第 15 幕 帰郷II
「ルクス!危険よ、戻ってきて!」
遠くから叫ぶマーシャの声にも耳を傾けず、ルークスはかつての母の方へと歩いていく。
エラ達も、そんなルークスを止めようと叫びかけるが、ルークスの手に光るもの ――マーシャの拳銃を見て、モルスを抑えることに専念しだした。
ルークスが目の前で立ち止まると、モルスはビクッと震え、じっと彼を見つめる。
僅かに残ったハイディ・ロペスの記憶が、ルークスを息子だと認識出来ているようだった。
静かな声音で、ルークスは母に語りかける。
「俺にとって貴女は、何より特別で、かけがえのない存在だった。俺は、母さんに貰ってばかりだったね。だから……」
『……サナ゛イ゛』
幾重にも反響し、地の底から聞こえてくるかのような声。
モルスから発せられたそれが、ルークスの言葉を遮った。
『ユ゛ルザナ゛イ!!』
「「!!」」
再びガタガタと暴れ出したモルスを、エラ達が必死に抑えつける。
苦しげに叫ぶ、母だったものを前にして、ルークスは固まっているように見えた。
『ユ゛ルザナ゛イ……ユ゛ルザナ゛イ!!オ前ガ、いナけれバ……!オ前?アンたさエ……!!』
「ルクス……っ」
遠くから見ているマーシャが、不安げに服の裾を握りしめる。
モルスの怒号だけが響く中で、ルークスは悲しげに眉を下げると……
銃を、ゆっくりと母の額へと突き立てた。
「そう、ですね……俺は、貴女を不幸にしてばかりだ。本当に、ごめんなさい」
俯きがちであった、ルークスの顔があげられる。
緑の瞳に、深い愛情が滲んでいた。
「だからせめて……安らかに眠ってください。母さん」
ルークスに寂しげに微笑まれ、モルスの動きがピタリと止まる。
どろどろに溶けた黒い顔のなか、四つの瞳が僅かに見開かれていった。
先程まで怒鳴っていた方とは別の頭が、震える唇を動かす。
『ル……ク』
最後の言葉は、誰の耳にも届かなかった。
地面に倒れ込む黒を、硝煙の匂いが包み込む。
発砲により痛めた腕をさすりながら、ルークスは息を整えていた。
「……すみ、ません。割り込んでしまって」
モルスの活動停止を確かめながら、エラが返す。
「君に怪我が無くてよかったよ。それに、あの状況で飛び出すなというほうが無理な話だった」
マーシャも駆け寄り、拳銃を回収してから、動かなくなったルークスの母を見つめた。
溶解が進み、正確な表情までは伺えないが、その表情は先程よりか穏やかなものに見えた。
マウイとロンドが、そっとルークスに寄り添う。
生温い風が、死臭を緩やかに運んでいった。
どうやら、ウォルテクスの外にもギロティナ員はちらほら存在しているらしく、モルスの死体処理は大部分その人達がやってくれるということで、ロンド以外のベネヌムギロティナ員は、ルークスの家で休憩をとっていた。
「俺の母さん、音楽が好きだったらしいんです。レコードを買うことも、楽器を持つことも出来なかったけど、余裕があるときなんかは、よく歌を口ずさんでいて……歌が聞こえれば、来てくれるかもと思ったんです」
カップに水を注ぎながら、ルクスが話す。
環境の良いここでは、ウォルテクスと違い、一度加熱さえすれば、そのまま水を飲めるようだった。
「あの……それで、今回は」
「ああ。今回は、モルスになった人物が人物だからね。君が無理して喰べる必要はないよ」
そう言ってエラは優しく微笑むが、ルークスは微妙な表情で、彼女にカップを手渡す。
「いえ……させてください」
周りの視線が、ルークスに集まる。
「大丈夫なの?」
「辛くはあります。けど、俺の母さんですから」
そう言って悲しげに笑ってみせるルークスにエラは、暫し考えると、落ち着いた動作でカップをテーブルに置いた。
「分かった。ロンドが戻ってきしだい、その旨は伝えておくよ」
ロンドの名を聞いて、ルークスがぴくりと反応する。
「あ……そういえば、ロンドさんは今どこに?」
「ロンドなら、モルスの死体を調べてるわよ。体内に毒とかがあると、悪食にも被害が及んじゃうし、場合によっては死因もわかるんだから」
エラが口を開く前に、われ先に、とマーシャが説明する。
最後まで矢継ぎ早に話し続けると、満足したのか、小さな椅子にどっかりとかけ直した。
「はは……まぁ、そういうことだよ。何事も無ければ早めに戻ってくるだろうし……そんなに不安そうにすることはないよ、ルークス君」
身を固くしているルークスに、エラとマーシャが微笑みかける。
けれども、ルークスはそっと視線を窓に向け、張り詰めた気分で星を見ていた。
