銀河鉄道の立ち食い蕎麦:メイジカルステーション店

和泉茉樹

銀河鉄道の立ち食い蕎麦:メイジカルステーション店

      ◆


 この度は、銀河鉄道エルエリオン線をご利用いただき、ありがとうございます。

 次の停車はメイジカルステーションでございます。停車時間は七十二時間となります。

 メイジカルステーション名物の太陽観光シャトルの手配は、当列車のコンシェルジュへお申し付けください。幅広いリクエストに対応することが可能でございますので、お客様のどのようなご希望にも添えることをお約束いたします。太陽観光、その他のプランに関して、詳細にご案内いたしますので、いつでもお気軽にコンシェルジュまでお尋ねください。

 次の停車はメイジカルステーション、メイジカルステーションです。


      ◆


 いよいよ太陽観光だ、と胸の中が沸き立つのを感じた。

 銀河鉄道に乗り込んで既に四年が過ぎている。二年間の冷凍睡眠を二回して、やってここへ辿り着いた。実年齢と生存年齢にズレが生じているのは、自分のことながら、まだ馴染めない。

 本当ならもっとこの列車を隅から隅まで楽しむつもりだったけれど、結局、冷凍睡眠を活用することになってしまった。

 目が覚めたのはつい数時間前。メイジカルステーションへ着く前に、食堂車で食事をする予定を立てていたのだ。今、注文を終えて席で待っているところだった。

 車内アナウンスにこれほど感動したこともない。ずっと夢だった太陽を間近で見るということがやっと現実になる。感慨深いじゃないか。

 お待たせしました、と料理が運ばれてきた。

 が、注文したものとまるで違った。

 そう指摘すると、給仕はとんでもない驚き方をして、持ち上げようとした料理の乗ったお盆をひっくり返した。料理の一部が靴に張り付く。それで、給仕は卒倒せんばかりになった。

 代わりの給仕がやってきて、謝罪して、靴をクリーニングに出すと提案してくれたけど、これから観光に行かなくてはいけないし、代わりの靴もない。クリーニングは丁寧に断って、謝罪だけを受けた。

 今度こそ料理が運ばれてきたが、スプーンが添えられていなかった。スープをどうやって飲めばいいのか。また給仕を困らせるのも気が引けたが、まさか器に口をつけるわけにはいかない。また、給仕を呼ぶことになった。

 どうにも運が悪い。

 食事を終えて、それなりの服装に着替えて列車がホームに滑り込むのを部屋のえ窓の外に見た。

 軽い揺れの後、完全に停車し、車内アナウンスでメイジカルステーションに到着した旨の放送があった。よし、行こう。

 鞄を手に部屋を出て、他の客とともに列車を降りる。

 ホームにはずらりと受付の窓口が並び、それがメイジカル名物、太陽観光のシャトルを運行する会社の、各種手続きを引き受けるブースである。

 頭上を振り仰いで見ると、一面が半透明の黒い素材で覆われている。その全てがぼやけて程よい明かりで周囲を照らしているが、実際にはそれは人工的な明かり、照明ではない。

 太陽なのだ。黒い素材は強すぎる光を調整しているのである。

 どこの企業に申し込んだったか、とブースの上の企業のロゴや番号を見ていくと、目当ての場所はすぐに見つかった。数人が列を作っている。最後尾について待っているうちに、順番が来た。

 窓口の対応は丁寧だった。

 困惑しているにしては。

「申し訳ございません。こちらの手違いで、お客様のご予約は一週間後となっておりまして」

 何を言われたかわからなかったから黙っていたが、受付業務をしている生身の女性は心底から申し訳なさそうに言葉を続けた。

「ただいま、どこの船も満席でして、空席をご案内することができません。キャンセルが発生することは十分にございますが、ご連絡差し上げるということでよろしいでしょうか」

 ええ、ああ、としか言えないまま、相手に頭を下げられたので、思わずこちらも頭を下げてしまった。

 ブースの前を離れてから、少し考えてみた。

 今朝起きてから、何かよからぬことが起きている。

 料理を取り違えられる。

 靴を汚される。

 スプーンがない。

 太陽観光のシャトルの席がない。

 まだ続くのだろうか。しかし、何故? どうしてこのタイミングに?

