episode6「Specters of the Past」
「死ぬ前に一度でいいから、誰かとゆっくりお茶がしたかったの」
ラウラ・クレインはそう言って、自分を殺しに来た女を座らせた。棚からはちみつの入った瓶を取り出して、パンに塗りたくると皿に乗せて女の前に差し出す。
隙だらけの、いつでも殺せるような相手のハズだった。
生まれた時から視界がぼやけていた殺し屋の女には、彼女の姿形はハッキリとはわからなかった。それでも音や気配で、随分とのんびりした奴だと判断した。
気づかれずに家に忍び込み、眠っている間に殺してしまおうとしたが、ラウラは眠っていなかった。
ごめんなさい、眠れないの。などと見当違いの謝罪をして、ラウラは殺し屋を客としてもてなし始めたのだ。
殺し屋にとって、それは初めての経験だった。
奇異な見た目で親に疎まれ、生まれつきぼやけていた視界のせいでまともな仕事も持てずに泥水をすするような生活をしてきた。
蔑まれながら汚れ仕事をやってようやく生計を立ててきた殺し屋にとって、この待遇は初めての経験だった。
ラウラの顔がよくみたい。
そう思って目をこらしていると、不意にラウラが殺し屋の耳に何かをかけた。
その瞬間を、殺し屋は一生忘れないだろう。
くっきりとした輪郭を持った世界は夢の中でも見たことがない程にクリアだった。
初めてはっきりと見た人間の顔は、ひどくやつれていたがそれでも穏やかに微笑んでいた。
「これでよく見えると思うわ」
ラウラの顔をまじまじと見つめて、殺し屋は呟く。
「……なんで?」
「……ただあなたが寂しそうで、私も寂しかったから」
その日初めて、ラズリル・ラズライトは頼まれた仕事を放棄した。
***
ラズリル一人ならどうとでもなる。そう考えていた衛兵達が次から次へと倒れていく。
誰一人として、ラズリルが何をしているのか視認出来たものはいなかった。
ただ次々と無力化されていく内に、残った衛兵達は悲鳴を上げるようになった。
恐怖に囚われた相手はいつでも処理出来る。そう判断してラズリルは素早くランドルフとの距離を詰める。だがランドルフはほとんど動揺していなかった。既に剣を抜き、ラズリルを待ち構えて不敵に笑う。
接近してくるラズリルに対して、先に剣を振るったのはランドルフの方だ。
(意外と速いね……っ)
ランドルフが剣を振り抜いた瞬間、鈍い金属音が響く。
そして跳ねるようにして、ラズリルがランドルフから距離を取った。
「ほう……暗器か」
「ご存知でしたか」
ラズリルの服の中には、ナイフを中心としたいくつかの刃物が仕込まれている。それを素早い手付きで出し入れし、衛兵達を最小限のダメージで行動不能へ陥らせていたのだ。
その目にも留まらぬナイフさばきを衛兵達は一人も見抜くことが出来なかったようだが、唯一ランドルフだけは一度刃を交えただけで理解した。
(バカ王子だと思って侮り過ぎたか)
すぐに地下牢へ行く予定だったが、どうもそういうわけにはいかないらしい。
「ネズミに似合いの小狡いやり方だな」
「お褒めに預かり光栄にございます、殿下」
如何にラウラ誘拐の犯人とは言え、相手はこの国の王子だ。殺してしまえば大きな問題になる。
しかし殺さずに、正面から動きを止めるとなれば、ランドルフはラズリルにとってかなり手強い部類に入る。
「頼んだぜ、チリーくん……!」
小さくそう呟きつつ、ラズリルは身構えてランドルフの出方をうかがった。
***
対峙するチリーと
「こんなところで何してやがる」
「それはこちらの台詞だ」
鋭く問うたチリーに、返す刀で青蘭がそう答える。
「何もかも捨てたお前に、今更何が必要だと言うんだ?」
責め立てるような青蘭の物言いに、チリーは小さく息を吐く。
「何もいりゃしねえよ。俺はただ、あの日の責任を取るだけだ」
伝説の秘宝を求め、愚かにも手を伸ばし、周囲を焼き尽くした忌まわしき記憶。チリーと青蘭の、最後の旅の記憶だった。
「責任? そんなものはありはしない」
しかし青蘭は、静かにかぶりを振る。
「賢者の石の力は誰にも制御出来なかった。
あの日、暴走した賢者の石はそこにいる誰にも制御出来なかった。
チリーと青蘭が賢者の石に触れた時、賢者の石の中から溢れ出した魔力は災害のように暴れるだけだった。
当然チリーも青蘭も、破壊など望んでいなかった。ただ制御出来ない魔力が渦巻き、何もかもを破壊し尽くしたのだ。
「……いいからどきな。陰気なテメエと問答したって何の得にもなりゃしねえンだ……昔からな」
これ以上取り合うつもりはない。一度気を取られてしまったが、チリーにとって本来優先すべきはミラルとラウラだ。
「どけっつってンだよ」
吐き捨てるように言って、チリーは青蘭を再び睨みつける。
「悪いがそういうわけにはいかない。ラウラ・クレインは俺が始末する」
青蘭のその言葉に、鉄格子の向こうで聞いていたミラルが息を呑む。
チリーもまた、予想外の言葉に顔をしかめた。
「ランドルフに雇われてンじゃねえのか?」
「……あの男は利用していただけだ。俺の目的は最初からラウラを始末することだ」
「どういうつもりだ……?」
「エリクシアンはこの世に存在してはならない。エリクサーの生成方法を知るその女は始末させてもらう」
その言葉に、チリーはピクリと反応を示す。
「俺は全てのエリクシアンを殺す」
その瞳の奥で燃える炎を、チリーだけが見ることが出来た。
