第 17 幕  嘘吐きII


 

 血を流したルークスがマウイを抱えてきたとき、エラだけが冷静に彼を招き入れた。


 「ルークス、マウイ‼︎」

 「マーシャ、落ち着いて。ロンド、手当の用意は出来ていますね?」


 マウイごと倒れ込んできたルークスを、エラはピーズアニマを使いつつ受け止める。

浅い呼吸を繰り返すルークスをロンドへ預けると、彼女はマウイの怪我を診始めた。

内臓に届くほどの傷ではないが、斜めに深く斬り込まれてしまっていた為か、かなり苦しそうにしている。


 「……すまないね。痛いだろう」


 彼の額に浮かぶ汗を拭い、エラはマウイの傷口をぐっと抑えた。

ルークスを預けられたロンドは、いまだ震えるルークスの背中をさすっている。

手当の用意は自分でしたにも関わらず、ルークスを落ち着かせなければと焦ってしまい、全く彼の怪我の手当に移れていない。


 「まっ、マウイさ、が……っ!」

 「落ち着いて、ルクスくん、落ち着いてください。ゆっくり息をしてください、過呼吸になってしまいます」


 小さな身体を抱き抱えるような体制に変えると、ようやくルークスは落ち着き始めた。

ロンドの服の布にしがみついたまま、ずるずると崩れ落ちる。


 「……暗くて、何も見えなかった、から……マウイさんと、戻ろうって……」


 疲労を滲ませて、ルークスがマウイへと視線を向ける。

エラが手早く処置を済ませたらしく、マウイは既に手当されて横になっていた。


 「そしたら、突然マウイさんが襲われて、俺も……」

 「襲われた、ですか……」


 頭を撫でてあやしながら、ロンドはルークスの手当てを始める。

切り裂かれた彼の脚から血を拭き取り、止血も兼ねてきつめに包帯を巻いた。

一通りの工程を終え、ロンドがホッと息をついていると、驚くほど静かな声音でエラに話しかけられる。

ルークスの脚を一瞥すると、しゃがんでロンド達と目線を合わせてきた。


 「ロンド、ルークス君の傷口をみましたか?」

 「はい。広く、直線的な傷です。この怪我で、マウイを運んできたのは凄い……」

 「それは、風魔法のものに近いですね」


 ロンドの言葉を遮り、エラが言い放つ。

突如飛び出した具体的な推測に、マウイ以外はエラの言葉に息を呑んだ。


 「マウイのような深い傷がつけられるのかは、魔法を知らない私達では確かめようが無い。けれど、ルークス君の傷を見る限りは、風魔法の可能性はかなり高いはずですよ。それに……」


 エラが、マーシャの名前を呼ぶ。

マーシャも何かに気がついたようで、暫し呆然とした後、怒りの表情となった。


 「いたのよ、風の魔法が上手な人と、毒の素を持ってそうな人!仲がいいみたいだったし、結託しててもおかしくないわ!」


 マーシャの訴えに、ロンドとルクスもある人物を頭に思い浮かべた。

殺害方法の一つが毒と知った際に、ルークスが思いついた人間。

ロンドがその人の名前を口にしようとしたその瞬間、ロンドの口は少年の手で塞がれた。


 「!?」


 驚くロンドの口を抑え、ルークスは躊躇いをみせてロンドを見つめた。


 「あの、その……確かに、ラポワールさんは怪しいですけど、もしかしたら風魔法の……多分、ブラウンさん、だけがやったのかも、ですし……ラポワールさんは、結構、俺や母さんにも優しくて……」


