episode34「A New Bonds」
洞窟の奥で、赤い水晶に包まれて座り込む遺体を見て、ミラルは息を呑む。
これが、
「……この魔力、本当にこいつのモンなのか?」
「あたしはそう聞いてるけど」
異様な光景に慄くチリー達とは対照的に、シアはなんでもないような顔で洞窟の中へ入っていく。
「この赤い水晶は、ウヌム様の魔力で出来てるって話よ」
「ウヌム様の魔力は、死後もここに遺り続けているということか……」
シュエットは恐る恐る水晶に触れる。まるで磨かれた宝石のような、凹凸のない表面だ。ひんやりしているかと思ったが、僅かに温かみがある。
「シュエット、それ触って大丈夫なの?」
「ああ、触ってみたら大丈夫だった」
「お前その調子だといつか死ぬぞ」
苦笑いするミラルの隣で、チリーは呆れた顔でシュエットを見やる。
意図せずして安全確認が行われてしまったので、チリーも試しに水晶へ触れた。すると、水晶の中にしっかりと魔力が流れているのが感じ取れた。どうやらシアの話は本当らしい。
「……こりゃ魔力の塊だな……。何かに使わねえのか?」
このような形で固形化された魔力など聞いたこともないし、今初めて見たような代物だ。魔力で出来ているなら何かしら使い道がありそうなものである。
「使うったって、魔力だけあったってなんにも出来ないわよ。……ああでも、おばあちゃんの
大ババ様、サイダの使う
ウヌムの魔力が、子孫の手によって再び彼の魔法を再現しているのだろうか。
「この水晶は、ウヌム様の死後、少しずつウヌム様の遺体から生えるようにして洞窟の中を覆っていったそうよ」
「なんだそりゃ気持ちわりーな」
「よね。でもこの里じゃウヌム様の奇跡だーっつって、ありがたがられてるってワケ」
チリーの発言は、サイダや他の里の住民が聞いたら怒りかねない失礼なものだったが、シアは怒るどころか笑って同意する。
「それで、石碑は?」
「遺体の隣よ」
チリーが問うと、シアはそう答えてウヌムの遺体の方へ歩いていく。その後ろを、チリーもついていった。
石碑は、シアの言う通りウヌムの遺体のすぐ隣に立てられていた。全長一メートル程の石碑で、表面には古代文字と思しき文字が掘られている。
チリーにはほとんど解読出来なかったが、シアは真面目な顔で石碑を見つめていた。
「読めるか?」
「……多分。あんま期待しないでよ。正確に解読したいなら、おばあちゃん連れて来るのが一番なんだから」
ぶつくさ言いながらも、シアは真剣な面持ちで古代文字の解読を始める。あまり邪魔するのも悪いと思い、チリーが入口の方まで戻ると、何やらシュエットがゴソゴソとポケットから何かを取り出そうとしているのが見えた。
「なあ、これって何かに使えないか?」
「あ?」
シュエットが取り出して見せてきたのは、小さな銀色の十字架だった。
十字架にある四つの先端には、赤、青、緑、茶の宝玉がはめ込まれている。
わずかだが、チリーはその十字架から魔力を感じ取る。恐らく
「そんなモンどこで拾ったんだよ」
「捕虜の中にゲイラという奴がいただろう。気を失っている内にくすねておいたのさ」
「お前ほんとに騎士か?」
くすねた、と言うと聞こえが悪いが、相手の持っている武器を没収しておくこと自体は間違った判断ではないだろう。
「あの十字架、火を出したり、風を起こせるみたいなの。私とシアさんも、一度アレで火に囲まれたわ」
「使えりゃ戦力になるだろうが……俺は別にいらねえぞ」
エリクシアンであるチリーなら、魔力で
「何を勘違いしている! お前にはやらんぞ!」
「じゃあどーすんだよそれ……」
「鈍いやつだな。魔力ならそこにあるだろう!」
「……ああ、そうか、なるほどな」
この洞窟にある赤い水晶は、全てウヌムの魔力だ。この魔力の塊を使えば、元素十字を使うことが出来るかも知れない。
「……頭良いのかわりーのかよーわからんやつだな……」
早速、シュエットは嬉々として
わずかにしか感じられなかった
「よし、行くぞ! 確か奴が言っていた呪文は……!
