帰還編
第 21 幕 狼と首輪 Ⅰ
「お父様」
赤を基調とした、上品な廊下の途中。
執務を一段落させ、エリオス・ベネヌムが小休憩も兼ねて足を動かしていたときだった。
暫く聞くことがなかった娘の声に引き止められ、柔らかな笑顔とともに彼は振り返る。
そこには、ギロティナの精鋭、エラ・ベイリーと共に、真剣な表情でこちらを見つめるマンサナの姿があった。
「ルークス・ロペスの処遇について、お話があります」
そう、犯罪者の名を口にして。
ルークスが牢屋に入れられてから、もう既に三日ほど。
ベネヌム館は常に微妙な空気に包まれていた。
マーシャからの無茶振りに答えるため、エラは小声でブツブツと呟きながら思案を続け、ルークスに負わされた傷から療養しているマウイ、そしてことのあらましを聞いてから明らかに不機嫌なポプリ。
ロンドに至っては、ルークスの名が聞こえるたびに挙動不審になってしまっている。
皆がネガティブになっているなか、マーシャだけは異質だった。
何に興奮しているのか頻繁に謎の笑みを浮かべ、蛇のような金眼をいっぱいに見開いてはぎらぎらさせて動き回った。
マーシャがルークスを連れ帰った際、やたらとルークスが従順となっていた為、何かしらのやり取りがあったことは皆察していたが、殺人犯である彼がこれからどうなるのかと想像することを誰もが避けていた。
母親の殺害、死体遺棄、傷害、公務執行妨害……他にも余罪があると言われている。
先日までともに働いていた仲間の首が転がるところなど、誰も見たいはずがない。
今は保留となっているものの、ルークスがいつ断頭台にかけられるかと思うと、業務が手につかない者も多いようだった。
そんな、さらに気分がさらに沈む逢魔が時。
「……よし、固まった!私とマーシャは明日ベネヌム家に行ってくるから、ギロティナは頼んだよっ」
「は……!?」
エラが突如、高らかに声を上げた。
急な予定変更に困惑するロンドの肩を叩き、エラはマーシャと目を合わせる。
二人は少し悪い笑みを浮かべると、自信満々に声を揃えロンドに言ってみせた。
「「ルークス「君」を連れ戻しにね!」」
卓上に運ばれてきた紅茶を口元へと運び、暫しその香りを楽しみながら、エリオスは椅子に掛け直した。
真正面にマーシャ、そして彼女の左横にいるエラと向かい合った部屋の中、二杯のカップは口をつけられることもなく、ただ白い湯気を
「マーシャ、そしてミス・ベイリー。多忙な中、よく来てくれた……ルークス・ロペスというのは、あの元ギロティナ職員の青年のことであっているかな」
「はい、お父様」
エリオスの声色は柔らかいが、その一方でこの場を満たす空気はけして楽しい歓談というものではなかった。
落ち着いた様子で返事をするマーシャも、頬を伝う汗のせいで内の緊張を隠しきれずにいる。
そんな彼女を鼓舞するように、エラはマーシャに微笑みかけ、上品な笑みはそのままにエリオスへ向かって口を口を開いた。
「話し合いの場を作っていただき、誠に感謝いたします。本日、私はマンサナ様にもご協力いただき、ルークス・ロペスとベネヌムギロティナの現状について……ベネヌム家当主である貴方様にご提案申し上げたく参りました」
「ふむ……ギロティナの現状か。君の意見ならば信用できるだろう、話したまえ」
エリオスからの承諾を受け、エラは心地よい速度、音量、トーンで主張へとうつる。
マーシャから頼み込まれて考えた内容だが、エラとしてもルークスを断頭台へはかけたくなかった。
しかし、それは個人的な情ではないし、この主張にも嘘はない。
「まず、ベネヌムギロティナにおける現在の状況をお伝えします。事務員、清掃員等の非・処刑職員は十分な人数が集まっており、個々の能率もけして悪くはありません。しかし、正規の処刑職員は現在たったの3人。御息女とロンド・ヤップを含めても5人であり、加えてここ1年で新しい処刑職員が入ることはありませんでした」
何度も整理し練習をしたのだろう。
しかしそれでも不安は消せぬのか、途中でエラは言葉を切り、音を殺しながら息を整える。
ここから話す部分が正念場なのだろう。
薄っすら血の気を引きながらも、彼女は再び主張に戻った。
「……6年前、突如平均として強化し始めたモルスにより、多数の処刑職員が犠牲となりました。それは私の……」
「それについて、君が責任を感じる必要はないだろう」