消えることのない業火の如き怒りはドス黒く、青蘭の奥で深く深く燃えている。冷めた仮面で隠していた炎が、チリーにはハッキリと感じ取ることが出来た。
「この世界にエリクシアンは必要ない」
「……言えてるな」
「エリクシアンは、エリクサーは過ぎた力だ。当然、賢者の石もな」
エリクシアンの力は戦場に革命をもたらした。ただし、一方的にだ。
現在アルモニア大陸の大半を国土としているゲルビア帝国の力は、ほとんどエリクシアンの力だと言っても良い。エリクサーと、エリクシアンの力が一方的な破壊と殺戮を生み出し、ゲルビア帝国を大帝国へと導いたのだ。
そしてそれでも更に力を求めるゲルビア帝国が目をつけたのが賢者の石だ。
「エリクシアンを抹殺し、ゲルビア帝国を潰し、この世界の本来の姿を取り戻す。人間だけの世界をな」
青蘭の目は本気だった。
全てのエリクシアンを殺す。そのためなら、手段は一切選ばない。
「俺はあの石にまつわる全てを、根絶やしにする」
それを理解して、チリーは嘆息する。
結局の所、チリーも青蘭も同じなのだ。
あの日、テイテス王国と共に何もかもを失った時から……二人は一歩も動けていない。
止まった時間の中で全てを放棄し、チリーは己を封じるようにして眠りについた。その三十年間、青蘭もまた止まっていたのだ。
どんな三十年だったのか、チリーにはわからない。だけどあの日で止まっていることだけは確かだった。
「俺と共に来い、ルベル。お前には俺の言っている言葉の意味がわかるハズだ」
そう言って、青蘭はチリーへ手を差し伸べる。
「二度とティアナや、テイテス王国のような悲劇を繰り返すわけにはいかない」
ティアナ。
青蘭がそう口にした瞬間、ミラルの心臓が脈打つ。
チリーと青蘭、二人が共に旅をして、同じ悲劇の引き金となったのは今の話でミラルにも理解出来た。そして恐らく、ティアナという人物が命を落としているということも。
チリーと青蘭にとって、ティアナという人物がどれだけの存在だったのか、ハッキリとはわからない。しかし少なくとも、ティアナによく似たミラルを見た時に取り乱してしまうくらいには大きな存在だったのだろう。
どうしてか、ミラルは祈るような気持ちでチリーを見つめていた。
チリーと青蘭の目的はほとんど同じだ。
賢者の石を破壊する。
エリクシアンを殺す。
どちらも賢者の石にまつわる悲劇を根絶したいという思いに他ならない。
もしここでチリーが頷けば、青蘭と共に過去を精算するための旅が始まるだろう。そこにきっと、ミラルはいない。必要ない。二人の間にいるのは、ティアナという過去の人物なのだから。
それでいい。それでいいハズなのに、ミラルの鼓動は不安で高鳴るばかりだった。
その理由を、ミラルはうまく言語化出来ない。元々ミラルの人生は、賢者の石の因縁とは関係ないのだ。勝手に過去を引きずって、勝手に復讐してくれればそれで構わない。
だけどどうしても、ミラルの気持ちはざわついていた。
チリーに、頷いてほしくない。
チリーが過去に囚われているのは知っている。いつだってチリーは遠くを見ていて、どこか寂しげな瞳をミラルからそらしていた。
それがきっと、ミラルは嫌だった。
青蘭と共に行けば、チリーは本当に過去だけに囚われてしまう。
エリクシアンを全て殺すのが目的なら、その旅の果てにチリーはもういない。チリーが自ら命を絶つか、或いは青蘭によって命を絶たれるか。
「……チリー」
思わず呟いたミラルの方へ、チリーが視線を向ける。
ミラルの思いを知ってか知らずか、チリーは小さく笑みをこぼした。
「断る」
ただ一言、短くチリーが答えると、青蘭は顔をしかめる。理解出来ない、と言わんばかりの表情だ。
「何故だ?」
「テメエのやり方は気に食わねえ。俺には俺のやり方ってモンがあんだよ」
チリーと青蘭の目的の根底にあるものは同じだ。しかし、それだけだ。やり方も違えば思想も違う。
賢者の石による悲劇は二度と起こしてはならない。
だがチリーは、そのために新たな犠牲を生み出す道を選ぶつもりはない。エリクシアンを殺すため、ゲルビア帝国を潰すため、そうやって歩く修羅の道に残るのは死体の山だけだ。
今更そんなものを見たいだなんて、チリーは微塵も思わない。
「共に来いだァ? やかましい! 俺はどけっつってンだよ!」
今のチリーを見て、ミラルは青蘭との決定的な違いに気づく。
二人は過去に囚われている。それは同じだ。
だが冷たい仮面の下で炎を燃やす青蘭と、冷めたフリして瞳の奥に光を宿すチリーは、決定的に違うのだ。
青蘭はチリーのことを何もかも捨てたと評したが、ミラルからすればそれは逆だ。何もかも捨てて、全てを消し去ろうとしているのは青蘭の方だ。
人を殺すつもりがなく、賢者の石という力の源だけを壊そうとするチリーは、僅かではあるが未来を見ている。その先を生きるつもりがあるのかも知れなかった。
「そうか……」
ひどく落胆した様子で、青蘭が呟く。
そして静かに、身構えた。
「ならここで、始末してやるのがせめてもの情けだ……ルベル」
瞬間、青蘭の身体を魔力が包み込む。チリーが纏う赤い魔力とは正反対の青い魔力だ。
予想出来ることではあったが、やはり青蘭もまたエリクシアンだったのである。
「……お前、昔から押し付けがましいよな」
悪態をつきながらも、チリーの額にはじんわりと厭な汗が滲んでいた。
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