episode43「Light In The Darkness」
その場にいた全員の緊張が、一気に張り詰める。
事態に気付いて真っ青になったティアナを軽く小突きつつ、チリーは青蘭と共に周囲を見渡した。
「……当初の予定通り行くぜ」
「ああ。調べ物続きで少しなまっていたところだ……むしろ丁度良い」
障害物のある状態で四方を囲まれている上、人数はあちらが上だ。おまけにこちらはティアナを逃さなければならないし、相手は恐らく倒せないと来ている。
最初から鎧の注意を引く前提だった当初の作戦と比べると、少し不利な状況だと言えるだろう。
「ルベル、まずは中央に引き寄せる。同時に二体相手出来るか?」
「つまんねえこと聞いてンじゃねえよ。出来るかどうかじゃねえ、やるしかねえだろ」
そう言ってチリーが不敵に笑うと、青蘭はそうだな、と頷く。
「おいティアナ。俺と青蘭でどうにかするから、隙を見て脱出しろ」
「う、うん……! 二人共、怪我しないでね!」
無傷、というわけにはいかないかも知れない。
チリーも青蘭も曖昧な表情で頷きつつ、近寄ってくる鎧へ意識を集中した。
四つの本棚の間から、四体の鎧がこちらへ姿を見せる。この状態では、ティアナの逃げ出す隙などありはしない。
「……ルベル、ここは狭いな」
「クソ狭ェな。やり辛くってしかたねェ」
背を向けたままそう言い合う。それが二人にとっての合図だった。
チリーと青蘭は、ある程度鎧を引き付けると一気に駆け出し、正面の本棚に全力で体当たりした。
「えっ……!?」
その突然の行動にティアナが驚いていると、二つの本棚が音を立てて倒れていく。
この部屋の本棚は、しっかりと固定されているわけではない。中に入っている本の量はそれなりに多かったが、それでもチリーと青蘭が全力で体当たりすれば倒れる程度の重量だったのだ。
これについては賭けに近かったが、うまく成功したことに二人は笑みを浮かべる。これで、かなりのスペースが確保出来た。
チリーは即座に倒れた本棚の上に飛び乗り、二体の鎧の間に割り込む。すると、二体の鎧が同時にチリーへ剣を向け、振り上げた。
そして振り下ろそうとする瞬間、チリーは飛び込むようにして本棚から飛び降り、ティアナを抱え込む。
その結果、二体の鎧が互いに切り合う結果となった。
「きゃっ……!?」
「捕まってろ! 青蘭、いけるな!?」
視線も向けずに、チリーは言葉だけで青蘭へ確認を取る。
「当然だッ!」
チリーの視界の外では、青蘭もまた、チリーと同じ作戦で鎧の攻撃を回避していた。
四体の鎧は互いに剣をぶつけ合い、その衝撃でよろめいている。
その脇を縫うようにして、チリーは部屋から脱出し、ニシルと合流した。
「チリー!」
「青蘭は自分でなんとか出来るハズだ! 俺達は脱出するぞ!」
チリーの言葉に、ニシルはやや躊躇ってはいたがやがて頷く。
その後ろでは、鎧が態勢を立て直していた。
「問題ない。ただ脱出するだけならな」
態勢を立て直した鎧は、すぐに青蘭目掛けて剣を振るう。しかし青蘭は素早い身のこなしでそれらを全て回避し、正面の鎧一体に対して強烈な足払いをかけた。
その結果、鎧の脚部がふっ飛ばされ、支えを失った胴体が倒れ込む。
倒れた鎧を飛び越えるようにして、青蘭はすぐさま部屋を脱出した。
チリー達の背中はまだ見える。問題なく追いつけるだろう。
そしてちらりと背後を見て、顔をしかめた。
「……やはり倒すことは出来ないらしいな」
どういう仕掛けなのか、脚部をふっ飛ばした鎧が宙に浮いている。そしてふっ飛ばされた脚部は、吸い付くようにして鎧の足元へ戻ろうとしていた。
やはりこれは、魔法によるものだ。
その後は振り返らず、青蘭は一気にチリー達の元へ追いついた。
「後は思いっきり走れえええええええッ!」
ティアナを抱きかかえたチリーを先頭に、ニシル、青蘭も出口へ向かって全力で駆けていく。
鎧の駆けてくる音を背中に聞きながら、必死で駆け抜けて出口へ飛び込む。全員が外へ出ると、隠し通路は勝手に閉ざされていった。
それを確認して、四人は冷や汗をかきながらも一息つく。
