ちょっと不思議な話

星埜銀杏

001 予言

 さて、これからオカルトや都市伝説を語ってゆこうと思った次第なわけだが……。


 当エッセイもリニューアルした事であるし、まず筆者の立場を明確にしておこう。


 大前提として筆者は一般人である。文字を書いて生きている人間ではない。ゆえに考えが至らなかったり、調査不足で間違いを語る事もある。加えて、オカルトに関しては懐疑論者的な立場をとっている。ただし、やや肯定論者寄りではあるのだが。


 だからこそ、オカルトや都市伝説などを理屈で説明しようとしてしまう癖がある。


 無論、それは懐疑論者としては当たり前な行為のわけだが、


 同時に、


 科学や理屈では説明がつかない現象もあると信じている。その辺りが肯定論者寄りなわけだ。その肯定論の背景には、しかっとした事由がある。ただし、その確固たる根拠は、今は、追々、語ってゆくとだけにとどめておこう。まあ、いつかである。


 兎に角、


 ここでは当エッセイの筆者は懐疑論者ではあるが完全否定するつもりはない、と。


 そうとだけは覚えておいて頂きたい。


 では、リニューアルの第一回目の議題なわけであるが……、


 今現在、オカルトや都市伝説などの界隈では予言が流行っているようにも思える。


 特に人類滅亡というシナリオを書いて、揚々と得意げに語る語り手が増えている。


 まあ、とどのつまり筆者主観でしかないのだが、どうにもそう思えて仕方がない。


 ゆえに、


 記念すべき第一回目は、予言というものを語ってゆこうか。


 さてと。


 筆者が考える予言とは大きく二系統に分けられるだろうか。


 そして、


 その二系統を、便宜上、ノストラダムス系統とタイムトラベラー系統としようか。


 ノストラダムス系統は、その名の通り、予知夢や占星術、神託などを利用した従来の予言者達である。タイムトラベラー系統は、最近、台頭してきた形であり、未来から過去である今へと来て、未来(※本人には過去だが)を言い当てる人物達を指す。


 有名な事例でいえば、前者がたつき諒氏であり、後者が國分玲氏となるだろうか。


 たつき諒氏とは漫画家で、未来を予言していると言われる漫画を描いた方だ。その漫画は、私が見た未来、といい、1999年7月に朝日ソノラマから出版された。もちろん話題にとなったのは1999年以降の未来を予言したと言われているからだ。


 それは、


 漫画の表紙にハッキリと書いてある。


 大災害は2011年3月と……、だ。


 もちろん、言うまでもないが、2011年3月と言えば東日本大震災の年となる。


 漫画の中では他にもフレディ・マーキュリーやダイアナ妃の早逝などの指摘もしているらしい。恥ずかしながら筆者自身は件の漫画を拝読して確認していないから伝え聞きでしかない。ともかく、12年も前に予言をしたからこそ話題となっている。


 そして、


 後者のタイムトラベラー系統の國分玲氏なのだが、日本の金メダルは27個です、


 という発言で有名となったツイッターのアカウントとなる。


 その発言の日付は2019年12月15日となっており、2021年7月23日に開催された東京オリンピックでのメダルの数を見事に言い当てている。他にも安倍晋三、元総理大臣の退任月や、菅義偉、元総理大臣の誕生などを言い当てている。


 筆者も件のアカウントを確認したが、


 どうやら少なくとも落ち着いて理路整然と語れる方ではあるという印象を受けた。


 さて、そんな、たつき諒氏と國分玲氏なのであるが、両氏の言い分に食い違いがあるのは、ご存じだろうか。ノストラダムス系統のたつき氏は言う。2021年8月20日に富士山が噴火するとだ。一方、タイムトラベラー系統の國分玲氏は言う。


 2058年までに富士山噴火と南海トラフ地震は発生しません、とだ。


 今は南海トラフ地震はおいておき、それよりも富士山噴火に関してだ。


 無論、たつき諒氏の言う2011年8月20日に富士山の噴火などはなかったという事も、一旦、おいておこう。それよりも大事なのは両氏の言い分が食い違っている事だ。一方は噴火すると言い(※こちらは外れた)、片方は噴火しないと言う。


 これは、どういった了見であろうか?