「……有難う御座います。しかしそれが引き金となり、処刑職員の希望者は年々減少。反比例して強化していくモルスへと手が回らなくなっているのが現状です。そんな中で、彼が。ルークス・ロペスが現れました」
再び話題に上がった青年の名に、エリオスの眼が、思案するがごとく鋭いものへと変わる。
黙っていたマーシャの生唾を飲み込む音さえ、この場では叱責の対象となりえる。
などということは流石になかったが、普段は滅多に向けられることのない父の鋭利な眼差しに、一つ呼吸をするごとに脂汗が染み出していた。
「本人の希望で事務員とはなっていたものの、彼のピーズアニマは圧倒的に戦闘タイプです。小柄な体躯であり、今のところ体力も不足していますが、以前緊急時を含め3体以上のモルスを処刑した実績があります。処罰の一環として彼に処刑職員を務めさせることが出来たのなら、ギロティナが、ウォルテクスが抱えている問題の改善につながるのではないでしょうか」
「成程……な」
エラの話を一通り聞き終えたエリオスは、ゆっくりとそう口にすると、紅茶で喉を潤し息をつく。
そして数秒の間の後、厳しい表情はそのままエラ、そしてマーシャへと視線を戻した。
「彼の有用性については良く分かった、丁寧な報告感謝する。だが……その状況下でルークス・ロペスが再犯に走らないといえるのか?」
とてもだが前向きに検討してはいないであろう父の様子に、マーシャは表情をこわばらせる。
「ギロティナの切迫した現状は私の管理不足でもある。人員不足に関しては至急こちらで対応しよう……さて、すまないがもう次の仕事に取り掛からなければ」
「お、お父様……何故!?ベネヌム家は司法にも関わっていたはずでしょう!マウイ・ケリーの前例だってあるはず……彼を殺して良いのですか!?」
泣きそうに叫ぶ娘の訴えに対して僅かに悲しげな素振りをしつつも、エリオスはドアへの歩みを止めなかった。
「マンサナ、彼は殺人犯なんだ。そのような人間を人々を守るための組織に入れるわけにはいかない。役に立つからといっても限度があるんだよ」
そう言って、エリオスがドアノブに手をかけようとする。
すると、主張の殆どをエラに任せていたマーシャが、突如として静かに意見を述べた。
「……お父様。今までどれだけモルスの死体を捨てたのですか?」
数秒前まで張り上げていたとは思えないほど落ち着いた声に、エリオスは思わず振り返る。
マンサナは泣いてなどいなかった。
笑ってもいなかった。
只々、そのアンバーの瞳を真摯な表情でぼうっと光らせている。
「マーシャ」
「お忘れかもしれませんが、彼……ルークスは悪食の特性を持っています。人々の家族や友人、恋人であった遺体を潰し、詰め、捨てる……」
父へと距離を詰めながら、マーシャは迷いなく言葉を紡いでいった。
「それを変え、他の生物と同じく食し供養する。それでは、彼の償いには不十分でしょうか?故人を雑に扱い、利益の為に無断利用するようなベネヌム家のみで、本当にギロティナが成り立つのでしょうか」
「マーシャっ……!それは」
たじろぎ、先程までの毅然とした態度を崩したエリオスに、マーシャの口元が弧を描く。
「ルークスについての責任は、私が全て負いましょう。彼を私に預けてくださるのなら、モルスの遺体処理についても他言致しません……どうか、彼と私に機会を」
そう言って頭を下げるマーシャに対し、当主は渋々首を縦にふるしかなかった。
「上手くやったね、マーシャ。ただ、家の弱みなんてどうやって握ったの?」
ベネヌム館からギロティナへと帰る二輪馬車の中、マーシャはぐったりとエラに寄りかかっていた。
やはり相当の心労はあったのだろう。
一息つき既にいつもの様子に戻っているエラに対し、マーシャからは彼女の疲労具合がありありと現れていた。
「別に……決定的な証拠なんてなかったわよ、ほぼハッタリ。お父様がモルスの体をよく貰い受けていたり、やけにこそこそ外の人間と話したりはしていたから、もしかしてと思ってはいたけれど……」
父親にはとても見せられないであろうだらけた所作で、彼女は盛大な溜息を吐く。
「あの反応だと、や……っぱり黒よね。まぁ、やましい事業の一つや二つ、この場所じゃ仕方がないのは分かるけどね……」
ハッタリが功をなして交渉が成功した喜びと、家の薄暗さが増したことによる憂鬱感。