「……やったな」
「うん……!」
これでようやく、彼らは手がかりを手に入れたのだ。
賢者の石と、テイテス王国。在り処がテイテス王国でなかったとしても、何かしら関係はあるハズだ。
ついに旅が明確に進展した。その高揚感に、チリーとニシル、そして青蘭までもが打ち震えた。
***
ルクリア国では年に一度、建国を祝って国中で祝祭を行う風習がある。アルケスタシティも例外ではなく、その日は町中が祝祭のムードに包まれ、表通りは屋台やパレードで賑わっていた。
日が落ち始めても町中で明かりを灯し、パレードは続いていく。
歌や踊り、楽器の演奏など、アルケスタシティの中央広場では今朝からずっと催し物が続いていた。
それを眺めながら、ニシルと青蘭は近くの屋台で買ってきたぶどう酒を口にする。
ほろ酔い気分で演奏を楽しみながら、ニシルは感慨深げに空を見上げた。
「……こんなところまで来れたんだ、僕らは……」
孤児院にいた頃は、考えられなかった景色だ。
チリーと共に旅立つと決めてから今日まで、どれだけの時間が経っただろうか。
あるかどうかもわからない伝説を求めて旅を続けて、ニシル達はついに賢者の石の手がかりを手に入れた。
「ここからだ……! 僕らの夢は、ここからなんだ!」
本当にテイテス王国に賢者の石があるかどうかはわからない。だが今回の件で、確信を得ることが出来たのだ。
魔法は、魔法使いは実在した。
なら、それによって作られた賢者の石だって実在してもおかしくない。
ただの幻想は、明確な目標へ変わり始めたのだ。
「ありがとう青蘭、協力してくれて」
黙って聞いていた青蘭に、ニシルは正面から感謝の言葉を伝える。すると、青蘭は小さく笑みを浮かべて見せた。
「俺の方こそ礼を言う。ただの修練の旅に、お前達が彩りをくれた。そして好敵手もな」
青蘭は随分とチリーのことを気に入っているようだったし、それはチリーも同じだ。
共に修練することで互いに高め合うことが出来る。青蘭一人の旅では成し得なかったことだ。
「良ければこのまま同行させてくれ。俺はお前達の旅路を見届けたくなった」
「もちろん、こっちからお願いしたいくらいだよ!」
青蘭の申し出に、ニシルは屈託のない笑顔でそう答えた。
「では、その言葉に甘えさせてもらおう」
この旅は居心地が良い。ニシル達にとって迷惑でないのなら、青蘭は本気で最後まで同行したいと思えるほどだ。
「ところで、ルベルはどうした? さっきから姿が見えないが」
「チリー? チリーならちょっと前にティアナとどっか行ったよ」
ティアナの方からチリーを連れ出しているようだったが、なんだか野暮な気がしてニシルは意識的に目をそむけていたくらいだ。
「……なんだと?」
しかし青蘭は、ニシルの言葉を聞くと妙に深刻な面持ちを見せた。
「そうか……仲が良いな」
「あはは……」
青蘭がわずかに肩を落としたように見えて、ニシルは思わず苦笑いする。
「……僕は正直、あの子のことはまだ胡散臭いなぁと思ってるよ」
ひとまずこちらに敵意がないのも、記憶がないこともわかったが、それでもニシルは彼女に対する疑いを消し切れない。
疑い、と言うよりは違和感、と言うべきだろうか。
結局彼女が何故古代文字を読めるのか、何故地下通路への道を開くことが出来たのか、まるでわからない。
ティアナ・カロルがどういう人物なのかは多少掴めても、何者なのかは全くもって不明だった。
「確かに不思議なところが多い。彼女自身が記憶を取り戻せれば、なにか賢者の石と関わる情報が掴めるかも知れないな」
「……そうだね。無関係って考えるのは……ちょっと厳しいかな」
例の地下通路についても、気になる点は多い。
ニシルにとっては賢者の石だけが目的で、過去の文明や魔法使いについては本腰を入れて調べたい事柄ではない。だがこのまま賢者の石を追えば、いくつか真相に触れることになるのかも知れない。
「彼女を連れて行くというのはどうだ? 古代文字が読めるというのは、なにかと手助けになるかも知れん」
青蘭の提案に、ニシルは少しだけ眉をひそめる。
「青蘭さぁ」
「なんだ?」