 行く当てもないので、ただステーションの内部をフラフラと彷徨うしかなかった。

 と、不意に携帯端末に連絡が入った。太陽観光のシャトルに空席ができた、という連絡だった。こんなに早くキャンセルが出るとは、運がいいかもしれない。

 ほっとして、即座にチケットを押さえると、相手は「出発まで三十分ですので、お急ぎください」とさらりと言った。

 そう言われて初めて、自分がシャトルの発着場からかなり離れているところに突っ立っているのに気づいた。

 急ぐしかない。早足、いや、駆け足で。

 少し急いだだけで、激しく息が切れる。銀河鉄道に乗って大して運動をしていないから当たり前だ。こんなことなら、半年に一回でも冷凍睡眠から覚めて、トレーニングをするんだった。

 発着場が見えてきた時だった。

 右足が左足に絡まる、というつまずき方をして、体が宙に浮いたと思った次には、床に叩きつけられていた。自分でも何が起こったか理解できず、起き上がって周りを見ると、すぐそばにいた見知らぬ女性がぎょっとした顔のまま凍りつき、幽霊でも目撃したような真っ青な顔でこちらを見て動きを止めていた。

「大丈夫です」

 無言の相手にそれだけ言って、改めて駈け出す。ああ、何か、胸の辺りに違和感があるか、背に腹は変えられない。

 発着場へ滑り込むと、何とか乗車時間に間に合った。

 観光シャトルに乗り込む時は簡易スーツを着ることが義務付けられている。簡易スーツは慣れれば一人で脱着できるが、慣れていないので係員に手伝ってもらった。

 いよいよシャトルに乗り込み、席に着く。シャトルは小さく、乗員は十名だけだ。全てのシートが窓に面していて、太陽をその目で見ることができる。

 ベルトを締め、太陽の方を伺おうとするが、まだ見えなかった。

 船内アナウンスがあり、シャトルが発進した。これから二時間で、太陽を間近に見ることができる。

 間近といっても重力に捉われる座標のギリギリに迫るだけで、極端な近付き方はしない。

 船内は静まり返っている。それもそうか、みんなが簡易スーツを着て、ヘルメットを装着しているのでおしゃべりなどできない。

 しばらく窓の外を見ていると、不意にそれが出現した。

 太陽だ。

 窓ガラスが遮光モードになり、簡易スーツのヘルメットも遮光モードへ切り替わる。

 眩しいなんてものじゃない。

 シャトルの中にいて、簡易スーツを着ているのに、炙られてるような気がするような光の強さだった。

 黒点が幾つかあり、フレアさえも見て取れた。

 船内アナウンスが太陽に最接近していることを伝える。この状態で十分ほどが維持され、後は引き返すだけになる。

 素晴らしい光景だった。素晴らしい十分間だった。

 このためにここまで来た甲斐はある。

 あっという間に時間は過ぎ、やがて窓から太陽は見えなくなった。

 満足した心地でシートに身を預けていると、体が重いような気がした。太陽の強力な重力の影響だろうと思っていたが、違う。眠くなってきて、体が重いのは、意識が曖昧にあっているからだった。

 反射的に呻いたはずが、声がうまく出ない。代わりに胸に鋭い痛みが走る。なのに意識は曖昧になっていく。

 緊急時に押すボタンがシートにも、簡易スーツにも備え付けられている。

 耐えきれずにボタンを押していた。

 後のことはあまり覚えていない。誰かが簡易スーツのヘルメットを外してくれて、次には救急隊の赤い服を見た気がする。次に見たのは真っ白い天井で、そこでやって意識がはっきりした。

 どこにいるかは自明だった。病院だ。

 ベッドの上にいる自分を理解し、恐る恐る首を左右に巡らせて、何の機械もないのに安心した。重症ではないらしい。しかし何か、コルセットのようなものが胸に巻かれている。それは実に不吉だ。

 どこかでモニタリングしていたのだろう、すぐに医者がやってきて「どこかで胸を強打しませんでしたか? 怪我は肋骨にヒビが入っている程度です。二ヶ月もすれば冷凍睡眠に戻れます」と説明した。

 転倒した時に胸を打ち付けたが、あの時に負傷したらしい。

 医者は手元の書類に何かを書き付けつつ、こちらも見ずに話を続ける。

「銀河鉄道に問い合わせたところ、列車のドクターで対応できるとのことですから、すぐに退院できます。そうしますか? それとも、列車の発車間際までここにいますか」

 とっさに、退院します、と答えていた。

 あまり時間に余裕がないと、また何が起こるかわからない。自分が今、不運の底にいるのは間違いないと思えた。

 こちらの内心など気にした様子もない医者は「診断書を用意します。それで列車の医務室に引き継げますので」と言うなり、あっさりと部屋を出て行ってしまった。

 やや待たされたが、診断書を受け取り、会計をして、服の胸元が固定用のコルセットで窮屈なのに不自然さを感じながら、何とか病院を出た。

 携帯端末を見れば、列車の発車時刻までは五十時間はある。このステーションにも昼と夜があり、今は夜だった。列車が到着してから丸一日近くが過ぎているのに、まともな食事を取っていないことに思い至った。空腹感が遅れてやってくる。

