第11話 精霊の伝説
フィスクに呼ばれるまでの時間を、シャイラは教会の書庫で過ごすことにした。ここは参拝客がまばらに訪れるくらいで、祭官も用が無ければ来ない。
これまでは教会の食堂で待機していたが、事情を知らない人たちに怪訝な目で見られていたのだ。正直、少し居心地が悪かった。だが、ここならば周りの目を気にしなくて済む。
そして、精霊についての調べ物も存分にできる。
「女神さまにまつわる神話や、精霊全般にまつわる本はこの辺り。ここから先が風の精霊に関する本だよ。かなり多いけど、大丈夫?」
窓のない薄暗い部屋の中、持ち込んだランタンの火に照らされて、小さな埃たちが踊る。
背の高い本棚の間に足を踏み入れると、微かに古い紙の匂いがした。
「うん。読めるときにゆっくり読むから。ありがとう、コーニ」
書庫の中を案内してくれたのはコーニだった。風の精霊の血を引く彼は、シャイラが知る中で最も博識で頭がいい。彼を探したい時、仕事場にいなければこの書庫に来ればいいというくらいには入り浸っているのだ。
前にここで借りた本も、コーニに選んでもらったものだった。
「だけどアロシア様のお手伝いって、そんなに待機時間長いんだ」
「うん。私も詳しいことはあまり聞いてなくて。自分が何やってるかもよく分からないんだ」
それを知りたいから、ここにいる。
シャイラが今持っている情報は、時間が戻る前に知ったことだけだ。それもそこまで多くはない。
フィスクが精霊であるということは、目や髪の色から容易に想像できる。それに、風の精霊を信仰する教会がここまで丁重に扱っているのだ。その点をシャイラに隠すつもりは無いのだろう。
精霊。女神の手に依らない、世界そのものの創造物。
自然から生まれた彼らに女神は喜んだ。愛を注ぎ、その血を分け与えて、女神と同じ姿を持つ〈民〉を生み出した。
精霊たちは自然を自在に操ることができ、人間に魔法という形でその力を与えてくれたと言われている。
シャイラは目の前にあった、『精霊の歴史』と題された本を引き抜いた。
「あっ、その本はね、六十年くらい前の著作なんだけどすごくよくまとまっててね。確か、帝都の教会にいた司祭が書いた本だったかな」
嬉しそうに説明してくれるコーニに相槌を打ちながら、本のページをぱらぱらとめくる。
女神による世界の創造。人間の誕生。空、溶岩、海、大地から生まれた精霊たち。そして、魔物の誕生。
人里離れた場所で群れを作り、通りかかる旅人を襲うこともある魔物たち。時に小さな村を荒らすこともあるが、城壁に囲まれたシーレシアの街周辺ではほとんど見かけない。
シャイラが手を止めたページを覗き込み、コーニはため息をついた。
「そこ、研究者の中でも意見が分かれてるらしいんだ。女神様と精霊が姿を消して、魔物が出現し始めたのが同時期だってことは分かってるんだけど、その原因については何も記録が無くて」
「そうなんだ」
「ただ、一番最初に生まれた魔物……、〈始まりの魔物〉と呼ばれてるんだけど、その個体は精霊と敵対していたって言われてるよ」
そこで、コーニはそっと周囲を見渡した。声を潜め、シャイラの耳元で囁く。
「北の辺境で盛んな女神教……、それも過激派の中には、精霊が女神様の怒りを買って姿を変えられたのが魔物だって考えている人もいるみたい。これだから精霊の加護を持たない連中は、って司祭様たちは怒ってたよ」
「それは……、そうだよね」
精霊からの恩恵を受けて生きているのだ。教会の人でなくても怒るのは当然だ。
「その本では、僕たち人間の目から隠れているだけで、精霊たちはまだこの世界にいるんじゃないか、って締めくくられてる。僕もそうだと思うな」
「……そうだね」
塔の一番高い部屋にいる、フィスクのことを思い出す。
本物の風の精霊。黙して何も語らない、美しさの体現者を。
どうしてここにいるの、と問いかけても、彼はきっと答えてくれない。
「もっと、仲良くなればいいのかな」
ぽつりと落ちた呟きは、コーニに拾われて笑われた。
「精霊と? そうだね、信頼されれば姿を見せてくれるのかもしれないけど」
そんなに簡単にはいかないだろうと、シャイラはひっそりと肩を落とした。
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