第14話 いいよ

図書室に着いて、ゆうこは何とか持った足をふらっともつれさせる。

「あ、ぅわ」

ぐら、と体が傾いて──

「夕姫! 、っわ!」

「ひゃっ」

誰かに受け止められた。受け止めきれずその誰かもふらついたらしい。ぼすっと、想像していたよりずっと軽い衝撃に一瞬だけ目を瞑って。

「ったく。大丈夫か」

「──!?!?!?」

状況を把握する前に飛び退った。その拍子にどしんと尻餅をつく。

「ぎゃんっ!」

「お前、せっかく庇ってやったのに!」

「ご、ごごごめんなさいっ!」

ばくばくと鳴る心臓と吹き出る汗。焦りからか先程まで走っていたからかわからないけれど、図書室の離れに入る前、飛び石の上にちょうどお尻がのったらしい。立ち上がったスカートはあまり汚れていなかった。

夕暮れ時の図書館は結構暗い。その分ひんやりとした空気に半袖のマサトくんは、随分寒そうだった。

「ご……ごめん、連れ出し、ちゃって……」

「今更かよ」

「そ、それは……ご、ごめんなさい」

スカートをギュッと握る。シワになるとわかっていても、緊張したり怖かったりすると、こうしてしまうのだ。

さわさわと木の葉が擦れる音がする。風が吹いてきている、マサトくんはゆうこから視線を外すことなく、見つめていた。

「あ、あの──」

「夕姫さん!」

「ひぇえっっ!」

唐突な大声に飛び上がる。何か大事な決心をしたはずなのにそれも霧散し、後ろから聞こえてきた、聞こえるはずのない声にゆうこは思わずマサトくんにしがみついた。

「あ、おいコラ」

「なっ、なっ、なっ、なんで──」

さくちゃん。

冷静な、冷徹にも見える黒い瞳が夕陽を吸い込んで。ゆうことマサトくんのことを──正確にはゆうこのことを、じっと見つめていた。

人の視線が怖い、とゆうこの中が泣き叫ぶ。冷静な目に怯えて、マサトくんの服をギュッと握りしめた。

「……あの時、どうして庇ったの」

「は? 庇ったって、どういう」

「如月君には聞いてない。夕姫さんに聞いているの」

「ひっ」

不愉快そうに眉を顰めたマサトくんだけれど、鬼気迫る勢いに反論するのはやめたらしい。

ゆうこの肩を抱きよせて庇うように前を見据える。

レモンとかパイナップルみたいな、弾けるみたいないい匂いがした。それどころでないのに少しホッとする。

「……貴女なら、動機の幾つかくらいは想定していたでしょう。そこの鈍感くんとは違ってね」

「……」

「ど、どうき」

「どうして庇ったりしたの? あんな……あんなこと、言って。折角、みんな貴女に同情していたのに」

答えなければ逃さない、と言うように睨みつけるさくちゃん。夕陽が逆光になり、強い瞳がゆうこを縛り付ける。

影を縫い付けられたみたいに動けない。ごく、と喉を鳴らす音が木のさざめきにやけに響いた。

「と……ともだち、でしょ……」

「!」

「ど、どうきは、わかんないよ。分かるわけない。で、でも、あなたが、どうき、いってなかったのは、わかる」

さくちゃんはあの時、巧妙に話を逸らしていた。受け止めきれない事実をぶつけられて混乱しているうさぎちゃんや、衝撃的な真相に固まっている彼等の目を、ゆうこへの罪悪感で曇らせたのだ。

