episode7「Re:d and AzuRe:」
青蘭の魔力は青い光を帯びながら青蘭の身体を包んでいく。チリーが纏うものとよく似ている。青い兜が頭部を包み、群青色の鎧で全身を武装した青蘭がゆっくりと身構えた。
対するチリーの魔力が覆うのは、右腕だけだった。
チリーはしばらく右腕を見つめて顔をしかめていたが、やがて諦めたようにため息をついて青蘭を見据えた。
「テメエなんざ右腕一本ありゃ十分だ」
「……舐めるな!」
次の瞬間、青蘭の姿がチリーの前から消える。
そして気が付いた時には既に、青蘭の拳がチリーの腹部にめり込んでいた。
「かッ……!?」
「チリー!」
派手にふっ飛ばされかけたのをどうにか踏ん張るチリーだったが、青蘭は続けざまに拳を放つ。とっさに右腕で防ぐチリーだったが、青蘭の連撃を防ぐには足りない。
回避も間に合わず、チリーはひたすら青蘭の拳を受け続ける。
「随分と弱くなったな、ルベル」
「テメエこそ、昔に比べりゃ大したことねえな」
それでも減らず口を叩くチリーの顔面に、青蘭の拳がねじ込まれる。
流石にこの一撃には耐え切れなかったのか、チリーは派手に吹っ飛んで背中から床に叩きつけられる。
「お前はいつも口だけだ」
よろめきながらも立ち上がろうとするチリーに、ゆっくりと青蘭が歩み寄っていく。
「お前のやり方があるだと……? 笑わせるなッ!」
立ち上がりかけたチリーに接近し、青蘭はその身体に容赦なく右足で前蹴りを叩き込む。
苦痛に呻きながら倒れるチリーに、青蘭は尚も歩み寄った。
「ティアナを守れなかったお前に何が出来るというんだ」
「……テメエ……ッ!」
その言葉に、今まで態度だけは余裕を保っていたチリーの言葉に怒気が込められる。
反撃しようとどうにか立ち上がるチリーだったが、その身体は青蘭の拳によって再び地面に叩きつけられた。
そして倒れ伏したチリーを、青蘭は何度も踏みつける。
何度も。
何度も。
何度も。
これが復讐だとでも言わんばかりに。
「お前はかつて俺に誓ったな……ティアナは必ず守ると」
答えも待たずに踏みつけ、青蘭は言葉を続ける。
「だがお前が俺に見せつけたのは、ティアナの無惨な死だけだッ!」
再び痛烈な一撃が、チリーの身体を痛めつける。同時に脳裏を過ぎるのは、腕の中で冷たくなっていくティアナの姿だった。
三十年も前の記憶が、まるで数秒前に見た光景のようにくっきりと蘇る。
ルベル・|C(チリー)・ガーネットはティアナ・カロルを守れなかった。これは純然たる事実だった。
あの日、あの時。この旅が続く限り守ると決めた女性を。
「たった一人の……愛した女も守れないお前に、どんなやり方があるというんだ……! 答えろルベルッ!」
再び、青蘭はダメ押しに右足を叩き込む。
激痛に耐えながらも、吐き気を飲み下してチリーは青蘭を睨みつける。その視線に怒りを覚えたのか、もう一度青蘭の右足が倒れたままのチリーへ襲いかかった。
しかしチリーは、ソレを右腕で受け止めた。
「……ぐだぐだうるせえよ!」
そのまま青蘭の右足を押しのけると、青蘭は一度距離を取る。その隙に立ち上がり、チリーは即座に青蘭に殴りかかった。
だがその拳は、青蘭にいとも容易く受け止められる。
「あの少女、ティアナによく似ているな」
その一言でハッとなったチリーの視線が、一瞬だけミラルへ向けられた。
「同じ過ちを繰り返すつもりか?」
ぎしりと。軋む音がする。
青蘭の握力が、チリーの拳を包む籠手を砕こうとしていた。
「ティアナの幻想を彼女に重ねて、巻き込んでいるに過ぎない。また死なせるつもりか?」
青蘭がそう口にした瞬間、チリーの右腕で赤い魔力が爆ぜた。
それなりのダメージがあったのか、思わず青蘭はチリーから手を放して数歩退く。
「ミラルとティアナは関係ねェし……あいつは死なせねェよ」
まっすぐに青蘭を見据え、チリーはハッキリと言い放つ。だがその瞬間、兜の中で青蘭の顔が激情に歪む。
「その口で……ッ」