シュエットがそう叫んだ瞬間、
普通にシュエットを焼いた。
「熱ッッッ! 熱いッ! やばい! たすけてッ!」
「しゅ、シュエットさん!?」
慌てて駆け寄ったミラルが、シュエットにまとわりついた魔力の炎を聖杯の力で吸い取っていく。
幸い、シュエットの火傷はほとんどなく、髪や衣服が多少焦げた程度ですんでいた。
「ふぅ……危なかった。助かりましたよミラルさッ――――」
「こンのアホッ!」
すました顔で感謝を告げるシュエットだったが、言い終わらない内にチリーのゲンコツが叩き落される。
「何をする!?」
「アホな真似してミラルに聖杯使わせてんじゃねえよッ!」
「それは……! 普通にすまん!」
特に言い返さないシュエットに毒気を抜かれ、チリーは一度歎息する。
「そこまで心配しなくても大丈夫よ。今の魔力、そんなに大きくなかったし」
「そうか……。いや待て、お前魔力の大小がわかるのか?」
「……まだぼんやりとだけど。ちょっとわかるようになってきたかも」
「……」
これで、チリーは一つの確信を得る。
魔力を吸い続けることで、ミラルは徐々にエリクシアンに近づいている。
「ミラル、あんま魔力溜め込むんじゃねえぞ。お前の身体がどうなるかわかんねえ」
言いつつ、チリーはシュエットから
「俺か、この十字架に魔力を定期的に吐き出せ」
「おい! チリー! 俺のだぞ! 返せ!」
「うるせー! 使えるようになってから言え!」
今はこの程度しか思いつかないが、いずれはミラルの身体から完全に魔力を抜き取らなければならない。
これは一方的な想いかも知れなかったが、チリーはミラルをエリクシアンのような存在にはしたくない。
旅の終わりには、普通の少女として平和に生きるミラル・ペリドットであってほしかった。
「そういうことなら、
「……いや、お前はこの後ヘルテュラシティに帰るだろ……?」
「…………あ」
どうやら半ば忘れていたらしいシュエットは、間の抜けた声を上げて一度硬直する。
「ありがとうチリー。だけど、そんなに心配しなくても大丈夫よ。今私の中にある魔力だって、何かに使えるかも知れないし」
「……できればそれを避けたいんだがな」
とにかく前向きにとらえるミラルに一抹の不安を覚えつつ、チリーは小さくため息をついた。
***
程なくして、シアによる碑文の解読が終わる。
ここに書かれている碑文は、何千年も昔に書かれたものだ。現在とは全く異なる文字が使われ、文法もまるで違う。
サイダに任せた方が確実だとは言いながらも、手元に資料のないまま数十分で読み解いてしまう辺り、シアは幼い頃に相当叩き込まれたのだろうか。
さして得意げにもせず、シアは淡々と碑文の内容を告げる。
「『赤き石が目覚めし時、器が満たされ、天より降りたる鋼の巨兵が滅びを齎す。テオスの使徒が蘇り、全てが闇に葬られん』」
その内容は、思わず眉をひそめてしまうような悲惨な内容だった。
滅びを齎す、闇に葬られん、どれも世界の終わりを示す表現だ。
内容を聞いて半ば硬直するチリー達を見やり、シアは気まずそうな表情で碑文の下の方を指差す。
「……まだあるわよ」
そんなシアに対して、三人は三者三様のリアクションを見せる。
「えぇ……」
「まだ悲惨になるのね……」
「ふざけんなよウヌム」
「何よその態度は! 最後まで聞きなさいよ!」
三人に怒鳴り散らし、シアは残りの文章を読み上げた。
「『東国に眠りし虹の輝きが、闇を照らす剣となる』……。別に悲惨な予言だけじゃないのよ」
「ふわっとしてんな。もっとハッキリ書いてねえのか?」
「そりゃふわっとするわよ! ウヌム様の未来予知は、あくまで予知なんだから!」
シアの言う通り、如何にウヌム・エル・タヴィトと言えど、完全に未来を予測することは不可能だった。
石碑に書かれた文章は、確定した未来ではない。あくまで起こり得る滅びの可能性として、ウヌムが書き残したものである。
「だから別にこれは確定もしてないし、当時から見た未来と、今から訪れる未来が同じものとは限らないのよ。そもそも、賢者の石が目覚めても、鋼の巨兵とやらは現れなかったじゃない」