 途切れ途切れに言うルークスに、エラも自らの口に手を当て、考える素振りをみせる。

すると一定のリズムで足音を響かせて、マウイの近くへと戻って行った。


 「とにかく、ルークス君はマウイと休んでいてくれ。怪我をしているし、寝ているといいよ」


 マウイの額に手を置くと、マーシャとロンドの二人に声をかけ、エラは奥の部屋へと歩いていく。

心配そうなロンドと、対して覚悟を決めた様子のマーシャが、ドアの隙間へと消えていった。




 苦しそうな表情で眠るマウイの頬を、震えた手が撫でる。

ただでさえ見窄らしくて物が少ないこの部屋は、今の二人では余計に悲しげだった。

エラ達が何か話し合っているようで、奥からは小さな話し声が漏れ出ている。

それも、孤独感を薄めるどころか助長するばかりで、ルークスの口元が泣きそうに引結ばれた。


 「……怪我、させちゃってごめんなさい」


 かつてルークスと家族が使っていたであろう、薄い毛布と硬い寝台。

それにこんな状態のマウイを寝かせてしまっていることが申し訳なくて、ルークスは手元のものを一層固く握りしめた。

ルークスの瞳が、マウイの顔から首、左肩を写していく。


 カチ、と金属の音がした。


 緊張から大きくなった瞳孔を見開き、冷や汗が顎を滑り落ちることも意に介さず、彼はそこに立っていた。

マウイの目が、うっすらと開かれる。

挙動に痛みをたたえながら、彼の唇が動いた。


 「……ル」


 「‼︎」


 想像していたよりも大きな声に、ルークスが飛び退こうとしたのと、ほぼ同時。

大きな鳥が、ルークスの横を掠めて出口を塞ぎ、奥の部屋からエラが飛び出した。



 動きを止めた室内で、血の跡が残るデザインシザーが鈍く光る。

マウイの上で静止しているそれは、持ち主の手首から抑えられていた。


 「……これで、ようやく現行犯逮捕だね」


 普段、彼にかけていたものとは違う、低く警戒した声でエラが告げる。



 「ルークス・ロペス。母親殺しの疑いで、君を拘束する」




 驚きで固まっていたルークスの表情が、急に冷めたものへと変わった。

鋭い瞳でマーシャとロンドを捉えると、ルークスは静かな怒りを滲ませる。


 「何をこそこそしているのかと思ったら……俺を信じてくれなかったんですね。ロンドさん」


 ロンドはルークスと目を合わせようとしない。

その様子を見て、ルークスは深い溜め息を吐いてみせた。

もういい、とでも言うようにエラの方に向き直ると、いつものようにあどけない笑顔を浮かべる。


 「それでどういうことですか?これも何かの作戦なんですか?エラさん……まさか、本気で俺が母さんを殺したとでも?」

 「現行犯で捕まって、よくそれが言えるね」


 ルークスの右手には、未だに血に濡れた鋏が握られたままだ。

それどころか、あと少しで鋏はマウイの肩に突き刺さるところだったのだから。

本人も今の発言は冗談半分だったのか、エラに指摘される前から声を殺して笑っていた。

そのまま暫く笑い続けると気が済んだのか、ルークスは息を整えて顔を挙げる。

笑顔などではないその顔は、無表情のなかで目だけが爛々と光っているような、狂気じみたものだった。


 「でも、まだ分かりません。どうしてこのタイミングで入ってくるんですか。俺、マウイさんをもう一度襲うことなんて悟られないと思ってたんですけど」

 「もう一度……ということは、やっぱり外での襲撃も君か。確かに、君は凄いと思うよ。使った毒も、襲撃の凶器も、何も知らなかったら僕もまんまとだまされていただろうね」

 「じゃあ、何故?」


 本当に分からないのか、ルークスはようやく表に戸惑いをみせる。

エラもまた、すっかり無感情となっていた目元に哀れみを滲ませた。


 「ルークス君。どんなに君がうまく僕達を騙しても、人はどこから見ているか分からないものなんだよ」


 ルークスが息をのむ。

 それはそうだ。

偽装工作なんてものは、犯行を見られていないから使えるもの。

誰かに目撃されてしまっていては、何もかも水の泡だった。


 「……くははっ」


 彼の口から、乾いた笑いが漏れる。


 「結局、ほとんど骨折り損か」

 「目撃者がこのことを教えてくれたのは、僕が前にここへ来たときだよ。かなり時間が立ってしまっていた上に、他の誰にも言っていなかったらしいからね。捕まえるには、新しく証拠を作るしかなかった。」


