要だった。そうしてできた心の隙間には、いつもならすぐに修司への愛しさで埋まってしまうのだけれど。


「は……南野?」


 心臓が飛び出しそうになった。ぎょっとして振り返ると、修司がいた。寒さに身を縮こめた彼は、私を見つけた姿で固まっているみたいだ。先に入ってきた外気が私を包んで、一緒に凍りつかせようとしていた。体は思うように動かなかったけれど、反射的にプレゼントは後ろ手に隠していた。


「しゅ、修司なんで」

「俺の机、蹴ってた?」

「いや、違くて……」

 

 声が震えた。だって違わない。この気持ちをどう説明すればいい? 下手な言い訳でまたケンカになったら? 不安が流れ込んで喉の奥につっかえる。そんなの一生後悔するに決まっている。


 一生?


 数年でもこんなに苦しんだのに?


 一生だったら、胸の奥で暴れる熱に焼きつくされて、心に黒いものがこびりついてしまいそうだ。落ち着いていられる自信がない。


 彼がじりじりと近づいてくる。なにか、なにか言わなきゃ。口だけがぱくぱくと動いて、でもろくな言葉は出てこなかった。


「あ、私……」

「ごめん!」

「えっ」


 彼が頭を下げた。どうしていきなり謝罪なのかという疑問。その答えに、最悪の可能性が頭をよぎった。

 これは拒絶だ。差し出されるのも始末が悪いと、そういうことだ。胸の熱がじわりと目に集まってくる。ああ。突き離されるなら、何もしなければよかった。


「あの日のこと、謝りたかった。春がくれるチョコだったらなんでも嬉しいから!」

「うぇ……え?」


 泣きそうな顔のままぽかんとした私は相当まぬけな表情をしていたと思う。修司が下を向いていてよかった。私の疑問符に、修司もまた戸惑ったような声で確認してくる。

 

「……怒ってたんじゃないのか? 小六のとき、俺がチョコはベタベタするから嫌って言ったの」


 そう言われて、はっとした。あの日の私が怒っていた理由。そういう要望があるならもっと早く言ってほしかったと、そう思ったんだ。頬が緩む。意地っぱりな子どもの私に。ずっと覚えていて、こうして頭を下げてくれた修司に。


「いつの話をしてるのよ、バカ」


 急いで目元をぐしぐしこすって顔を取り繕う。私はこれまでの葛藤なんてすっかり忘れてしまっていた。代わりに、熱い想いによく似た、暖かい気持ちでいっぱいになる。言いづらいことは修司が先に切り出してくれた。私は自分の気持ちを早く伝えたくなって、プレゼントを差し出した。

 

「ずっと好きでした。受け取ってください」

「……さんきゅ」

 

 彼は包みを受け取って、照れくさそうにはにかんだ。私の視線に気づいた彼と笑いあう。ほんの数秒で数年分のわだかまりは氷のように溶けていった。


――――

  

「でも、なんでここに修司がいるの? あの子は?」


 尋ねると、修司はきまり悪そうに頭をかいた。

 

「告白されたけど、断ったよ。春と目が合った気がして、それがどうしても気になってさ。これで勘違いだったらバカみたいだよな」


 やっぱり修司はバカだ。目が合うのは自分が意識してたからだってことをわかってない。だって私は、いつも修司のことを見てるくらいには大バカだから。私はなんだかおかしくて、くすくす笑う。


「一緒に帰るか、春」

「うんっ!」


 差し出された彼の手を取った。小学生のときよりごつごつとした、男性の手になっていた。ひんやりと外気の冷たさを帯びているけれど、私の熱は冷めたりしない。肩を寄せて両手でぎゅっと包み込む。寒いなら暖めてあげればいい。それだけの熱が、胸に溢れているから。

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あたためつづけた思いのゆくえ 白星こすみ @kosumi1704

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