処理班に指示を出し、遺体を弄り、項目をチェックする。
墓荒らしどころか死姦にさえ似ているこの仕事が、ロンドは苦手だった。
早く帰りたい、と彼がため息をついた直後。
「ヤップさん!」
処理班のうちの一人が、焦った声をあげる。
「ご遺体の中から、水のほかに……毒物らしき反応が!」
「!!」
それを聞き、他の隊員達も検査を始める。
一人一人、丁寧に検査をした結果、ほぼ全員が同じ結果となった。
加えて、頭部付近を検査していた隊員が首元の皮を剥ぐと、不可解な窪みがあることに気がつく。
「これ……モルス化よりも前の損傷の可能性が高いですね。まるで……首を手で」
ぐちゃりと歪んだモルスの首に、ロンドの肌が粟立った。
毒物だけならば、遺書の内容通り自殺の可能性はある。
ただ、これは……
暗い夜空に、赤紫色のトーンがかかり始めたころ。
ふらついた足取りで、ロンドがルークスの家へと足を踏み入れた。
ごそ、と音を立て、一つの毛布が持ち上がる。
「!!」
「んぅ……ロンドさん、おかえりなさい」
目を擦りながら、ルークスが微笑む。
ルークスの隣ではマウイとマーシャが眠っていた。
ロンドも、暗闇の中のっそりと起き上がった彼に驚きながらも笑顔を浮かべ、その頭を優しく撫でた。
「凄く遅かったですね…………なにか、あったんですか?」
不安そうに聞いてくるルークスに、ロンドは声を詰まらせる。
疑問系ではあるものの、異常事態が起こったことなど、おそらく彼はもう察しているのであろう。
「すみません、少し。休んで、朝食をとってからでよろしいでしょうか」
しどろもどろにそう言うロンドに、ルークスは素直に頷いた。
「ロンド、もう少し休んでいたらどうですか?」
ロンドが戻ってから、約二時間後。
ルークス一行は、水を汲むため近くの村の井戸へと向かっていた。
「いえ……お嬢様が出歩く以上……仕事ですので。エラさん?」
目の下にクマを作りながらもロンドがそう答えると、エラが急に立ち止まった。
彼女の視線の先を辿ってみれば、三十代ほどの女性が、水桶を持って立っている。
「……ハイディ・ロペスさんの第一発見者。ブラウンさんだ」
エラが、ロンド達にだけ聞こえるように言った。
「この人が、あの」
「お久しぶりです!ブラウンさん」
エラの挨拶に、ブラウンがこちらを向く。
ロンドとエラを眼にすると、憧れも込めた笑顔で挨拶を返した。
「まぁ!聞き込みでお会いした方、お久しぶりですわ。今日は……」
ところが、いつの間にかロンドの後ろに下がっていたルークスに気がつくと、途端に冷たい目となる。
「まぁ……みなさんも大変ですね」
ブラウンには何も言わず、ルークスはロンド達の方に向き直した。
「すみません、ちょっと先に戻っていてくれませんか?」
「え?」
「すぐに追いつきますので」
ルークスにそう言われ、時々振り返りながらもエラ達は引き返していく。
躊躇っていた者も、エラに促され、背中を向けていった。
それから、暫くして。
ルークスの腕を、女性が強く引いた。
追いついてきたルークスの姿に、エラ達が目を見開く。
朝は無かった筈の土汚れに、ぐっしょりと濡れた体。
水桶には水が満たされていたが、まわりには不自然に泥がついていた。
「すみません、遅くなりました」
へらっと笑うルークスに、マーシャとマウイが詰め寄る。
「遅れたって、そんなことより!どうしたのよそれ?転んだの?」
「そうや!一体何が……」
「えっ、あの、その」
慌てる二人を前にして、ルークスまで焦ってしまう。
エラはそっと二人を嗜めると、これで体を拭くようにと、ルークスに布を手渡した。
「さぁさぁ二人とも。ルークス君が水を汲んできたことだし、ご飯の準備、始めるぜー!」
「はーい!」
「ほーい」
エラに続き、二人がルークスから離れたのを確認して、ロンドがルークスに声をかけようと近づく。
「ルクスく」
「……久々、だったなぁ」
暗い瞳での呟きに、ロンドはピタリと足を止めた。
ルークスの手に、力が込められていく。
「ル、ルクスくん。着替えを用意しましょうか?」
「あっ!いいんですか?」
「はい……」
ロンドがやっとの思いで絞り出せた言葉は、それだけだった。
ルークスの家は小さく、五人が集まるにはやや窮屈であったが、集まって摂る食事は安心感がある。
ロンドを除く者達は、和やかな雰囲気で朝食にしていた。
(朝食が終われば、ルクスくんのお母様について話さなければいけない。けれど、こんな話、本当に彼に聞かせて良いのか……?)