予言の通りなら、三十年前に既に滅びは訪れているとも解釈出来る。だがそれと同時に、条件が整っていなかった、或いは、予言されている賢者の石の目覚めはまだ起こっていないとも考えられてしまう。
この手の予知や予言が当たるかどうかは、最終的には結果論になる。
起こるタイミングが明確にされてない以上、実際に起きるまでは”起こるかも知れない”の状態に留まってしまうのだ。
「この器が満たされ……っていうのは、きっと聖杯のことよね」
不安そうに言うミラルに、シアが頷く。
「……恐らくね」
赤き石は間違いなく賢者の石を指しているだろう。そして器とは、聖杯だ。サイダから聞いた賢者の石と聖杯の経緯を考えれば、そう考えるのが妥当である。
「なあチリー、鋼の巨兵というのは
ふと、思いついたことをシュエットは口にする。
「……確かにな。だがアレは別に上から落ちてきたってわけでもねえな」
鋼の巨兵、と言われればどうしても以前戦った
「……まだ上から降ってくる……ってことか?」
顔をしかめてシュエットが言うと、傍でミラルが身震いした。
「それはちょっと……勘弁してほしいわね……」
「俺だって勘弁してほしいがな。……結局予言は予言か。ハッキリしたことはわかんねえ」
そう、結論づけてチリーは息をつく。
だがどれも希望的観測に過ぎない。予言は全て、これから起こることなのかも知れないのだから。
「テオスの使徒っていうのは……何なのかしら。テオスって、テオス・パラケルススのことよね?」
ミラルが問うと、シアは首肯する。
かつて世界を支配していた三人の
「ってことはロクなモンじゃねえだろうな……」
賢者の石や
「なんもわからんな。おいシア、なんもわからんぞ」
「あたしに文句つけられても困るわよ、このアホシュエット」
「後で吠え面かくなよ。お前はいずれ、そのアホのシュエットに救われるのだからな」
そう言ってシアの肩を軽く叩き、シュエットは腕を組んでふんぞり返る。
「何が来ようが知ったことか! このシュエット・エレガンテがついている! テオスの使徒も滅びも闇も、この俺が撃退してくれるわ!」
「いや、お前は……」
ヘルテュラシティに帰るだろ、と言いかけるチリーだったが、ひとまず口をつぐむ。
シュエットが全てを撃退するかどうかはさておき、これ以上ここで未来を不安がっていても意味がない。
予知である以上、どれも確定していない未来だ。それなら、今から備えることが出来る。
「アンタに出来るわけないでしょーが!」
「やってみなければわからんだろう! 俺は今から強くなるのだからな!」
そんなやり取りを始める二人を見て、チリーとミラルは顔を見合わせて苦笑する。変に不安がるよりは、このくらい楽観的な方が良いのかも知れない。
空気を変えてくれたシュエットに内心感謝しつつ、チリーは残りの碑文へ意識を向けた。
「東国に眠りし虹の輝き……、これはそのまま”東国”のことで合ってンだよな」
東国。現在チリー達がいるアルモニア大陸の東側の位置する、小さな島国を指す言葉だ。海を隔てた向こうにあるため、アルモニア大陸とは別の独自の文化が築かれていると言われている。
「うん、まあそうなんだけど……」
「なんだよ?」
言葉を濁すシアに、チリーが続きを促す。すると、シアは苦い顔をして見せた。
「東国ってもうないわよ」
「ハァ!?」
シアの言葉に、突然チリーは声を荒げる。そばにいたミラルは肩をびくつかせ、シュエットも目を丸くしてチリーへ視線を向ける。
「どういうことだよ!」
「どーもこーもないわよ。東国が滅んだのは、もう十年以上前の話なんだから」
「ンだと……!?」
東国が滅んだのは、チリーが眠りについている間の出来事だ。チリーが知らなかったのも無理はない。
「東国が……滅んだ……?」
「ええ。ゲルビア帝国に攻め込まれて、ね」
「……なるほどな。
チリーのかつての友人であり、賢者の石を起動させたもう一人の人物――――青蘭。東国は、彼の故郷だ。
青蘭が何故エリクシアンの根絶にこだわっていたのか、改めてチリーの中で納得のいく結論が出る。
「青蘭さんって……じゃあ……」
