引いたのは7番の大吉だった。

arm1475

「お前は殺したはずなのに」

 リンは地面にこぼれ落ちた7番大吉のおみくじをじっと見つめた。


「お前は殺したはずなのに何故――」


 困惑するその声がリンの耳を無情に打つ。――



 リンは長いこと抱えていた研究課題であった空間魔法のレポートを宮廷魔術省に提出し、城下町のカフェで一息吐いていた。

 注文したコーヒーを待つ間、テーブルの上に或るボール型の占い器に触れる。コインを投入してその日の運勢を占うおみくじが出てくるのだが、リンはこの手の占い器にはいつも裏切られていた。

 今日に限って、出たおみくじは最大の幸運を示す7番の大吉だった。


「ふふつ。職員になって早々難題押しつけられて、あたしってツイてないと思ったんだけどね……」


 魔素の制御という難題が、古書店を経営していた魔王の手元にあった禁書に記載されていた魔術回路を応用することで解決出来、それを応用することで次に予定していた他の課題も終わったのは僥倖だった。

一方で、問題解決の協力者が人類と敵対していたあの魔王というコトを隠さなければならないのが、リンには重い負い目になっていた。

 魔族は敵。

 長いこと人類と戦争を続けていた魔族の長が協力してくれたなどと誰が信じようか。


「ややこしくなるから黙っとれよな」


 冠位魔術師マスターアザゼンは苦笑いしながらリンに釘を刺した。

 どうやらアザゼンは魔王が魔界を追放されてこの城下町に隠れ住んでいた事を初めから知っていたようで、リンが魔王の指南を受けていたことも黙っててくれるコトを約束してくれた。

 長年の宿敵がまさかこんな親しい間柄だとはリンも想定外だったが、それ以上に一体いつ魔王がこの地に棲み着いたのか、そしてどうして魔王が追放されたのか、想像も付かないでいた。

 恐らく――リンは魔族との戦争が膠着状態になった辺りでは無いかと推測する。


(最後に戦闘があったのは……あたしが生まれた年だったかな……?)


 傾げるリンは注文していたコーヒーを口にした。そしてテーブルの上にあった占い器に触れた。


 魔王に指南を受けている間、リンはある事を考えていた。

 これは絶好の機会なのでは、と。

 長きにわたる人類と魔族の戦争。

 宿敵同士だった冠位魔術師マスターアザゼンと魔王のあの親しさ。 

 もしかすると、人類は魔族と分かり合えるのかも知れない。ひいては戦争も――

 

(あたしって本当はツイてるのかもしれない)


 リンは7番の大吉おみくじをポケットにしまうと席を立って、魔王の古書店に足を向けた。


 魔王は珍しく留守だった。

 商店街にでも顔を出しているのかな、と思ったその時、リンは背中に強い衝撃を覚える。

 何事? と振り返ろうとした時、リンは自分の胸から長剣の先が生えていることに気づいた。

 声が出ない。肺を貫通していたそれに呼吸を遮られてしまったようである。リンはその場に崩れ落ちた。視界には、刺された時にポケットからこぼれ落ちた、7番の大吉のおみくじが転がっていた。


「……魔王暗殺に来たはいいが、まさか貴様と巡り会うとはな」


 リンはその侮蔑の声を浴びせられたが聞き覚えはなかった。

 リンを後ろから刺した人物は、剣に付いた血を薙ぎ払った。苦しさの中で確かめたその顔にも見覚えは無いが、目の色や肌の色から魔族である事は分かった。

 前に魔王が言った、自分を暗殺しに来る存在とはコレのことだったのだろう。

 だが何故、面識もない魔族に刺されなければならないのか。

 人間だから。身も蓋もない話だが、それでも動機があんまりである。

 魔王に学んだから? 魔王と親しかったから?

 いや、何故この魔族の面識のない暗殺者は自分を知っているのか。


 おうか。


 ふと、アザゼンが魔王の古書店にやってきた時のことを思い出した。

 何故あの時、人類最強戦力で雲の上の存在だった冠位魔術師マスターアザゼンが自分のことを知っていたのか、リンは訊くことを忘れていた。


(大吉引いたのに……やっぱりあたしツイていないな……せめて最期に魔王さんあのひとに逢いたかったな…………)

「魔王の留守に居合わせたのも何かの宿縁か。その首切り落として晒してやるわ、


 暗殺者はもうろうとするリンの頭を掴み、首元に剣先を突き立て一気に斬り裂いた。

 刹那、斬り裂かれた部位がほどけた。そしてそこから無数の糸が噴き出し、暗殺者の全身を捕縛する。

 暗殺者は突然のコトに何が起こったのか理解出来なかった。そして魔素で紡がれた魔糸に捕縛されたまま全身を引き裂かれて無惨な肉塊へと変わり果てた。

 一部始終をリンは朦朧とした状態で見届けた。

 

 暗殺者の剣はほどけた魔糸に埋もれて、地面に無様に転がった。

 リンは何が起こったのか理解出来なかった。

 自分の身体が突然魔糸に変わり、暗殺者の凶刃を免れた上に暗殺者を撃退したという事実は到底受け入れがたい事実だった。


「刺されたのに……身体が……そういえば気が動転していたけど刺された痛みは無い……何が……」


 起き上がったリンは何者かの気配を感じて振り返った。

 そこには物憂げな魔王が佇んでいた。


「……良かった、

「え――」


 困惑するリンの身体を魔王は抱きしめた。

 リンは唖然としていたが、やがて安堵の息を吐いて魔王の背に手を回した。



                  おわり

 

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