大天使

かえさん小説堂

大天使

 光り輝く太陽が輝きを増している。それは比喩ではなく、まぎれもない事実であった。


 人は絶大なる化学力と技術で、自らが描いた未来へと、着々と歩みを進めている。そしてそれはもはや、数々の天才たちによって過去へと変えられていたのであった。


 しかし、その代償とでも言おうか。技術の進歩、人間がやたらと楽を追い求めることへの罰と言う者もいる。


 街中にドローン型監視カメラの導入が認められたころであろう。来たる真夏の八月三日、その天罰が、一つの現象となって現れてしまったのである。




 彼は気味が悪いほどに冷え切った一室のなかで、その童顔に似合わない白衣の袖をさすっている。幼さを見せる丸い輪郭に不釣り合いな四角い黒の眼鏡はビン底で、だらしなく下がった目じりを少しばかり小さく見せていた。


 もう何度目かのあくびを噛み殺し、先ほどまで突っ伏していた机の周りをうろうろとする。冷房のリモコンは、散乱している白い紙の山のどこかに埋もれているのであろう。


 著しいデジタル化が進むなか、技術が進んだこの現代において、大量のデータを扱う研究員が紙を使って研究をするなど、不格好である。しかし彼は、パソコンを使って論文を書くことを許されない立場にあった。彼だけではない。この時代に生きる者の大半が、せっせと革新していったデジタル機器から離れつつある。


 彼が背中を丸めて紙束の中をあさっているなか、ふと、右手に当たったその一枚に目を向ける。


 八月の某日。それは人類の退化を告げられた日となった。真夏の、溶けてしまいそうな猛暑日であった。その日の気温はとうとう45度を超え、一歩外に出るだけで、自分が閉ざされたオーブンの中にいるかのような錯覚を見せるほどであった。


 そのとてつもない太陽光が、人類に影響を及ぼさないわけがない。


 事実、異変が起こるのにそう大した時間は必要なかった。人々の行き交う足元に、一体の機械が落ちてくる。


 ドローンだ、と、第一発見者の男はそう思ったそうだ。なんてことはない。この暑さのせいで故障でもしたのだろうと。しかしその次の瞬間から、何かのスイッチが切れてしまったかのように、次々と、街中のドローンが煙を上げてぽとぽとと落ちてくる。街中を鳥のように徘徊するその重機器たちが、うなりをあげて落下してくるのである。それも、人々の荒波の中に。


 怪我人が多数報告された。運悪く頭に直撃した者は、死亡したらしい。一種の新たな災害のようにドローンの雨が降り、その科学技術の罪がありありと見せつけられた瞬間であった。


 しかし、それだけでは終わらない。その事件を機に、我々人類に多大なる恩恵を与えてきた太陽様は、どんどんとその猛威を見せつけてきた。


 恒星の運命を、順調に進んでいる証拠ではある。ふとした瞬間に誕生した太陽君は成長し、今や赤色巨星になるという段階に入っていたのである。


 巨大化する太陽の熱は地球に伝わり、どんどんと気温をあげていく。彼から見れば、地球など、そこらにある塵と大きく違わない。


 今の研究で分かっていることは、太陽が膨張を続けているということ。そして、その膨張した太陽から、太陽光線という有害な物質を与えられているということである。


 俗的に、それは天使と呼ばれる。実際はただの光に似た物質だというだけなのに、人は無様にもそれらを神格化し、失礼なことながら、天使と形容する。今、彼の黒縁の眼鏡の奥から覗く目も、その天使の二文字を捉えていた。


 正式な論文にも使われる始末である。彼は嫌そうにその論文の紙を握り、わざとくしゃくしゃにして放り投げた。


「僕らが神なんてものに頼ったら駄目だろ……」


 そう呟いて、冷え切った部屋の中から、あきらめをつけたように外へ出る。




 太陽光線は通信機器等の電波を妨害する。電波どころか、ひどいときには、電子機器が丸ごと動かなくなってしまうことも珍しいことではない。


 そのため、人々はデジタル化から離れて、アナログへと逆戻りしなければならなくなったのだ。


 

 彼は大学のガレッジにある椅子に腰かけ、もうぬるくなり始めているアイスコーヒーを手に、ぼんやりと外の景色を眺めていた。


 八月である今は、得に太陽の暑さが猛威を振るっている。そのためか、大学の施設内には人っ子一人として見られなかった。いつもバカ騒ぎしているテンションの高い若者たちも、今ばかりは鳴りを潜めている。


 町中を飛び交うドローンもない。彼はあれがつくづく嫌いだった。監視されていて、逃げ場がどこにもないような閉塞感が、自由主義の彼にとっては窮屈でたまらなかった。それについては、今、彼の頭上で輝いている太陽に感謝をしなければならない。


 もはや直視はできない量の光を放つ太陽である。彼の手元のアイスコーヒーが揺れた。大昔よりもずっと、巨大化したあの恒星。


 彼の背後から、研究員のものであろう声がうっすらと聞こえた。その声にはいら立ちが覗いている。また機械が機能を停止したのだろう。


 それでも彼は、空間に熱を持つそこから動こうとはしなかった。ただぼんやりと、何かを考えているような顔をして、ぬるくなったコーヒーをすすっているのである。


「スギミネサン、ですか」


 ふと、彼に声がかけられる。不慣れな日本語をした、若い男の声。彼は振り返ることなく返した。


「何用かな?」

「貴方が、天使を止めるために研究をした、その人ですか」


 不慣れながらも、その発音はネイティブに近いものであった。


 彼はコーヒーを置いて振り返る。褐色の肌がそこに見えた。少し大きめの白衣から覗く黒い肌が、白衣の違和感を浮き彫りにしている。短く切りそろえられた髪は礼儀正しく整っており、外国人特融の、銀色が混じったような明るい目をしていた。