「ああ、あいつは東国の人間だ」
幼い頃に東国が滅んでいたミラルにとって、東国の人間というのは全く知る機会のない存在だった。青蘭の出で立ちを見て、ミラルは大陸の外から来たであろうことまでは想像出来ても、東国の人間だとまでは想像出来なかったのだ。
「イモータル・セブンの一人、
チリーは勿論、ミラルもシュエットもその名前には聞き覚えがない。この先ゲルビア帝国と対立しながら旅を続けるのなら、どこかで戦うことになるかも知れない相手だ。
東国の滅びと、青蘭の復讐。青蘭の本来の目的は、ジェノとゲルビア帝国に対する報復だろう。
(……そこで本心誤魔化して大義を掲げちまうところが、あいつらしいっちゃあいつらしいか……)
青蘭に関しては再び複雑な心境になってしまうチリーだが、これ以上考えても今はどうしようもない。
どの道、この旅を続ける限りはまた会うことになるだろう。その時にまた、問いただせば良いだけだ。
「……よし、テイテスの後は東国に行くぞ」
滅んでいようが滅んでいまいが、東国に眠る”虹の輝き”は無視出来ない。それが如何なる存在だったとしても、闇を照らす剣となる、という予知が真実であればこれから起こる滅びへの対抗策になるハズだ。
「船はどうするの?」
「なんとかして探すしかねえだろ。最悪イカダでもなんでも作りゃ良い」
「そんな無茶な……」
言いつつも、ミラルはそこまでしてでも東国に向かわねばならないことはわかっている。
不安だらけの予言の中で、唯一東国にある”虹の輝き”だけが希望になるからだ。
「……そろそろおばあちゃんの占いも終わる頃かしら。一旦戻らない? 疲れたし」
「……そうするか」
気の抜けるような大あくびをするシアに頷き、チリー達は洞窟を後にした。
***
洞窟を出た後、チリー達はすぐにサイダの家へ向かった。
その頃には日は落ち始めており、復興中の集落を夕日が鮮やかに照らしている。大きな傷跡は残ったが、必ず立ち直るという強い志が、復興作業中の者達の背中や表情から感じられた。
家に着くと、サイダは既に占いを終えてチリー達を待っていた。
朝から夕方まで儀式を行っていたとなれば、半日近く祭殿にこもっていたことになるが、隠しているのかあまり疲れた様子はない。
サイダはチリー達へ椅子に座るよう促し、改まった態度で話し始めた。
「わしの力では、ウヌム様のような正確な予知は出来なんだ……。それを踏まえて聞いてくれるか」
「問題ねーよ。ウヌム様の碑文だってふわっふわだからな」
「未来とはそういうものだ。碑文の内容通りに行くとは限らん。わしの占いも、な」
言って、サイダは続ける。
「予知も占いも、あくまで指針でしかない。じゃが知った上でどう行動するかで、より良い未来を選び取れる可能性がある。どう受け取り、どう行動するかは全て”今”に委ねられる」
当然、サイダは碑文の内容を知っている。ウヌムが予知した災厄の未来についてはずっと前からわかっていた。
そのせいか、サイダは悔いるような表情を見せる。
「
「……謝らないでください。今こうして手助けしていただけるだけで、十分です」
それでもサイダは口惜しそうに唇を結んでいたが、やがて再び口を開く。
「では、占いの結果を告げる……。まずはチリー殿」
「おう」
「お主はミラル殿と予定通りテイテスへ向かうが良い。そこでお主は……過去ともう一度向き合うことになるじゃろう」
「……過去と……?」
過去。すぐに想起したのは、あの日のティアナの笑顔だった。
かつて守ると誓い、守ることが出来ずに死なせてしまったティアナ・カロル。ミラルとよく似た彼女は、チリーの過去を象徴する人物の一人だ。
そして彼女だけではない。チリーが最初に賢者の石を探して旅立った時の仲間もまた、チリーの過去を構成する重要な存在だ。
テイテスは、賢者の石を起動し、
「そしてミラル殿」
「……はい!」
「お主はこのままチリー殿と旅を続けるが良い。その先には恐らく過酷な運命が待つ。チリー殿を……信じよ。何があってもじゃ」
この先に待つ過酷な運命は、ミラルも覚悟している。それでも、こうして改めて言われると言いようのない不安と緊張感にかられた。