「……ティアナわりとすき?」
ニシルのその問いから、青蘭が答えるまでたっぷりと間が空く。
「…………いや?」
わざとらしくとぼける青蘭に、ニシルは黙って肩をすくめた。
***
「どこまで行くんだよ」
ニシルと青蘭がそんな話をしているとも知らず、チリーはランタンを持ったティアナに連れられて祝祭の輪から抜け出していた。
そこら中に明かりがついているのは町の中心部だけで、離れれば暗がりが広がっている。そんな場所を駆け抜けて、ティアナとチリーは小さな廃墟に辿り着いた。
「……お前ン家か……?」
「ち、違うよ! そんなわけないじゃん!」
慌てて否定しつつ、ティアナはチリーの手を引いて中へ入っていく。
廃墟の中に、家具らしきものはほとんど見当たらない。既に粗方盗まれているのだろうか。
そこら中に蜘蛛の巣があり、足を踏み入れると埃が舞い始める。
そんな廃墟の中を躊躇なくずんずん歩いていき、ティアナが奥の部屋まで辿り着くと、そこには一本の梯子がかかっていた。
「こっちこっち! 暗いから足元気をつけてね!」
「お前、暗いの駄目なんじゃなかったのかよ」
「今はチリーがいるじゃない。手もほら、こうして繋いでくれてる。あとランタンもあるし」
お前が勝手に握ったんだろうが、という言葉を飲み込んで、チリーは黙り込む。
そのままティアナについていって梯子を登ると、すぐに屋根裏部屋へ出た。
屋根裏部屋の中も、下の階と状況はほとんど変わらなかった。ティアナは中腰になりながら奥へ進んでいき、チリーもそれにならって進んでいく。
ティアナが何をしたいのか、チリーにはよくわからなかった。
しかし奥まで進んで、開いたままの窓が見えてきたところでようやくチリーは理解した。
「お、おお……」
そこから広がる景色に、チリーは思わず息を呑む。
町の中央から少し離れた廃墟の屋根裏。そこから見下ろすことが出来るのは、アルケスタで行われる祝祭の明かりだ。
小さな明かりが、闇の中でいくつも灯っている。
明かりを持つ人達の動きに合わせて揺れたり、移動したり、絶えず変化していた。
上から眺める薄ぼんやりした祝祭の景色に、チリーは目を見張った。
「きれいでしょ? 年に一度、この場所からだけ見れるの」
ティアナが見せたかったのは、この景色だった。
「私、この景色が好き。真っ暗なこの場所から、小さな光を見下ろすの」
闇はティアナにとって恐怖の象徴だった。
この廃墟を知ったのも、最初は偶然祝祭の日に迷い込んでしまっただけだった。怖くて仕方がなくて、彷徨っている内に屋根裏部屋を見つけ、窓の向こうを見て初めてこの景色を知ったのだ。
「暗闇の中から小さな光を見下ろすとね、なんだかきれいでホッとするの。真っ暗な場所から見るからこそ、この世界にはちゃんと光があるんだなって、思えるのかも……多分」
記憶のないティアナにとって、この世界は真っ暗だった。
何も見えない暗闇の中に突然放り出されて、どうしたら良いのかわからなかった。
それでもこうして光を見ると、少しだけホッとする。
この世界には、ちゃんと光があるのだと。
「これを……見せたかったのか?」
「うん。丁度、祝祭の日だったから」
「……なんで俺に?」
何気なくチリーが問うと、ティアナは薄闇の中で満面の笑みを浮かべる。
「地下通路の冒険、すごく楽しかったから。これはお礼だよ」
「礼なんざいらねえよ。お前のおかげで、ようやく手がかりが掴めたんだからな」
ティアナがいなければ、アルケスタ大図書館でただ時間を浪費し、また当て所なく賢者の石の手がかりを探し続けるはめになっていただろう。
無事に次の目的地が決まったのは、ティアナの功績と言える。
「……チリーはさ、賢者の石を手に入れてどうしたいの?」
ふと、ティアナが問いかける。
何気ない、ただの興味からくる問いだった。
「……そりゃあお前、賢者の石の力がありゃ、何でも手に入るだろ。俺は賢者の石の力で最強になる」
そうすれば、何も失わない。何もかも手に入る。
「俺もニシルも、孤児院で育った孤児だ。生まれた時にはもう殆ど失くしちまって、何者でもなかった」
