心理カードゲーム【確率8/9をひき当てろ!】

あぶく

博士と助手の横山君のある一日

「横山君。横山君。ちょっとこっちに来てくれたまえ」

見ると、実験室のドアから半身を覗かせた博士が手招きをしている。

玉ねぎを刻んでいる手を止めて、呼ばれるままに隣の実験室に行くと、博士はいきなりぼくの頭に七色のスイカネットのようなものを被せて、

「さあ、横山君。どれでも好きな数字を選びたまえ」

と、テーブルに並べられたカードを指さして言った。

スイカネットの頂点からは太いケーブルが伸びて、近くの巨大モニターへと繋がっている。

「わあ、博士。【カンタン装着・脳内みえ~る】、ついにできたんですねぇ」

「そうじゃ。できた。これをつければ、面倒な薬物注射などの事前準備なしで脳の動きが一目瞭然じゃ。脳波も神経伝達物質も、これを使えば丸見えじゃ」

博士はモニターの右側に目をやり、さらに続ける。

「おお、横山君。オキシトシンの放出がすごいぞ。マグマのように溢れとるじゃないか」

「オキシトシン。なんですか、それは?」

「視床下部で作られるホルモンじゃよ。よく幸せホルモンと言われとるぞよ。横山君。今、君は幸せな気分でおるだろう?」

博士が慈愛に満ちた目で尋ねる。

わあ、恥ずかしい。

ぼくの心が丸見えじゃないか。

「そりゃあ、博士の研究が完成したんだから…」

ぼくが照れていると、

「それでは、さらに幸せな気分にしてあげよう」

と、博士はテーブルを指さしながら、

「さあ、このカードの中から好きな数字をひとつ選びたまえ」

と言った。

テーブルの上には⦅1⦆~⦅9⦆までの数字が書かれたカードが並べられている。

「好きな数字ですかぁ。じゃあ選びますけどどうしてですか?」

「実験じゃよ。この9枚のカードの中の8枚が大当たりじゃ」

「わあ、大当たり確率すごいですねぇ。それで大当たりを引くとどうなるんですか?」

博士はゴホンとひとつ咳払いをして、

「横山君。大当たりを引くとじゃな、君にボーナスが支払われるぞい」

と言った。

「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼーなすですかあ。えええー、本当ですかあ。ぼーなすなんて今まで一度ももらったことないですよおおおお」

ぼくは思わず涙声になって叫んだ。

「そうじゃろ、そうじゃろ。じゃからな、今までの分を一気にやろうと思ってな。ただし」

博士はぼくの肩をぽんと叩き、

「その数字を当てられたら、の話じゃけどな」

と言って「ぬほほ」と笑った。


博士のことは尊敬しているけれど、これまでの決して優良とは言えない労働環境が走馬灯のように脳裏を駆けめぐる。

よ~~~~し、当ててやろうじゃないかあああああああ。

要は9枚のうちの1枚を引かなければいいのだ。

たった1枚なのだ。

はずすわけがない。

そうだ。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。はずすわけがない。

ラッキーナンバー7。

これか?

ラッキーナンバーと見せかけて、実はたった1枚のはずれはこれなのか?

ちらりと博士の方に目を移す。

博士は巨大モニターの上部を見ている。

ぼくの脳内がたてよこスライス状になって、何枚も映し出されている。

赤・青・緑・黄・紫……。

さまざまな色合いの不規則な形が、広がる沼のように、花火のように、ぼくの脳内を駆け回っている。


そうして数分の思考の末にぼくは結論をだした。

「博士。これです。ぼくはこれを選びました」

と、⦅7⦆のカードを指さす。

博士はゆっくり振り向いて、ぼくの指先を見て、うんうんと二度頷き、

「ほんとうにそれでいいのかね?」

と尋ねた。。

突然、さっき見たモニターの脳内映像が、フラッシュバックのように閃く。

危険! 止まれ! 飛び出し注意! おみやげは無事故でいいのお父さん!

なぜか昔よく見た交通標語まで閃いたが、ぼくは振りしぼるように、

「はい」

とだけ答えた。

それを聞くと同時に博士は、

「ぬっはっはっはっはっ!ぬっはっはっはっはっ!」

と笑い出し、

「めくってみたまえ」

と満面の笑みで告げた。

ぼくは大きく息を吐き息を吸い、また息を吐きながら、そろりと⦅7⦆のカードをめくる。

【 はずれ 】

見たくなかった文字がそこにあった。

脚から力が抜けるのを感じる。

なんで? どうして? たった1枚のカードひいちゃう?