ぐるぐるとした思案の波にのまれ、ロンドはスプーンを置く。
殆ど減っていないロンドの食事に気づいたのか、マウイは少し気の毒そうに目を逸らした。
「……あ」
「あの」
やがて、皆が一通り食べ終わった後。
ロンドの言葉を遮るようにして、ルークスが口を開いた。
「この家の裏に、俺が作った母さんの墓があります。遺体が無かったので、深く穴を掘って、いくつかの遺品だけ入れました。そこに……モルスの体を、ほんの少しだけでも、入れても良いでしょうか」
寂しそうに言うルークスに、ロンドの奥から庇護欲が顔を出す。
そっと手を伸ばすと、いつものようにルークスの頭に優しく触れた。
「ロンドさ……」
「勿論です。ウォルテクスでもそのように墓を作るものはいます。ほんの少しであれば問題は無いはずですよ」
皆も特に反対意見はないのか、何も言わずに微笑んでいた。
ルークスも、その表情を安堵とともに綻ばせる。
だいぶ和んできた空気に、ロンドは覚悟を決め、皆に向かい合った。
ハイディ・ロペスの検査結果に対する反応は、様々であった。
エラは頭を抱え、マーシャは理解が追いついていないのか不明瞭な声を漏らし、マウイは怯えを滲ませて顔を歪める。
そして、ルークスは顔面蒼白で固まってしまった。
やがて、不安そうな面持ちとなったマーシャが、そろそろと前のめりになる。
「それ、どういうこと?ルークスのお母様が、恨みか何かかって殺されたってこと?」
「か、母さんは!母さんはそんな……誰かに恨まれるような人じゃなかった、です!」
悲鳴が混じったような声に、その場の全員が息を詰まらせた。
青ざめながらも、ルークスはゆっくりと顔をあげる。
そこには、怯えながらも憤りを隠せない彼の姿があった。
「たしかにその……俺と母さんを嫌ってそうな人はいたかも、ですけど。でも!命を奪われるようなことはしていません……」
重苦しい沈黙が、再び辺りを支配する。
約3分後。
このままでは何も進まないと感じたのか、エラはおもむろに口を開いた。
「事件性についてまだ不確定でも、モルスになった人が絡んでいる以上、僕らの案件だ。こうなったらもう、僕は暫く帰れないだろう……みんなはどうする?」
エラの視線が、テーブルの周りを一周する。
「ぼっ、僕は残る!ルークスん問題ばそんままに、普段ん仕事なんて出来るか!」
最初に声をあげたのは、意外にもマウイであった。
「さっきまで怖がっていた割に、思い切りますね」
「は!?な、何かおかしかか!?」
信じられないといった表情でロンドがそう言えば、マウイは元気よく噛みついてくる。
これが彼なりの発奮興起であることは、既に皆の周知の事実であった。
「私も残りたい。お父様達に連れ戻されるまでならいいでしょう?ルークスも、まさかこの状況で帰らないわよね?」
続いて、マーシャもぴっと指を挙げる。
やや冷たい声でルークスにも話をふると、ルークスはその緑の目を見開いた。
彼は青い顔で目を泳がせた後、絞り出すようにロンドの名前を口にする。
「さん、ロンドさんと一緒なら」
「だ、そうだよ。ロンド」
「わかりましたよ……」
ルークスに縋られて、断れる彼ではない。
渋々ではあったが、ロンドは深く頷いた。
話し合いの末、ルークスとロンド、マウイとマーシャとエラに別れて情報を集めることとなった。
下手に村民を刺激したくないということから、ルークスとロンドはあまり家のない場所を周っていく。
「ルークスくん、大丈夫ですか?」
「はい」
ロンドがそっとルークスを気遣ってみるも、ルークスからは平坦な返事しか帰ってこない。