けれどそれでも、チリーを信じて旅を続ける。碑文に書かれた未来を回避し、自身の運命を乗り越えるために。
「シュエット」
「え、俺もですか?」
突然話を振られ、シュエットは驚いて目を丸くする。
「お主は彼らの旅に同行するが良い。お主の存在は、必ず二人の助けとなる」
「……俺が……?」
やや困惑したまま、シュエットはチリーとミラルへ目を向ける。
「詳しいことはわからぬ。じゃが、
「そう、か……。ふ、ふふ……! そうか!」
言われた途端、シュエットは立ち上がり、心底嬉しそうに笑みを浮かべる。
「俺は正直……このままお前達と行きたい! ゲルビアにこれ以上好き勝手させるわけにはいかん! それにお前達は……良い奴らだ……恩人でもある!」
シュエットの目標は、ヴァレンタイン騎士団で最強になることだ。レクスを越え、いずれは騎士団を引っ張っていく存在になるのがシュエットの夢だ。
シュエットの夢と、チリー達の旅は関係がない。里での件が終われば、シュエットはヘルテュラシティに帰るのが自然な流れだ。
わかっていたハズなのに、チリー達と行動する内にシュエットの中に湧き上がる思いがあった。
彼らの力になりたい、と。
「俺はお前達のように何か特別な力があるわけじゃない……。だから足手まといになるかも知れん……」
決して自分は強くない。虚勢を張りながらも、シュエットは誰よりそれを理解していた。
「だがそんな俺でも……もし助けになれるなら、是非同行させてくれ!」
そう言って頭を下げるシュエットに、チリーは懐から
「だったらこいつはお前が使え。ちったぁ戦力の足しになンだろ」
「チリー……!」
「ああ……! 期待しておけ! 俺がお前達を守ってやる!」
「改めてよろしくね、シュエット。心強いわ」
シュエットの根性には、ミラルもつい先日助けられたばかりだ。あまり無理はしてほしくないが、共に戦ってくれると言うのなら素直に心強い。
「両親と団長には手紙を書いておかなければな……」
エレガンテ家が普通に貴族の家庭であることを考えれば、手紙が届いたら大騒ぎになるだろう。そもそもあんな傷だらけの状態での出発を許すような家だ。似たもの家族なのかも知れない。
「……そしてシア」
「は? あたしも?」
「これは占いではない。なんというか……里の掟じゃ」
不意に、サイダの顔が険しいものになる。
それを見た瞬間竦み上がったシアは、その場で硬直しかけた。
「里抜けは重罪。お主は今後、ウヌム族を名乗ることを禁じる。里を出てチリー殿達に同行しなさい。戻って来んでいい」
「つ、追放ってこと……?」
「そうなるな。どこへでも好きな所へ行け」
一瞬だけ、シアは今にも泣き出しそうな顔を見せる。だがすぐに顔をしかめて、サイダを睨みつけた。
「はん! 言われなくたってこんなクソ田舎出てってやるわよお化けババア!」
「言うたなクソ孫!」
シアもサイダも机から乗り出し、お互い顔を近づけて真正面からにらみ合う。
そのまま喧嘩になるんじゃないかと不安になるミラルだったが、やがてサイダがどこかさみしげに笑った。
「お主をもう、縛り付けはせんよ」
「え……?」
「生きたいように生きよ、シア。チリー殿達に同行するかどうかは、お前が決めれば良い」
「おばあちゃん……」
それは追放という名の、赦しだったのかも知れない。
シアはずっと昔から、里での窮屈な生活が嫌いだった。
都会の暮らしに憧れ、サイダに黙って里を抜け出して自由気ままに生きようとしていた。
そのまま戻るつもりなんてなかったのに、結果的にシアは里の危機に駆けつけてしまっていた。どれだけ嫌っても、疎んでも、たった一人の肉親を見捨てることは出来なかったのである。
「お前の両親が早くに亡くなってから、わしはお前を危険な目に遭わせまいと必死でな……すまなかった」
それはシアが初めて見た、しおらしい祖母の姿だった。
いつも厳格で、いたずらばかりするシアを叱りつけていた祖母の思いを、シアはあまり考えたことはなかったのかも知れない。
「……何よ。寿命でも近いの?」