ゆうこへ酷いことをした。残酷な事を言った。罪悪感を募らせて、自分への追求を誤魔化す。

「あ、あなたは。うさぎちゃんが、わ、わたしをいじめてるから、こんな事、したんじゃない」

「…………」

「ふ、副産物として、わ、わたしが、庇われた、だけ。りゆうは、べつにあった。そうでしょ」

喉がカラカラと渇く。何度かゴホゴホ咳き込んで、また前を見据えた。

黒い目が、ゆうこさえも吸い込むように見えた。どこか諦めたような、黒い瞳。

「──そうよ。私はね、栄くんに構われているうさぎちゃんが許せなかったの」

「アイツに?」

「あなたはわからないわよね、如月くん。栄くん、結構人気あるのよ?」

「そうなのか?」

マサトくんが視線をよこすので、ゆうこは何度もこくこくと頷いた。

「そ、それは知って……る、にんきもの、いいなっておもってた、から」

クラスのまとめ役、リーダー的な存在のさかえくんは人気がある。ゆうこも、人気者とは言わなくても友達が欲しかったから、そう言う人たちはチェックしていたのだ。

「そう。私ね、栄くんのこと好きだったのよ」

「え」

「でも……栄くんは、うさぎちゃんの事ばかり気にしているでしょう。可愛い、ふわふわした女の子。私は到底、そんなのになれないから」

だから、憎らしくて。と。

鮮やかに笑って彼女は言った。嫌悪感のかけらもないような、綺麗な笑顔で。

「でもすぐに、馬鹿なことをしたと思ったわ。あの子は憎らしい。羨ましいけれど、足を引っ張ってもどうにもならない。……どうしても、自分から言う勇気はなかった」

勇気。勇気というのは、やっぱり、悪い事をした人でも持たなければいけないらしい。ゆうこが勇気を振り絞ったように。

それが出来なかったのだ。きっと探偵ロジャーならばくだらないと切り捨てるだろうに、ゆうこはどうしても切り捨てられない。

「あの体操服が無くなっていた時、焦ったし、ホッとしたわ。誰かが調べていて、きっとその人は、残さず罪を暴いてくれるってね」

気丈に立っているはずの彼女が、ずっと手を震わせている。それが寒さからじゃないことなんて、とっくに分かっていた。

「だ、だから。さくちゃんはずっと、協力、してくれてたんだね」

「そうよ。したくもない犯人探しをさせてしまって、ごめんなさいね」

黙りこくる。さくちゃんの乱れた綺麗な髪が、少し冷たい風にふわりと舞った。

夜が次第に、暖かな空気を奪っていく。ゆうこは黙って温もりを与えてくれる後ろの少年に感謝しながら、そっと首を振った。

「いい、よ。わたしは、いいよ」

「夕姫さん」

「ゆうきさんって、呼んでくれてるだけで、わたし、嬉しい。クラスの子からゆうこって言われるの、あんまり好きじゃないから」

ゆうこは、自分の名前が好きだった。好きな名前を踏み躙られるのが苦しかった。クラスの人たちが語るゆうこという名前には、たいてい侮蔑が込められていて、そのくらいなら夕姫と呼んでほしかった。

「さくちゃんは、や、やさしい、ひとだよ」

「……でも私、貴女のこと」

「い、いいんだよ。わ、わたしね。さくちゃんから、わ、悪口言われなかったの、し、知ってるから」

「!」

「それだけ。か、庇われなくてもいいよ。救われなくて、いいよ。ひ、ひどいこといっても、いいよ。ごめんなさいって、言ってくれたら、ぜんぶいいよ」

ゆうこは人を怒るのが苦手だ。

臆病だから、怯えてばかりで怒りが持続しない。ましてや恨みも出来ない。大事な名前も大事な家族も、馬鹿にされても何もできない。

でも初めてこの時、自分の性質が少しだけ好きになった。

この、頑張って二本足で立ってる強い女の子を、責めることにならなくてよかったと。心の底から思う。

「だ、だから。わ、たしは、良いから。おともだちの……う、うさぎちゃんに、ごめんなさい、してね」

「うさぎちゃん、に?」

「せ、せっかく。仲良しの、お友達だもん」

ゆうこにとってのうさぎちゃんは、すごく大切で、大好きなお友達だった。きっとさくちゃんにとってもそうだろう。

「なかなおり、して、ね?」

「……っ!」

さくちゃんは何でか傷ついたような顔をして、ぱっと踵を返す。

震えた手をぎゅと握って、小さな背中をしゃんとたたせて。

「ごめんなさい……ありがとう、探偵さん」

小さな小さな声でつぶやいて、走り去っていった。


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