やはり、精神的にキツいのだろう。
ルークスを返してから報告すればよかったと、ロンドは今になって後悔した。
「えっと……ルークスくんはここで暮らしていたのですよね?お母様に危害を加えそうな人に、心当たりは?」
思い切って聞いてみれば、ルークスは立ち止まって考え込む。
「そうですね。ブラウンさんもそうですし、クルーズさんやポートマンさんなんかは俺たちを見るたびにピリピリしてました。あとは、そうですね……」
ルークスが、ふっとロンドの方を見る。
緊張で張り詰めたその表情に、ロンドは思わず後ろへと下がってしまった。
「ロンドさん、毒、ですよね?」
「え」
「知ってるんです。薬や毒に詳しくて、この村に住んでる人」
柔らかな緑を揺らす風も、降り注ぐ日差しも、ウォルテクスでは味わえないもの。
とはいえそれを堪能する暇はなく、マーシャは深くため息を吐いた。
(いくらエラがいるとはいえ、私達だけで本当に大丈夫かしら。あまり長く残ると、流石にお父様も黙っていないはず。ロンドは……まぁ、エラと一緒なら離れてもいいかもね)
不安で少しふらついているマーシャの前で、マウイとエラは何やら話し合っている、と思ったのも束の間。
犬か何かを放つかのように、エラが東を指差し、声高らかに叫んだ。
「さぁマウイ!お前お得意の聞き込み、行ってこい!!」
「おう!!」
それに応え、マウイは猛スピードで駆けて行く。
エラは満足そうに頷くと、くるりとマーシャのほうに向き直った。
「さ、私達も行こっか〜!」
「聞き込みって、マウイ別行動?」
「ほら、マウイの得意技のアレ」
「……ナンパ?」
「という名の人助け!」
マウイの行ったほうに背を向け、二人で歩き出す。
「好意の返報性ってやつだよ。マウイは分け隔てなく親切にするから、貴重な情報も手に入れられやすい」
話ながら歩いていくと、何やら一際植物の多い庭が二人の目に入った。
風を切るような音も聞こえてくる。
「ここに聞いてみようか。すみません!」
エラが声をかけると、中からすぐに男性が顔を覗かせた。
日焼けをして、優しそうな顔をした人だ。
「はい、なんでしょう?」
すると続けて、奥からブラウンが顔をだす。
嫌な相手に、マーシャは危うく口を曲げそうになった。
「あら、聞き込みの……また何か?」
「いえ、今回はこちらの方に」
それだけ聞くと、ブラウンはまた奥へと戻ってしまう。
風を切る音が再開した様子だと、ブラウンが何か行っているようだった。
人の良さそうな笑顔を浮かべて、男性が口を開く。
「あの人には、草刈りの手伝いに来てもらっているんです。村の中でも、風の魔法が上手な方なんですよ」
「そうなんですか。あの」
「あ、そうそう」
エラの言葉を遮って、男性が何かを取りに行ってしまった。
穏やかで悪意は無さそうだが、全くこちらの話を聞かない。
旅の者だと思われているようだった。
暫くして、男性が戻ってくる。
手にした植物をマーシャへ丁寧に渡すと、優しい声音で話しかけてきた。
「遠出してきたのでしょう?風邪をひいたり、なんとなく怠いときなんかは、これを茶にして飲むと元気になりますのでね。お裾分けです」
「あ、ありがとう……貴方、お名前は?」
とりあえず受け取ったマーシャが、同じように優しく丁寧に返す。
「名前?あぁ、私は…………」
「ラポワールさんって、いうんです」
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