第14話 準備をしよう

 自室の窓を開けると、陽気を失った夜風が心地よくシャイラの髪を揺らした。この時期、窓を開けたままにして寝るのが好きだった。


 窓際に置いてあるアネモネの鉢は、明日になれば教会に持っていけるように準備をしてある。


 シャイラが育てている花と言われて、思い浮かべたのはこのアネモネだった。いつかフィスクに見せると約束して、結局果たされることはなかった。


 フィスクはその約束を、覚えていない。


 時間が戻って無かったことになった約束だが、それでも少しだけ、嬉しかった。



「でも、どうして私が作ったものがいいんだろう?」



 どこまでなら、聞いて許されるだろう。フィスクに拒絶されてしまえば、シャイラはあの塔に入れなくなる。


 彼に心を開いてもらうために、決定的な何かが足りていない。そんな気がしている。



「シャイラ、入っていい?」


「いいよ。なあに?」



 母の声がして、シャイラは明るく返事をした。


 部屋に入ってきた母のエリーシャは、シャイラと同じ顔で穏やかに笑う。



「明日、お店が休みでしょう? 注文していた肥料が届いたらしいから、取りに行ってくるわ。シャイラは明日も教会かしら?」



 エリーシャの花屋では、月に一度、隣国ハルクメニアから肥料を仕入れている。母に言わせれば、アリアネス帝国の土は「ぜんぜん駄目」とのことだ。



「あ……! そうなの、ごめんなさい。私の仕事なのに」


「それはいいのよ、台車もあるし。でも裏の畑に運ぶのはいつも通り、お願いしてもいい?」


「もちろん。帰ってきたらやっておくね」



 風の国で生まれたシャイラの方が、力仕事は得意だ。花や薬草を育てることができない分、肥料や水を運んだり、土を耕したりといった体を動かす作業はシャイラの仕事だった。


 じゃあよろしく、と部屋を出て行ったエリーシャを見送る。



(明日が肥料の仕入れ日、っていうことは)



 時間が巻き戻ったのは、たったのひと月分だ。詳しい日付は忘れていても、何が起きたのかは覚えている。


 帰ったら肥料を片付ける、と約束したその日、教会の食堂で爆発事故が起こる。コンロに取り付けた新しい魔道具が暴走したのだ。新しい、あるいは古い魔道具はよく不具合を起こすが、それでも厨房をまるまる吹き飛ばすほどの暴発は珍しい。街でもしばらく話題になっていた。


 教会にいる人間は体の丈夫さに自信がある者ばかりで、厨房にいた料理人ですら軽傷で済んだのは幸いだった。しかし食堂は数日使えなくなった。


 この日はとにかく、フィスクの食事をこっそり準備するために走り回った覚えがある。



「ご飯……、作っていこうかな」



 爆発が起きるのは、確か朝食の準備中だった。祭官たちは自分で市場などに行って食事を調達していたが、フィスクは何も食べずに塔で待っているのだ。



(私のお菓子、理由は分からないけど気に入ってくれてるみたいだし。手作りの料理を持っていけば、そっちも食べてくれるかも)



 ただ、突然ちゃんとした食事を持っていけば、何故こんなに用意がいいのかと不審がられるかもしれない。


 いつも作っているお菓子に近い軽食を、いざとなれば自分の分だと言い訳できるように、少量。その代わり、お菓子の量を増やして、しっかり腹が満たされるように。



(スコーンはどうかな。お茶くらいなら厨房じゃなくても淹れられるし。サンドウィッチならスコーンと一緒にしてもおかしくないよね)



 出来栄えにはまた突っ込まれるだろうけれど。


 スコーンに添えるジャムはそこまで種類がない。明日の朝、早起きして東通りまで行って、朝市でクロテッドクリームを買ってもいいかもしれない。サンドウィッチは甘い味付けを避けて、具材を多めに挟めば満足感も得られるだろう。日中の食事には十分だ。


 考えているうちにワクワクしてきて、シャイラは笑みを零した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る