第16話 打ち明け話
二人で並んでバスケットの中身を広げていると、床の扉を叩く音がした。フィスクが視線も動かさずに返事をする。どことなく、その声が冷たい気がした。
「フィスク様、お茶をお持ちしました」
はしごを上がって来たのはアロシアだった。持ち手の付いた木箱を後ろの従者に持たせて、巫女はフィスクをまっすぐ見つめて微笑む。
「お食事の準備に手間取ってしまい、申し訳ありませんわ」
「構わない」
「よい物がございますわね。ですが……」
スコーンとサンドウィッチを見つけたアロシアの微笑みが、シャイラに向けられる。穏やかな表情の筈なのに、背筋がひやりとした。
「シャイラさん。わたくし、ここまでいろいろな物を持ち込むことを、許した覚えはありませんわ」
アロシアの肩越しに、従者がきつく睨みつけてくる。許可はある、とシャイラが言ったことを、そのままアロシアに話したのだろう。
「フィスク様のお話し相手を、とは申しましたが。勝手なことをされては困ります」
アロシア主従の視線に、世話係をすることになった時のやりとりが頭をよぎった。
「す、すみま――」
「俺だ」
反射的に謝ろうとしたシャイラを遮って口を開いたのは、フィスクだった。
「俺の要望を叶えただけだ。問題があるなら俺に言え」
二人を見比べたアロシアは、小さく息を吐いた。
「でしたら、なんの問題もございませんわ。偶然にも、こちらの不手際を助けてくださった形ですし」
「アロシア様!」
「何よりも優先されるべきは、フィスク様の御心です。そうでしょう?」
異議を唱えようとした従者を黙らせて、アロシアはその手からティーセットの入った木箱を奪った。
「さて、シャイラさん。わたくしはフィスク様とお話がございまして。よろしいかしら?」
用意されているティーセットは二人分。出ていけ、と言われているようだった。
不快感はありつつも、アロシアの言葉に逆らえる立場ではない。仕方なく立ち去ろうと足を踏み出したシャイラの手首を、またもやフィスクが掴んで止めた。
驚いて振り向けば、雲色の瞳がまっすぐにシャイラを見ていた。相変わらず何を考えているか分からない。言葉数も少なくて、本心などまったく見せてくれない。
けれど、その目が、ただひたすらにシャイラだけを見ていたから。
引かれるように彼の隣に戻ると、フィスクはするりと手を離した。
「俺はお前と話すことはない」
アロシアの笑みが強張った。
「ですが、フィスク様」
「俺の心が優先なんだろう」
今度こそ、フィスクの声が露骨に刺々しくなった。
彼は風の精霊で、人間を嫌っている。アロシアとて、そのことは承知しているはずだ。
「必要以上に、俺に関わるな。元からそういう契約だ」
「……ええ。分かりましたわ。何か用がありましたら、遠慮なくお呼びくださいませ。お待ちしております」
アロシアは深く頭を下げ、従者を促して部屋を出ていく。従者は再びシャイラを睨んでから、主を追いかけていった。
扉が勢いよく閉まって、足音が小さくなっていく。シャイラは耳をそばだて、彼らが完全に遠ざかるまで息を詰めていた。
二人きりの部屋を、沈黙が支配する。どうしていいか分からず立ち竦んでいれば、フィスクが動いた。
アロシアが置いていったティーセットに手を伸ばし、湯を沸かすための小さな魔道具を取り上げるフィスク。深い赤色の石がついた鉄の棒をポットに放り込んだのを見て、シャイラは慌てた。
「あ、私が……」
フィスクは軽く首を振って、茶葉の缶を開けた。慣れた手つきが少し楽しそうで、「座ってろ」と言われた通り、椅子に腰を下ろして待つことにする。
「俺には俺の目的がある。だからお前をここに呼んでいる」
意味もなく魔道具を揺らして、ポットの湯をかき混ぜるフィスクは、頑なにシャイラと目を合わせない。だが、アロシアを前にした時の冷たさは無かった。
拒絶されてはいない。だが、それ以上踏み込むなという線引きも感じてしまう。ここで彼が、その目的を明かしてくれないのが証拠だった。
でも。
「あの女は、俺を利用したいだけだ。……本物の精霊である俺を」
少しだけ、近づくことを許された。
息を呑む。前は、その言葉を聞くのにもっと長くかかった。彼はもっと淡白で、シャイラのことも興味が無いようだった。
ティーポットから魔道具を抜き、計っていた茶葉を放り込んで、砂時計をひっくり返す。そこまでやってフィスクは、ようやくシャイラをちらりと見た。
「予想はしてたんだろう。精霊関係の本を読んでいたくらいだ」
「……うん。でも、フィスクから話してくれるとは思わなかったから」
癖もなくまっすぐ伸びた、空色の髪。光を孕んできらめく雲色の瞳。
『〈風の民〉はその身に空を宿す』。美しい、ただ美しいその姿。人の身にはありえない神秘を纏う彼を、誰もが崇めるだろう。
注目されること、人と関わることを嫌うフィスクは、そうやって崇められることが許容できない。だから教会の巫女ですら突き放す。
「話す気は……、そうだな。無かった」
ぼんやりとアネモネを眺めて、フィスクは自然な手つきでサンドウィッチを手に取った。一口かじって、目を丸くする。そして、唇を引き結んだ。
「え……、美味しくなかった? ごめんなさい、無理に食べなくていいから……」
狼狽して立ち上がったシャイラの目の前で、フィスクは右手を掲げる。
ふわりと空気が動いた。窓も開いていないのに部屋の中で風が吹き始める。場を乱すような突風ではない、穏やかなそよ風。アネモネの花を揺らし、フィスクの長い髪を膨らませて、ゆっくりと消えていく。
「フィスク……?」
「やっぱり、俺にはお前が必要みたいだ」
フィスクは何かを堪えるように、胸の前できつく拳を握りしめていた。
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