episode22「Be With You」

 ミラルが深い眠りから目を覚ました時、真っ先に見えたのはひどく不安そうなチリーの顔だった。


「え……?」


 思わず声を上げるミラルを見て、チリーは一瞬だけ泣き出しそうな表情になる。しかしすぐにいつもの仏頂面になると、ミラルから視線をそらした。


「……目が覚めたか」

「あ、うん……。ここは……?」


 ミラルが目覚めた場所は、どこかの部屋の中だった。ベッドの毛布が心地よい。時間は夜のようで、部屋の中の明かりは蝋燭だけだ。


「ヴァレンタイン家の別荘だ。本邸は滅茶苦茶になっちまったからな……」


 薄暗い視界の中で、浮かび上がるようにしてチリーの銀髪がよく見える。それがなんだか、不安を和らげるような気がしてミラルは静かに息を吐いた。


 ……が、すぐに気を失う直前のことを思い出して跳ねるようにして上半身を起こした。


「つっ……」


 身体の節々が痛む。見れば所々ガーゼが当てられており、両手には包帯が巻かれていた。


 両手は痛みがない、というよりはあまり感覚がなかった。取り替えられたばかりなのか、包帯は新品同然に見える。


「無理に起きるな。心配しなくても全部終わった後だ」

「全部って……」

殲滅巨兵モルスは破壊出来た……お前のおかげでな」


 あの時、ミラルは殲滅巨兵モルスを止めるために聖杯の力を最大限に使った。殲滅巨兵モルスの中の魔力を操作し、必要以上に増幅させることでオーバーヒートさせようとしたのだ。


 その瞬間からの記憶がない。恐らくその時点で意識を失ってしまったのだろう。


「私……どのくらい寝てたの……?」

「……三日だ」


 チリーの言葉に、ミラルは息を呑む。

 あれから丸々三日、ミラルは一度も目を覚まさなかったのだ。


(……あれ? でも、一度だけ……)


 記憶は朧げだったが、その前に一度だけチリーの顔を見たような気がする。

 必死で何かを叫んでいて、見たこともない顔で泣きながら。


「……ミラル」


 思考を遮るように、チリーはまっすぐにミラルを見つめて口を開く。


「俺は、怖かった」


 そして振り絞るような声音で、チリーはそう呟いた。


「怖かったって……チリーが?」


 頷き、チリーは続ける。


「お前を傷つけちまったってわかった時と、お前がもう目覚めねェかも知れねェと思った時だ。……俺は、怖かったんだ」

「チリー……」

「……だから、お前が目覚めてよかった」


 普段、まるで本音を隠すようにぶっきらぼうに振る舞ったり、飄々として見せることがあるチリーが、包み隠さずに本音を話している。少なくともミラルにはそう見えた。


 自分が思っていた以上に心配をかけていたのだと知り、申し訳なく思うのと同時に嬉しくもあった。ミラルがチリーを心配していた気持ちが、一方通行ではなかったとわかったから。


「……ありがとう」


 ミラルの言葉に、チリーは一瞬だけ照れくさそうな表情を見せる。だがすぐに、その顔が陰った。


「あの時、何もわからないまま傷つけちまって、悪かった」


 サイラスとの戦いの途中、チリーは力が一切制御出来なくなり、身に纏った血と魔力に突き動かされるままに暴走していた。あの時のことは、チリー自身にも詳しいことはわかっていない。


 三十年前にも、命の危機に瀕した時、チリーはあの状態に陥ったことがある。自身を捕らえようと襲いかかるゲルビア兵を相手に、破壊の限りを尽くした。


 あれこそが、赤き破壊神の姿なのだ。


「私の怪我は気にしないで。それに……何度でも止めるわ。私がもう二度と、チリーを壊すだけの存在になんかさせない」


 あれは、チリーが瀕死の重傷を負ったことで起きた現象だ。チリー自身に制御出来るものではない可能性が高い。それなら、何度起きようとも止めて見せる。それがミラルの答えだ。