膨大な魔力が、青い光を伴って青蘭の身体の中から膨れ上がる。
次の一撃は防げない。すぐにそれを理解したチリーだったが、避ける術もない。
「――――お前ら、伏せろッ!」
チリーが叫んだ瞬間、牢屋の向こうでミラルとラウラが伏せる。そして膨大な魔力の乗せられた青蘭の拳が、チリー目掛けて放たれた。
「その口であの日と似たようなことを言うなッッッ!」
蒼き閃光が、まっすぐに放たれる。
ソレは床や壁、鉄格子をも巻き込みながら荒れ狂い、チリーへと直撃した。
全身が散り散りになりそうな程の衝撃だった。
後方の階段に背中から叩きつけられ、その衝撃で階段がただの瓦礫の坂道へと成り果てる。
「チリー!」
倒れ伏し、そのまま立ち上がらなくなったチリーの元に、ミラルが慌てて駆け寄ってくる。
青蘭の一撃で鉄格子が破壊されたことで、ミラルはひとまず解放されたのだ。
チリーはわずかに身体を起こし、駆け寄ってきたミラルを見つめる。所々薄汚れてはいるが、目立った傷はない。精々かすり傷程度だ。
それを確認してチリーは小さく息をつく。
「……離れてろ」
チリーの身体は、既にボロボロだった。
青蘭との戦いで傷ついたチリーには、至る所に傷口があった。パッと見ただけでわかる程の打撲や擦り傷、左腕には石片が突き刺さっており見るからに痛々しい。
腕を覆っていた籠手は粉々に砕け散っており、今や僅かに手の甲に張り付いているのみだ。
チリーは乱暴に左腕の石片を引っこ抜くと、ミラルに出口へ向かうよう顎で促した。
「今のうちにさっさと逃げとけ。入り口でラズリルと合流しろ」
「でも、その怪我……!」
「関係ねェ、気にすんな」
そう言って立ち上がったチリーの左手を、ミラルはギュッと握りしめる。
「……関係なくない」
「……あ?」
思わず口をついて出た言葉に、ミラル自身も動揺してしまう。
歩み寄っていた青蘭が、ピタリと足を止める。そして何かを見定めようとするかのように、二人の様子を見つめていた。
「関係なくなんかない……!」
もう、関係ないだとか、気にするなだとか、そんな言葉を聞くと黙っていられなかった。
――――ミラルとティアナは関係ねェし……あいつは死なせねェよ。
ミラルとチリーの関係は、利害の一致だけだとミラルは思っていた。少なくともチリーの方からは。
チリーにとっては賢者の石の破壊だけが目的で、ミラルには手がかり以上の意味はない。そう思っていた。
だけどもしかしたら、そうではないのかも知れない。
青蘭に対して意地を張ってああ言っただけかも知れない。それでも、チリーにとってミラルは、死なせたくない相手だった。ほんの少しでも仲間だと思っていてくれているのなら……ミラルだってそれは同じだ。
もう、関係なくなんかない。
気にならないわけがない。
「関係あるし、気になるわよ!」
「お前……」
「もっと話してよ! たくさん抱えてるなら、少しくらい話してくれたって良かったじゃない!」
気がつけば、ミラルはその両目に薄っすらと涙を浮かべていた。
三十年前のチリーを、ミラルは何も知らない。
だからいつだってチリーは寂しそうで、どこか遠くを見ていて。
何も出来ないのが、言えないのがもどかしかった。
あの日助けてもらって、短い間だけどここまで一緒に歩いて。今もまた、助けようとしてくれていて。
そんな相手に何も出来ないのが、悔しくてたまらなかった。
抱えているものを、少しだけでも吐き出せてもらえたら良かったのに。
「私……チリーの力になりたい……」
かすれた、消え入るような嗚咽混じりの声音。
うまく答えられずに戸惑うチリーだったが、何故か少しだけ身体に力が入るような気がした。
「……後で聞いてやるよ。いくらでもな」
そう言ってチリーは、ミラルをかばうようにして右手を広げる。
「だから……”ちょっと下がってろ”」
あの日と同じ言葉。だけどその距離は、少しだけ前より近い気がした。
「話は終わったか?」
「待ってくれるたァ慈悲深ェな。お優しくって涙が出るぜ」
「今の内に流しておけ、最後の涙をな」