 再び下を向いてしまったルークスに、エラは問いかけた。


 「でも……気になることが幾つかあるんだ。君は、何故最後にこんな……っ!?」


 強い怒りがこもった、赤い瞳。

それが向けられたと感じたのとほぼ同時に、エラの腕に強い痛みが走る。


 「余計な詮索はよしてください。俺はただ、母さんが邪魔で殺したんですから」


 エラの腕に、黒い狼が噛み付いていた。

僅かに力が緩んだ手から逃れると、ルークスはもう一匹現れた狼の上に飛び乗り、エラから距離をとる。

一匹、二匹、三匹。

それぞれ独立した動きをするそのピーズアニマ達に、皆が目を見張った。


 「ルークス君……君、いつの間にそんなピーズアニマを?」


 エラでさえも、複数のピーズアニマに別々の動きをさせることは難しい。

にも関わらず、このルークスの狼たちは、本当に生きていると見紛う程に自然な動き方をしている。

ルークスに代わって鋏を咥えていた狼が、後退りを始めた。

しかしその途端、他の狼達がその狼に向かって唸りだす。


 「逃げるな!……もう少しだけ付き合ってよ、” 恐れ知らず ” 。それとも、また教えられたい?」

 「”恐れ知らず”……!?」


 ルークスにそう言われた狼が、尻尾を後ろに巻き込んで怯える。

何故ルークスが狼を判別できているのかは不明だが、明らかに普通のピーズアニマとは違っていた。

狼の呼び名を聞いたロンドが、サッと青ざめる。


 「まさか、ルクスくん、そのピーズアニマ達は……!!」


 ロンドが言い切る前に、哀しそうにルークスが笑った。

今度は、真っ直ぐロンドの目を見て。


 「ロンドさん、無償の親切があるかどうかは置いておきます。でも……無償の愛はあると思いますか?」

 「え……?」

 「なんの見返りもなくとも与えるそれは、ちゃんとみんなが呼ぶ愛ですか?」


 突然の問いの意味が分からず、ロンドは困惑する。

返答を待たずに、ルークスは鼻で笑った。


 「精々、悩んでくださいね。俺がいなくなったあとに」


 それを言い終わるやいなや、エラのピーズアニマが塞げていなかった唯一の出口

―― 窓が突き破られ、ルークスの姿が消える。

最後にピーズアニマが窓から出ていったときには、既にルークスの姿は遠く闇に溶けてしまっていた。

ルークスのものらしき血液がついた破片だけが、そこらに散らばっている。

エラが咄嗟に後を追おうとするが、深く噛まれた腕の傷を思い出し、止血と消毒に取り掛かり始めた。


 「エ、エラさんっ!早く、ルクスくんを追わなければ……!」

 「わかってますよ、彼の行き先は大体見当がついています。応急処置を済ませたら、すぐにピーズアニマで後を追う予定ですよ」


 追わずに包帯を巻いているエラに、ロンドは焦りながら抗議した。

しかし、


 「そうよ、早くあそこに行かないと!間に合わなくなる……っ!」


 エラの返答を聞き、立ち上がったのはマーシャだった。

直ぐにドアへと走り、焦るあまりか少々開けるのに苦労したものの、そのまま外へと飛び出していってしまう。


 「お嬢様!?」

 「エラだけあとから来て!ロンドはマウイみててっ!!」


 暗い中だが、マーシャはしっかりと目的の方向へ向かえているようだった。

エラもきつく包帯を巻き、マーシャの後を追っていく。


 「そういうことらしいですよ!ロンド、しっかりここを守ってください!」

 「そんな……」


 三人が消えた小屋のなか、ロンドが呆然としていると、小さいうめき声が聞こえてきた。

部屋の隅にあるベッドの上。

マウイは苦しそうに、割れた窓を眺めている。


 「おらんなるなんて……そげん、悲しそうに言いなしゃんなや……」


 背を焼く痛みと友人ののこした表情がどうしようもなく辛く、マウイの頬に涙が伝っていった。




 暗闇の中、只々駆ける。

自らピーズアニマに斬らせた脚は勿論、先程窓ガラスを力ずくで破った際にできた傷が、揺られ、風を切る度に痛んだ。

心臓が痛く、うるさい。

こんな中途半端な場所で倒れてしまうのは絶対に嫌だ。

意地にも似た強い意志でなんとか持ちこたえながら、あの場所へと向かう。

このときのために、今まで何だってしてきた。

人を襲った。

お金を奪った。

人を騙した。

恩人を傷つけた。

自分を壊した。

世界で一番大切な人を殺した。

生き延びるために、望みを果たすために一つ道を外れるたびに、ルークス・ロペスという存在が薄汚い恥に塗れていくように感じる。

それでも、人というものは一度大罪を犯してしまえばもう躊躇は薄れてしまうようで、母さんをこの手で殺してからというもの、倫理的に問題のある行為への抵抗も無くなっていった。

もう自分は罪を認めたのだから、流石にエラさん達も放置はしてくれないだろう。

十中八九、このまま断頭台行きだ。

別にそれでもさして計画に問題はないのだが……いや、やはり駄目だ。

たとえ一炊の夢だったとしても、終わりかたは自分で選びたい。

全力でとばしたかいがあったのか、直ぐに川の流れる音が近づいてきた。

俺にとっては、とてもとても忌まわしい音。

川辺にまでたどり着くと、ゆっくりとピーズアニマから降りてやる。

尚も怯えを見せている恐れ知らずと、彩りに穢れし濡烏の頭に出来る限り優しく触れ、俺は水面を覗き込むようにしてしゃがみこんだ。

いる。

そこにいる。

気がつけば、俺の両手はいつかと同じモンストルムの首を締めていた。

暴れる彼女が余計に苦しまぬよう、歯を食いしばり、更に力を込める。

想定していたよりも上手く行かない。

水か油か分からないが、液状のもので手が滑ってしまい、 上手く首に力を加えられなかった。                                                     抵抗を続ける女性の生暖かい首が、段々と氷の様に冷えていく。

早くこの首を折らなければ。

こんなふうにじわじわ苦しんで死ぬなんて、哀れすぎる。

うつ伏せに抑え込んだから、顔の骨も折れてしまったかもしれない。

綺麗な顔の人だったのに、申し訳なかったな。

そうしている間にも、女性の動きは鈍っていく。

最初は吐き出していた泡も、とっくのとうに消えていた。

そして、もう一度力を込めたとき。

彼女の力が突然抜けた。

はっとして手を引き抜いて見ると、俺と同じ色をした髪の毛が、抜けて俺の手に巻き付いている。

首は折れなかった。


母さんは、死んでいた。



 川の水で濡れただけの両手を、そっと引き上げる。

気味の悪い感触を鮮烈に残したまま、祈るように冷たい手を組んで見せた。

あぁ、なんて滑稽。

暗い水の向こうで、醜い笑顔の俺が、俺を

嘲笑っていた。


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