そのどちらに反応するにしても、気力はしばらく足りなさそうだった。
とはいえ、父の気が変わってしまうまえにルークスを手元へ確保しておかねばならない以上、ぐだぐだとはしていられない。
「ルークスの手続きが終わるまで、どのくらいかかるのかしら」
「そうだね……急げば3、4日で連れ出せるんじゃないかな」
「わかったわ。エラ、あと少しお願い」
そうとさえ伝えれば、きっと手続きの手順を纏めておいてくれる。
それだけの信頼を、マーシャはエラへと向けていた。
街の喧騒もこのときばかりは気にならない。
せめて館につくまでは、とマーシャはそっと目を閉じた。
宙に舞う無数の埃と漂う異臭。
その二つのせいでか度々咳き込みつつ、出来る限り体力を温存しようと毛布に包まっていたルークスは、ふと自分の牢へと近づく足音に気がついて顔を上げた。
ガチャガチャと金属をかち合わせるような音に、なんだいつもの牢番かと再び毛布を引き上げかける。
しかし、次の瞬間に聞こえてきたのは野太い牢番のものとは似ても似つかない、馴染みのある鈴の声だった。
「起きなさい、ルークス。飼い主が迎えに来てあげたわよ」
「へぁっ……!?」
驚きに思わず間抜けな声を上げて、何度も瞬きをする。
年齢にしては成熟した格好も、偉そうな表情も、自分を大きく見せるかのような立ち姿も。
その全てが確実にマンサナだった。
「どうしたのよ、そんなに驚いて……まさか、約束を忘れたんじゃないわよね?」
不機嫌そうに整った眉をひそめ、マーシャが屈み込む。
その横で、いつもは横暴な態度の牢番が粛々とルークスの牢を開け放っていった。
「いや……来てくれなくてもしょうがないとは思っていたし、正直諦めてたから」
「諦めてるんじゃないわよ!こっちは色々頑張ってたんだから」
足首に繋がれていた鎖も解かれ、ルークスが牢の外へと引っ張り出される。
おぼつかない足取りで前に進んでいると、マーシャがその白い手をルークスに差し出してきた。
危険ですと制止する牢番にも耳を貸さず、彼女は満足気にルークスを引き寄せた。
「わ……」
「ちょっと、大丈夫?数日閉じ込められてたとはいえ、貴方にはドシュドシュ働いて貰わなきゃなんだからね」
「擬音が物騒すぎない?」
二人の会話を聞きつけてか、他の囚人達が次々と鉄格子の隙間からこちらを覗きに来る。
純粋な好奇心や嫉妬、苛立ちなど込められた感情は様々であったが、等しく粘着質なそれらにマーシャは嫌悪感を露わにした。
「ほら、早く出ましょう?こんなところにいたら気が狂っちゃいそう!」
ルークスと合流できた喜びも過ぎ去ってしまったのか、今度は一転、不機嫌そのものの様子で出口へと歩いていってしまう。
一人では危険だと慌てて追いかける牢番。
雑な扱いにも関わらずどこか嬉しそうなのは、そういう趣味なのだろうか。
囚人とお嬢様の違いがあるとはいえ、自分たち野郎を相手にしていたときとは大違いな表情に、ルークスは少し呆れてしまった。
マーシャの管理に移ったとはいえ、罪人から目を話すなど牢番としていかがなものなのか。
駆け足で牢番を追い越し、マーシャの斜め後ろに控えて歩く。
やがて独房から外が見え始めると、彼女が乗ってきたであろう二輪馬車が待機しているのが分かった。
「それじゃあ、ルークスは貰っていくから。さ、いくわよっ」
マーシャの横で、ルークスは牢番に向かってひとつお辞儀をする。
その行動に目を丸くしている牢番に背を向け、二人は馬車へ…………
と、入っていく間際。
ルークスだけが牢番のほうへと振り返った。
ニッと犬歯を見せた笑顔に、ベロリと悪戯っぽく出した舌。
彼の表情に気がつけたのは牢番だけだったのだろう、マーシャ含む周囲の者は誰一人として顔色一つ変えやしない。
挑発するかのようなルークスの行動に、牢番は彼の服役態度が優秀というほどのものではなかったことを思い出した。
牢番が声を荒げる間すらなく、ルークスはベネヌム家の令嬢と共に馬車へと乗り込んでしまう。
追いかけることも止めることも出来るはずがなく、牢番は苛立ちを込めて乱雑に頭を掻いた。
いくら見た目が善良そうであっても、あの男は死刑囚。
あのお嬢様が御しきれるのだろうかという牢番の不安は、豪快なあくびと共にすぐ消え去った。
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