ガーネット家が丸ごとなくなっていたチリーと、デクスター家に捨てられたニシル。二人共何も持たず、何者でもなかった。
この世界ではきっと、ありふれたことなのだろう。
孤児はチリー達だけじゃない。どこにでも、いくらでもいる。
貴族でもなんでもない、普通に生まれて何者でもないままただ生きている人間だってごまんといる。
わかっている。この程度は普通のことなんだと。
孤児院で暮らして、仲間がいただけマシな方なんだとわかっている。
それでもチリーは、チリー達は何者かになりたかった。
「伝説を追いかけて、手に入れて、そうすりゃ俺達は何者かになれる。多分ニシルも、同じこと考えてるんだろうぜ」
伝説を手に入れた、最強の力を持つ人間。そこに辿り着くことで、チリー達は誰にも負けない何者かになれる。そう信じていた。
「……まあ、この旅が出来ただけでも結構満足してるけどな」
「そうなの?」
「ああ、悪くねえぜ。この旅はよ」
ニシルと共に旅立って、歩き続けるこの旅は決して悪いものではない。
青蘭と出会い、共に高め合うことで更にこの旅はチリーにとってかけがえのないものとなった。
そしてこの、ティアナ・カロルとの出会いもまた、その一つだった。
「うん……楽しそうだね。正直私も、君達と一緒にいられた時間が一番楽しかったよ……多分」
言いながら、ティアナは顔をうつむかせる。
「……私ね、みんなに嘘ついてた」
「嘘?」
問い返すと、ティアナはうつむいたままうなずく。
「ほんとはね、司書なんかじゃないの。世話してくれるおじさんもいないの」
ぽつぽつと、つぶやくようにしてティアナは話し始める。
チリーはそれを、ただ黙って聞いていた。
「図書館には忍び込んでるだけ。本が好きなだけなの。名前もね、怪しまれないように自分で勝手につけただけなんだよ」
「……家は」
「ないよ。廃墟を転々としてる。でもここに住んでないのはほんとだよ。だって汚いし」
記憶がない、ということはそういうことだ。
名前もわからない、家なんてない。どこにも、行く宛なんてなかった。
「ふ、服や……食べ物は、ね……あの……」
言葉が辿々しくなる。
このまま嗚咽混じりになってしまいそうだった。
「私……」
しかし言いかけたティアナの口元に、チリーの手がそえられる。
「言いたくねえことまで言うな。もうわかったからよ」
ここまで聞けば、ティアナの生活なんて十分想像出来る。
目に涙を浮かべながら言わないといけないことなんて、聞きたくなかった。
自分は何者でもなかった。チリーは、そう思っていたのが情けなくなってくる。今にも自分を殴りたいくらいだった。
名前すらない少女に、どうしてそんなことが言えたのだろうか。
名前も、家も、何者かであった証拠も、仲間も、持っていたというのに。
「…………俺と青蘭はな、コラドニアのコロッセオで優勝した。金はある」
突然そんなことを言い始めたチリーに、ティアナは首をかしげる。
「……一人分くれえの飯なら、まあ追加で用意出来るだろうぜ」
「そ、それって……」
顔を真っ赤にしながらそう言って、チリーはティアナから目をそむける。
一緒に来い。それがはっきりと言えなくて、誤魔化した。
「でも、私めちゃくちゃ弱いし、多分役に立たないし……」
「けっ……ンなことたどーでもいいんだよ。お前がどうしたいかだけ言えよ」
そう、ぶっきらぼうに伝えると、不意に身体全体が温かくなる。
それが突然抱きしめられたからだとわかった時、更に内側から熱くなって、耳の先まで赤くなるような気がした。
「ありがとうっ……! 私、チリー達と一緒に行きたい! もう一人は嫌っ!」
涙がじんわりとチリーの服を濡らす。
そのままティアナを抱き返すような甲斐性はなかったけれど、拒絶するような真似はしなかった。
「……勝手にしろ」
こうしてティアナ・カロルは”勝手についてきた”ことになる。
しばらく泣きじゃくるティアナをそのまま放置して、チリーはぼんやりと町の明かりを見下ろした。
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