「他のもあけてみたまえ。横山君」

博士の声に操られたかのように、ぼくは次々と残りのカードをめくっていく。

【おめでとう! ボーナス¥10,000,000】【おめでとう! ボーナス¥10,000,000】【おめでとう! ボーナス¥10,000,000】……

ぼくの手からこぼれ落ちた一千万円たちがきらびやかに現れ続け、ぼくはたまらず、声もなくへたへたとその場にすわり込んだ。

テーブルの上の当たりカードを1枚手に取って、くるくると回しながら博士が言う。

「わしはこうなると予想していたのじゃよ。いや、見事な実験結果がとれた。ほれ、左の棚を見たまえ」

博士に言われるがまま、首を回してそばのスチールラックを見てみると、実験道具に隠れるようにiPhoneが置かれてあった。

「そのスマホで撮った横山君の様子と【カンタン装着・脳内みえ~る】のデータを突き合わせれば、脳の仕組み、働きがより一層明確になるじゃろう」

「鬼」

ぼくは言った。

「え、なんで?」

「鬼」

「いや、横山君。わしはいつもよく働いてくれる君に是非ともボーナスをやりたいと、そういう気持ちも兼ねてこの実験を行ったのであるぞよ」

いや、違う。

だって、バカみたいに嬉しそうな声じゃないか。

「そうじゃな。わしは横山くんがはずれを引くのはわかっておった」

博士がひらりとカードをテーブルに戻して言った。

「なーに、簡単なことじゃよ。人間というものを知っておれば、横山君が⦅7⦆を選ぶのは見当がつく」

いや、ぼくにはわからない。

だって⦅8⦆でも⦅9⦆でも選べたんだ、ぼくは。

「不思議そうな顔をしておるな。ではわしから尋ねよう。横山君。どうして⦅7⦆を選んだのじゃ?」

不意に訊かれて後悔の波がぼくを襲う。

「それは……、最初に⦅7⦆がはずれだろうと思って、でもそんなあからさまな事はしないだろうと…」

「あからさまとは?」

「……⦅7⦆はよくラッキー7と言われているから、ぼくがそれにすがって⦅7⦆を引くと博士は考えるんじゃないかと思った」

「うむうむ。ではわしは⦅7⦆をはずれにしたという訳じゃな」

「だけど、こんなことは誰だって思いつきそうなことだから、当然博士はぼくがそんな手にはのらないと読んで、はずれは⦅7⦆以外の数字にしたと考えなおした」

「うむうむ。では⦅7⦆は大当たりという訳じゃな」

「少し不安はあるけど、だからといって、他のカードを選ぶのはもっと危険だと思った…」

「そこじゃよ、横山君」

博士の声がじんわりとのしかかる。

「多くの日本人にとって、⦅1⦆~⦅9⦆の中で⦅7⦆は特別な数字なんじゃ。じゃから⦅7⦆を中心にすえて考えてしまう。

横山君の普段のラッキーナンバーは⦅6⦆かもしれん。じゃが、わしとの腹の探り合いとなると、日本人の共通認識のラッキーナンバー7を意識せざるを得んのじゃ。究極、今回のような場合は⦅7⦆が当たりかはずれかの勝負なんじゃ。

現に横山君は⦅7⦆以外のカードについてはいっさい考えとらん。なあ、横山君、そうじゃろ?この時点で、8/9の大当たりをひくゲームは、1/2の大当たりを引くゲームになっとるわい。

そしてわしの裏の裏をかいて、大当たりに違いないと踏んだ⦅7⦆を選んではみたものの、ふっと不安が首をもたげてきたことじゃろう。なにせ、他人の心理を完璧に読むことなど到底無理な話じゃからな。

しかしいくら考えたところで、安心できる答えなど出るはずもない。じゃから横山君は無意識のうちに、我々の心の奥底に染みついた⦅7⦆はラッキーナンバーであるという呪術的思考にすがってしもうた。

⦅7⦆のカードが当たりかはずれかではなく、⦅7⦆の数字が自分を救ってくれるはず、というなんら根拠のない思考にな」

ぼくはなんとなく神さまの言葉を聞いているような気がしてくる。

「横山君は少しとろいところはあるが、ごく一般的な日本人じゃ。いろいろと思考を重ねても⦅7⦆を選ぶであろう事はわかっておった」

うう、神さまがぼくのことをとろいと言った。

「さあ、横山君。残念じゃったな。」

ふたたびの慈愛に満ちた目で、博士はぼくの頭からむんずと七色のスイカネットを外した。

仕方ない。

もう取り返しがつかない。

「横山君。わしは腹がへった。今日の昼飯は何じゃね?」

よろよろと立ち上がったぼくは、

「親子どんぶりです」

と答えてキッチンへと向かった。


右手で包丁をつかむ。

左手で玉ねぎを抑える。

まだ切っていないのに、涙がぽとり、まな板に落ちる。

「横山君、卵はトロトロで頼むぞ」

隣室からの博士の声に、ぼくは親の仇のように玉ねぎを刻みはじめた。


                 ━終━



































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心理カードゲーム【確率8/9をひき当てろ!】 あぶく @abuku-

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