 いや、食い違いの前に、一旦、おいておいた外れたというものから論じてゆこう。


 その方が、併せて食い違いも分かりやすくスッキリと説明できるゆえ。


 では、続けてゆこうか。


 まず、予言が外れる理由としてオカルト界隈からは、こういった意見が聞けよう。


 つまり、


 いまさら言うまでもないが、タイムトラベラー系統の代表格であるジョン・タイター氏の言い分が流用されるのだ。いや、むしろ、流用したのはジョン・タイター氏の方で、彼が現れる前から言われていたオカルト界隈のある意味での常套句でだ。


 もちろん良い意味と悪い意味の両側を含めた、お馴染みの台詞となる。


 つまり、


 予言が外れる理由としてエヴェレットの多世界解釈を用いて説明し始めるわけだ。量子力学の話となる。ただ、多世界解釈を詳しく説明すると長くなるので、ここでは簡単に偶然が起こる度に宇宙が二つに分かれると思って頂けるとありがたい。


 いや、もっと分かりやすく言い砕いた方が適切であろうか。


 つまり、


 SF作品で、よく用いられるパラレルワールドというものこそが、それにあたる。


 時間軸が違う世界が沢山あり、自分が存在する世界は、その一つにすぎないというものだ。そして、その時間軸の違う世界は自分が知る世界とは微妙に異なっており、歴史も少しずつ変わってくるのだと言う。だからこそ外れるのだとなるのだ。


 多少の違いはあれど、こういった言い分で説明されているものは多い。


 これでタイムトラベラー系統の予言が外れるのは確かに説明できる。実は、もちろんの事、ノストラダムス系統も説明できる。予知夢などで見た未来が、その他の多世界での出来事であり、自分がいる世界の事ではなかったと説明しきるわけだ。


 そして、


 また、たつき諒氏と國分玲氏が食い違う理由も説明できる。つまり食い違うのは数多にある多世界の一つでの出来事であり、噴火する未来もあれば噴火しない未来もあるとできるわけだ。そして、これ以外の論で説明するものは大したものはない。


 兎に角。


 言えて妙な気もするが、ここに一つ大きな思い違いがある。


 もし仮に多世界があるとして、その為に予言が外れるとするならば、それは、もはや予言ではないと断じられる。単なる当てずっぽうに過ぎない。無論、予知夢を見るという行為も、タイムトラベルで過去にてきて未来を言い当てる行為も含めてだ。


 なぜならば予知夢で見た未来世界は、


 ここではない他の世界である可能性もあるし、我らがいる、この世界である可能性もあるからこそだ。つまり当たるも八卦、当たらぬも八卦。無論、タイムトラベラーの予言も同じくだ。余談だが、占いも、また同じ理屈に縛られているのだろう。


 だからこそ、当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉があるのだろうとも思う。


 無論、オカルトなど信じない方にも予言は外れる可能性もあるとして予言は予言などではなく、飽くまで占いと同じ類いのものとすると納得して頂けると思う。信じる方には大変申し訳ないが、当たるも八卦、当たらぬも八卦でしかないと言っておく。


 同時に、


 巷に溢れる予言と呼ばれるものの大半が外れると、多世界解釈を持ち出して説明し始めるところをみると、やはり占いの域を出ないのだろうと考えてしまう。少なくとも外れた時に多世界解釈を持ち出すものは、そう考えてもらっていい。


 先にも述べたが、別の理屈で説明するものには、一考に値するものがないがゆえ。


 ただし、


 筆者は占いを否定する立場にはない。


 むしろ、験担ぎに関しては人一倍、気を遣うし、占い師の友達もいる。


 無論、占い師さんには人生に困った時、助言をもらっている。否定する気もない。ただし、もしかしたら失礼な話かもしれないが、当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉は、心に、しっかととどめている。占いを信じ切らないようにしている。


 占いは、こんな可能性もあるという一つの指標としているだけの話だ。


 意思を決定する際の一つの考慮すべき大事な要素としての占いと位置づけている。


 つまり、


 筆者には、当たるとか、当たらないのだとかいった事は実はどうでもいい。むしろ可能性の一つで、それこそ多世界の一つなのだろうと考える。しかしながら予言を予言として当たると頭から信じるのは危険だと思う。疑う気持ちも持って欲しい。


 単に多世界の一つでの出来事であって、外れる可能性もあるのだから。


 ゆえに意思決定の強力な礎とするのは、どうだろうかと言いたいのだ。


 そして、


 ここでは敢えて言及しなかったが、今回、語った、たつき諒氏も國分玲氏も、互いともの予言を否定する論も確かに存在する。それらの理論は納得できるものだし、その理屈を使えば誰であろうと予言者になれる。ただし、それは、また別の話だ。


 加えて、


 裏を返せば、その否定論ですらも否定できる論はある、とだけ言って終わろうか。


 そして、


 こう思う。予言が当たろうとも外れようとも、それが読み物として面白いものであれば、それでいいのではないかと思う。ただし、地震の予言や噴火の予言などの不幸を題材としたものを面白いと愉しむ為には、やはり信じ切っていては不遜なのだ。


 ほうっと気楽に俯瞰するくらいでないと愉しめないわけだ。


 特に人類滅亡などというオカルトの決まり文句を愉しむ為には、余計に、だろう。


 昨今、どうも人類滅亡というパワーワードを気軽に使い、信じ切り、信じさせ、それどころか、それを嬉々揚々と語る(※少なくとも筆者には、そう見える)語り手が多くなっているように感じるからこそ、こういった問題提起をしたいと思う。


 では、また機会があれば、なんらかのオカルトを語らせて頂ければと幸いと願う。


 チャオ。

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