 青年は高い身長を折り曲げて、杉峯にお辞儀をして見せる。


「ワタシは、この大学の、学生の一人です。ガーミアといいます」

「英語で構わないよ」


 杉峯は、流ちょうな英語でそう伝えた。ガーミアと名乗った青年は、すぐに頭をあげて、早い英語で話し出す。


「そうですか。では英語で話させていただきます」

「ああ、その方がいい。それで、私に何用かな?」


 杉峯は終始、穏やかな表情を浮かべている。しかしその黒い目は何かを見据えるように重々しく、眼鏡の太陽の反射で、時折その顔がまぶしく見えるときがある。


 しかしその原因不明の威厳にも、ガーミアは物怖じせずに、ハッキリとした口調で言った。


「杉峯先生。天使を止めるための研究をやめてください」


 杉峯の表情が一瞬消える。だがすぐに元に戻し、声を意識的に和らげて返す。


「それはまた、どうしてかな?」

「先生の論文を拝見しました。天使は有害なものである。それは同意見です。しかし、天使は止めてはならない」


 杉峯は自分で気づかず、白衣のポケットに収めた右手で握りこぶしを作っていた。ガーミアが放った天使という言葉に、無意識的に嫌悪感を示したらしい。


「そう天使天使と、神格化しないで……。太陽光線と言ったらどうかな、君も研究員なのだし」

「呼称などどうでも良いのです。しかしあれは止めてはならないものです」

「新しい学説だね。聞こうか」


 杉峯は持たれていた背中を宙に浮かせ、前のめりになってガーミアの目を見上げる。一方のガーミアは、何か不思議な力を持った者のように無表情で、銀色がかった目線を下ろしていた。


「太陽光線は貧困をなくします」

「ほう」

「あれがもたらしたのは悲劇ばかりではありません。ワタシの故郷のアフリカを救ってくれた。ワタシの家族を救ってくれた。」

「それは一体、どういう根拠で?」

「もともと、ワタシの国は貧困の国として重宝されていました。貴方たちのような先進国で悠々と暮らす人には分からないでしょうが、ワタシたちはわざと、貧困にさせられていたのです。裕福な人に、もっと裕福になってもらうために。ワタシたちの国は荒廃していました。しかし一行に滅びませんでした。それはワタシたちの国が亡ばないように、うまく調整させていたからです」

「ほう」


 杉峯は一息入れ、話をつなげるように言葉を発する。


「確かに、貧困国があれば、自然とどこかの国が援助として金を出すからね。援助として出された金が上層部に吸われて、実際の現場には届かないと聞いたことがあるけど……。それで?」

「はい。今までワタシたちは、民族同士、物々交換という形で商いをして、生活していました。輸入として出される商品の出来損ないを隠れて盗んで、それを使って、一日を過ごしていました。……しかし、今は違います。ワタシはこうして大学に入って勉強することができ、故郷の家族は一日に三食もご飯を食べることが可能になったのです。何故だかお分かりで?」

「いや」

「天使があったからです。今までの国際的事象は、すべてデジタル化していました。それを天使が壊したからです。今やお金も無数の電子として、画面の中でやり取りされていた。それがすべて破綻したからです。ワタシたちはデジタルからかけ離れて生きていました。ワタシたちは被害を受けず、裕福な人たちのみが打撃を受け、結果的に、世界に均衡がもたらされたのです」


 杉峯からは、いつの間にか表情が消えていた。


「だからと言って、このまま我々の研究に支障をきたしたままで甘んじていていいと考えているの?」

「はい」


 ガーミアは平然とした様子で言った。


「人類はこれ以上成長しない方がいい。そうは思いませんか。町は変わってしまいました。人も変わってしまいました。ワタシが思い描いていた日本は、もっと伝統にあふれて、良いところだと考えていました。しかし今は、日本に限らず、乱暴で、粗悪で、無慈悲な人ばかりが生きるようになってしまった。だって、人と直接関わるよりも、気味の悪い画面を見つめている方がいいらしいですから。その場にいる生身の人間よりも、画面上の架空の数字と言葉の方が、価値があるらしいですから。これ以上技術はあってはならないのです。人が楽になると、平気で他者を貧困に突き落とすことができるようになるのですから……」


 そう言うガーミアの表情は、どこか神聖みがあった。聖職者が俗世の人間を見る目と同じであった。杉峯は腹の中の臓物が浮かび上がるような感覚を覚えた。何か神がかったような、薄い霧の中に、ガーミアの姿を見出している自分に気づき、はっと我に返る。


「お願いです。このまま人類を進めないでください。そしていつの日か、完全に滅亡するまで、どうかおとなしく、粛々と、生を全うしてください……」


 杉峯はすぐに返事をすることができなかった。

 ガーミアの生まれた日。それは奇しくも、八月の三日だったそうだ。

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