 チリーは以前、自分のことを破壊者だと言っていた。英雄でも、破壊神でもないと。


「あなたは破壊者じゃない。二度と破壊者なんかにさせないわ」


 ミラルの言葉に、チリーは完全に虚をつかれたのか硬直する。


 目を丸くしたままミラルを見つめて、黙り込んだ。


 すぐには言っていることが飲み込めなかったのかも知れない。


 そんな風に言われたことなんてなかったし、そもそもエリクシアンになってからは誰かと行動を共にしたことなどなかったのだから。


 じわじわと染み込むようにして理解して、チリーの表情が少しだけ緩んだ。


「力も責任も、一人で背負わないで。私が手を貸すから」


 一人で制御出来ない力なら、二人で制御すれば良い。


 一人で背負えない責任は、二人で背負えば良い。


「一緒に戦えば良いのよ。責任も、運命も」

「……重てェぞ」

「わかってる。だから言ってるの。それに、私だって聖杯のこと、一人でなんて背負い切れない」


 賢者の石を制御し得る唯一の魔法遺産オーパーツ。エリクシアンの魔力を増幅することも、奪うことも出来るこの力は、ミラル一人で背負い切れるものではない。


「ああ。それこそ、お前一人にゃ背負わせねェよ」


 力強く頷くチリーに、ミラルはホッと安心して微笑む。お互いに受け入れ合えたのだと、なんとなく確信出来たからだ。


「……お前に会えて良かった」


 そう言って、チリーは見たこともない程穏やかな笑みをこぼす。そして――


「えっ?」


 そのままミラルの胸の中にふらりと倒れ込んできたのだ。


「え!? え!?」


 突然のことに困惑しつつも、心臓の鼓動が止まらない。


 全身が熱を帯びて、耳まで赤くなったような気がしてきたところで、ミラルはチリーの寝息を聞いた。


「あっ……」


 穏やかな寝顔だった。


 ただの少年が見せる無防備な寝顔が無性に愛おしくなって、ミラルはそっと頬をなでる。


「お疲れ様、チリー」


 もう少しだけ、このままで。


 きっとこれからまた、いくつもの苦難が降りかかる。


 だからせめて今日くらいは、このまま……。



***



 ゲルビア帝国の宰相、ニコラス・ヒュプリスはサイラスから受けた報告をただちに皇帝へと伝えることを決めた。


 他の何を後回しにしてでも伝えなければならぬと走り、執務中の皇帝の元へ慌てて駆けつけた。


 皇帝、ハーデン・ガイウス・ゲルビアの執務室は驚く程飾り気がない。デスクや書類、明かりのシャンデリアがなければ囚人の部屋かなにかのようだった。


 ニコラスはこの部屋を訪れる度に得も言われぬ恐怖心を抱く。この徹底的な無機質さが、まるで人為的に作られたうつろのようで足を踏み入れるのが憚られるのだ。


 それでも扉を叩き、声をかければ皇帝は中に入るよう促す。


 そしてニコラスは、真っ先に結論を述べた。


「陛下! ミラル・ペリドットは……恐らく”聖杯”を所持しています!」


 ニコラスが告げた途端、皇帝は書類から目を離し、ニコラスを凝視する。


「直ちに捕らえろ……絶対に逃がすなッ!」


 ほとんど怒号に近い声量で飛ばされた指示に、ニコラスは即座に従った。


 程なくして、ミラル・ペリドットは指名手配者となった。




***



 サイラス達が町を去ったことで、ヘルテュラシティには平和が訪れつつあった。


 殲滅巨兵モルスの爆風による被害はいくつか出ていたものの死者はいない。ヴァレンタイン家の本邸はほぼ破壊されてしまった挙げ句、敷地内に半壊した殲滅巨兵モルスが放置される形となったが、それらについては現在対応中である。


 殲滅巨兵モルスに関しては下腹部から下の部分しか残っておらず、動き出すことはまずないだろう。


 ミラルが目を覚ました翌日、チリー達は改めて自分達の素性と本来の旅の目的をコーディ・ヴァレンタインへと話した。


「すみません、今まで隠していて……」


 ヴァレンタイン家別荘の客間でひとしきり話し終え、ミラルが深々と頭を下げるとコーディはかぶりを振る。


「いや、ひとまず事情を隠しておいた殿下の判断は間違ってはいない。慎重な殿下のことだ、漏洩のリスクを重く見ていたのだろう」


 実際、クリフは部下が情報を吐かされた結果ラウラの居場所をランドルフに知られている。情報に対して慎重になるのも無理はないだろう。


「しかしすまないが……私にはもう君達の旅を補助出来るような余裕はないんだ……」


 本邸があの状態では、流石に公爵家と言えどもあまり余裕はない。ヴァレンタイン家はこれから色々と立て直しを行わなければならない状態だ。


「……悪い。俺も相当壊した」


 つぶやくようにチリーが謝罪の言葉を告げると、隣でミラルとラズリルが目を見開いた。


「ち、チリーくん……」

「ンだよ」

「謝罪が出来るのかい!?」

「バカにしてンのか!?」

「い、いや、壊したのはほとんどサイラスと殲滅巨兵モルスと聞いているよ! 君はむしろサイラス達を倒してくれたって話じゃないか!」


 言い合うチリーとラズリルを仲裁するようにコーディがそう言って、なんとか取り持つ。とは言え、チリーもラズリルも本気で言い合いをするようなことはまずないのだが。


「改めて感謝させてくれ。何よりも、殲滅巨兵モルスを破壊してくれたことを……。ほとんど礼が出来ないのが口惜しい。いつか必ずこの礼はさせてほしい」


 コーディにとって殲滅巨兵モルスの存在は、ヴァレンタイン家が代々抱えている爆弾のようなものだった。もうこれ以上、殲滅巨兵モルスの脅威に関しては悩む必要がない。


「もういらねーよ。寝床に飯に治療までしてもらってンだからな」


 特にミラルの治療に関しては、非常に手際よくやってくれていた。既にある程度特殊な事情の中にあることを理解してくれたコーディは、ミラルを別荘の中で治療出来るように手配してくれている。シュエットは教会に併設された病院へと運び込まれたようだが、ミラルだけはヴァレンタイン家で個別に預かってくれたのである。


「チリー、ちょっと変わった?」

「いや、変わってねえけど……」


 眉をひそめてそう答えるチリーだったが、以前と今ではもう考え方が違う。


 壊す者ではなく、守る者であろうとすると決めたのだ。在り方が変われば考え方が変わってくる。


 責任を果たすために賢者の石を壊す。それもあるが、今は”賢者の石による被害から人々やミラルを守る”に変わり始めている。


 チリー自身の自覚の度合いは、まだまだと言ったところだが。


「今出来る最大限の礼、と言ってはなんだが……君達の探す賢者の石に関わる情報を持つ男を紹介させてくれ」


 コーディがそう言うと、三人の表情が一変する。


「君達と面識のある男だ」


 コーディは少しだけいたずらっぽく笑って、紅茶を一口啜った。



***



 病室のドアが開く。


 ゆっくりと入ってきた男の顔を見て、シュエット・エレガンテはベッドから身体を起こす。


「……団長」


 呟いたシュエットに、男は――――レクス・ヴァレンタインはゆっくりと頭を下げた。

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