「そうはいかねえよ。ダチのよしみだ。テメエがくたばった後には一応泣いてやらねえとな」
不思議と、傷ついた身体に力が湧き上がってくる。
圧倒的な力の差を見せつけられた後でも、まだ立ち上がれる。
これはただの……感情的な昂りではない。
「チリー……その手……!」
砕かれたハズの右手の鎧が、赤い魔力を伴って修復されていく。
チリーにとっても信じがたい光景だった。
「これは……ッ!?」
三十年の眠りは、チリーから戦う力を大幅に奪った。魔力の井戸が枯れてしまったかのようで、完全に力を取り戻すことが出来なかった。先程だって、枯れた井戸からなんとか数滴すくい上げたようなものだったのだ。
それなのに今は、どこからともなく魔力が湧いてくる。
ミラルが触れた、あの瞬間から。
「え……?」
ミラルの身体が、薄っすらと光を放つ。
淡く、いくつもの色を孕んだ穏やかな光はまるで……オーロラのようだった。
「どうなってんだ……!?」
オーロラのような光が、チリーの身体を優しく包み込む。ソレはチリーの中にどんどん溶け込んでいってチリーの魔力へと変わっていく。
真紅の魔力が満たされて、形成された赤き鎧がチリーの身体を包み込んだ。
遠くで見守っていたラウラが、二人の様子を見て目を見開く。
「彼女の聖杯が……目覚めた!」
急激に上昇したチリーの魔力に、青蘭は僅かに瞠目していた。だがしかし、すぐに意識を戦いへと引き戻す。
「力が戻ったか……ルベルッ!」
音のような速さで、青蘭がチリーへ迫る。
そして繰り出された拳を、赤き戦士が右手で完全に受け止めた。
「どうやらそうらしいぜ……!」
力が満ち溢れてくる。
傷の痛みも感じない。
もう、負ける気は全くしなかった。
「来いよ……! テメエの泣き言にもう少し付き合ってやるぜ!」
繰り出されたチリーの左拳を、青蘭は避けることが出来なかった。
のけぞった青蘭を、今度はチリーの連撃が襲う。
なんとかそれを受け止める青蘭と、猛反撃を開始するチリーの一進一退の戦いが繰り広げられた。
ミラルが後ろにいることを意識してか、チリーは前へ前へと攻めていく。防戦気味の青蘭は、じわじわと後退を余儀なくされていた。
迸る赤と青の魔力が、二人の周囲を破壊していく。
ただでさえ滅茶苦茶だった地下牢が、二人の戦いで更に破壊されていった。
「ミラルちゃん!」
二人を見守るミラルの元に、慌てて駆け寄ってきたのはラウラだ。
「ここは危険だわ、脱出するわよ」
「で、でも……」
「ここにいれば必ず巻き込まれる……それは彼も望んでいないハズよ」
ラウラの言葉に、ミラルは小さく頷く。
このままここにいればチリーも戦いにくくなる。ここはラウラの言う通り、すぐにこの場を離れるべきだ。
破壊された階段は小さな瓦礫の山になっていたが、どうにか登れないことはない。
ミラルはラウラと共にどうにか登り切り、出口へ向かって急ぐ。
そんな二人をチラリとだけ見て、チリーは再び青蘭と向き直った。
「お前は危険だ……ここで消えろ、ルベルッ!」
二人の戦いの余波は、既に地下牢を原型がわからない程に破壊し尽くしていた。これではまるでただの洞窟だ。徐々に崩れ始めているのはお互いにわかっていたが、それでも戦うことをやめない。
譲れるハズもない。
どちらも同じ性分だった。
青蘭の誘いをチリーが断った瞬間から――――或いは三十年以上前から。
この戦いは必ず起こるものだった。
二人の魔力が最大限まで高められる。互いに次の一撃で勝負をつけるつもりなのだ。
燃え盛るような真紅の魔力と、全てを飲み込もうとする群青色の魔力。最早二人は相反する二色の光の塊に過ぎない。
「
「ルベルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
激突する二色の閃光。
その結末は、地下牢の崩壊の中に埋もれた。
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