 通路を進みながら様子を見ていると、それが目に入った。

 蕎麦屋だ。それも立ち食い蕎麦。銀河鉄道で食べたことはなかったけれど、働いている時は、地上の鉄道の駅で何度か目にしたことがある。入ったことはないが、どこか遠い場所の食文化で、何が正解かわからない食べ物だったが、蕎麦とはつまり、出汁と呼ばれる魚のエキスと発酵調味料らしい何かで作ったスープに、特殊な麺を入れてあるような料理だった。

 まあ、ここで食べても、思い出の一つにはなるだろう。

 暖簾をくぐって中に入ると「いらっしゃい」と店員が声をかけてくる。まだ若い女性の店員で、びっくりした。しかもひとりきりだ。

 もっとこう、無骨な男性か、いかにも地元の人という中年女性がやっているような店構えなのだが、もちろん、若い女性がやってはいけない理由はない。偏見を持つのは良くないな、と勝手に反省した。

 気を取り直して、食券を売る券売機があるはずだ、と思って周囲を探したがそんなものはない。

 そうこうしているうちに女性店員がすぐそばへ来て「メニューはあちらです」と壁を指差した。食券制ではないらしい。口頭で注文するのか。

 知識がなくて不安だったが、壁のメニューは簡潔で、全部で四種類ほどしかない。しかし写真も添えられていない。

「えっと、じゃあ、かき揚げ蕎麦、というのを」

 かき揚げというのは、確か、フライの一種だったはずだ。何を揚げるのかは不明だけど。

 店員は笑顔で「かき揚げ蕎麦一つ」と声にしたけど、やや浮いているような気がしないでもない。他に店員はいないわけで、誰かに伝えたわけでもない。客も他にいない。注文を復唱するのは、どうにも変な文化に思えた。

 椅子などないので、、立ち尽くして料理が出てくるのを待つわけだけど、どうにもコルセットの違和感が気になる。しかし外すわけにはいかない。まさかここで怪我を悪化させて、銀河鉄道の中で骨が治るまでじっと横になり続けるなんてご免だ。

 少しすると蕎麦が出てきた。かき揚げというのは、俗にテンプラと呼ばれるものだった。野菜と、何かの肉片のようなものが衣の奥に見える。蕎麦はオーソドックスな蕎麦、灰色のヌードルだ。

 礼を言って食べようとしたが、箸もフォークもない。

 店員に聞くと慌てた様子で箸が用意された。

 どうにも今日は地味に運が悪い。肋骨に関しては地味という感じでもないが。

 サクサクのかき揚げを食べたり、暖かい蕎麦をすすったりしているうちに、しかし気分も持ち直してきた。やはり食事は大事だ。空腹を満たすだけではない何かがある。幸福感のようなものがじんわりと体に染み渡っているような錯覚があった。

 汁の最後の一滴まで飲み干し、「ごちそうさまでした」と店員に声をかける。店員は器を受け取り、次に僕が差し出した電子マネーのカードを受け取る。

 決済機にカードが差し込まれ、笑顔とともにこちらに戻ってくる。

「毎度、ありがとうございました」

「どうも、ごちそうさま」

 店を出ると、すでに時間も時間で、太陽のすぐそばにもかかわらず人工的に夜が生み出され、すべてが静まり返っている。

 どこかの宿泊施設を利用するのも面倒で、列車へ戻ることにした。

 今日はいくつ、不運があっただろう。

 料理を取り違えられ、靴を汚され、スプーンがなく、シャトルのチケットで手違いがあり、転倒し、病院に担ぎ込まれ、また箸もフォークもなかった、というところか。

 全部で七つ。七というのは縁起のいい数字と大昔からされていているが、アンラッキーが七つ揃ったところで、意味もないか。

 一人でとぼとぼと歩きながら、列車が出発する前に、またあの立ち食い蕎麦へ行ってみようか、と思っている自分がいた。

 安くて、簡単な食事だけど、あの蕎麦にはもっと別の価値があるような気がした。

 不運を拭うような。

 考えすぎか。



(了)

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