「ふん、そうかもな。かわいくないクソ孫め」
「しおらしくしてりゃ良い婆さんだったのに……クソババア。……ありがと」
最後に、ほとんど聞こえないような小さな声でシアは呟く。
それが聞こえてか聞こえずか、微笑してからサイダはチリー達へ向き直る。
「こんな奴じゃが、連れて行ってやってはくれんか。これでもウヌム族として多少は鍛えられておる、少しは役に立つハズじゃ」
サイダの言葉に、ミラルはパッと表情を明るくさせる。そして席を立ってシアの元まで駆け寄り、両手でシアの右手を握りしめた。
「シアさんが一緒に来てくれると、私すごく嬉しいです!」
「うわ、ちょ、何よ急に!」
「シアさんのような大人の女性の手助けが、少なくとも私には必要なんです!!」
これは結構、ミラルにとっては切実だった。
メンバー構成として男二人女一人ではやはり心細いというのがミラルの本音だ。頼りになる同性が傍にいてくれると、ミラルにとってはこの上なく心強い。
「……ま、まあそこまで言われちゃ……しょうがないわね……」
わかりやすく赤面しながらも、シアはミラルから視線を外して呟くような声音でそんなことを言う。
(……チョロいな)
などと思うチリーとシュエットだったが、ひとまずその言葉は飲み込んでおいた。
「俺は構わねえぜ。人手が多い方が夜の野宿は助かるしな」
「はぁ? アンタあたしに夜の見張りやらす気?」
「シュエットよりお前の方が強そうだからな」
「それはそうね……」
「おい! チリー! そんなことはないぞ! 俺をもっと信じろ!」
妙な納得の仕方をするシアと、騒ぎ出すシュエットと、それを見て笑うチリー。そんな三人を見て、ミラルはなんだか楽しくなってきて笑みをこぼす。
こんな仲間がいてくれるなら、きっとこの先の旅も大丈夫だ。なんとなくそう思えてくる。
「二人共、これからよろしくお願いします!」
改まった態度でお辞儀をするミラルに、シュエットもシアもニッと笑って見せた。
***
出発は翌日ということになり、その日の夜は里に留まることとなった。
今夜はバルゴの厚意で家に泊めてもらい、チリーとシュエットは眠りにつく。
里全体が寝静まった夜更け、チリーはうまく寝付けずに天井を見つめていた。
(過去に向き合う……か)
最初の旅立ち、仲間との出会い、ティアナとの死別、そして……
なるべく思い出さないようにしていた数々の出来事が、急にチリーの頭から離れなくなる。
「……確かに、向き合わねえとな」
過去のことは、まだミラルにも話していない。話す必要もないと思っていたが、何か隠し事をしているような気がして心苦しいという思いはあった。
そのまま寝付けずに、チリーはバルゴの家を出て適当に散歩を始める。
あまり考えずに動かしているハズの足は、何故だかサイダの家に向かっていた。
今夜は妙に月が綺麗だ。
一片の欠けもない満月に照らされながら、チリーは歩いていく。
そしてサイダの家の近くまで来たところで、チリーは家から出てくる少女の姿を見た。
「……ミラル」
「チリー……?」
サイダの家から出てきたのは、ミラルだった。
「どうしたの、こんな時間に」
「いや、眠れなくてな……お前もか?」
チリーが問うと、ミラルは小さく頷いた。
「……少し歩くか?」
「うん……眠くなるまで付き合ってくれる?」
「……ああ。別に俺は寝なくてもそこまで問題ねえからな」
そのまま、二人は連れ添って夜の中歩き始めた。
見上げれば無数の星が瞬き、夜空を飾っている。そこはまるで、星の森だ。
しばらく黙ったまま歩き続けていたが、ふとチリーが口を開く。
「……なあ」
どこか緊張した面持ちで切り出して、チリーは意を決したように口にする。
「少し、話を聞いてくれないか?」
「え……?」
「……三十年前の、俺の話を」
穏やかな光に照らされて、チリーは静かに語り始める。
今から三十年前。
ルベル・|C(チリー)・ガーネットの始まりの物語を。
To the season"0".
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