最高の相棒

朝倉亜空

第1話

 朝、5時半に目覚まし時計を鳴らせて、俺は起床。

 ビールジョッキに冷蔵庫から取り出した生卵を5個割って入れ、しょうゆを垂らし、一気に飲む。美味い。鮮度は抜群だ。さすがだな、この冷蔵庫。

 すぐさまジャージに着替え、まだ人気のない外へ出て、走り出す。徐々にスピードを上げ、最後はまるで短距離走の様にハイテンポになっている。目的地の公園に到着した時点で35分経過。大きく2,3度、深呼吸をやり終え、間を置かずシャドーボクシング開始。5分3ラウンド、インターバルは1分。ストップウォッチで正確に測る。

 汗びっしょりのまま、安アパートの自室まで戻る。クールダウンを兼ねているので、ややスローペースで走る。

 帰宅後、すぐシャワーを浴び、さっぱりする。柔軟剤の良い匂いがするトレーニングウェアに着替えて、ようやく俺の朝食の時間が始まる。だいたい、朝の7時45分頃だ。

 俺の夢はプロ格闘家になることだ。まばゆいライトが煌めく、オクタゴンと呼ばれる8角形の金網の中で、世界中の腕自慢の大男や怪力の持ち主たちをぶっ倒し、締め落としして勝ち名乗りを上げる。それにより、名声と巨万の富が手に入る世界。俺はどうしてもその世界に行ってみたいのだ。いや、必ず行ってやる! そして、そこでチャンピオンになってやる! 俺はそう決意している。

 そのための、毎日の過酷なトレーニングなのだ。

 トレーニングだけではない。それと同じくらい大事なのは、十分な栄養をしっかりと摂ることだ。これ、大事。

 俺は、だから大奮発して一台の新型冷蔵庫(フリッジ)を買った。最新式AIテクノロジーを組み込んだ高級機だ。

 こいつは庫内に入れた様々な食材の品質や成分を常に細かくチェック、分析し、肉なら肉が、野菜なら野菜が最も良い状態に鮮度を保ち、長期保存ができるようにしてくれる優れモノなのだ。野菜の葉の部分の栄養素が足りないことを察知すると、庫内のライトが葉に光を照らし、光合成を促させる。食品が乾きだすと、水分を霧状に噴霧して適度に湿らせる。肉専用のボックスは肉を入れると、酸化防止のため瞬時に真空状態、瞬時に0℃保存となる。だから、トレーニング前にゴクゴク飲み込んだ生卵も本当に美味かった。こいつのおかげだ。こいつは俺が夢を達成させるために欠かせない、食の安全を守ってくれる大事な相棒なのである。俺はこの冷蔵庫に「フリッジ」という呼び名をつけてやった。まあ、飼い犬に「ドッグ」と名付けるようなものだ。ははは。

「フリッジ、牛肉を800グラムに切り出してくれ。野菜はサラダにするので、生のまま150グラムで」

 俺は言った。

 フリッジはピーピピと音で答え、微かな内部動作音をさせた。スライサーが保存してある大きな肉の塊をカットしている音だ。

 フリッジの扉を開けると、ラップにくるまれた厚さ3センチのステーキ肉とボール一杯のスライス野菜が真正面に置かれていた。「サンキュー、フリッジ」

 俺はそれを取り出し、ニンニクと塩コショウで味付けし、さっとレアーに焼いて食べた。抜群に美味い! 新鮮であることが一番の調味料であり、一番の肉体増強食だろう。その証拠にフリッジを購入して以来、俺のガタイはずいぶんと出来上がってきた。太い腕、ブ厚い胸板、がっしりと安定した逞しい下半身。すべてハードトレーニングと最良質な食材のおかげだ。

 最新の対話式AIを搭載しているフリッジは、その使用者の好みによってカスタマイズすることができる。「とにかく長期保存してくれ」、「手早く調理できるようやや高めの保存温度で」などと、フリッジに語り掛ければいい。後はフリッジのAIが使用者の目的に合った温度設定に変えてくれる。見た目は白く四角いただの冷蔵庫なのだが、AIによる思考能力があったり、内部で簡単な下ごしらえ程度なら出来たりと、どちらかというとロボットに近いのだ。俺はフリッジに「常に鮮度を保つように」と指示している。

 俺はこれまでにいくつもの小さな地方大会に出場してきた。俺と同じくプロを目指す力自慢の連中が集まる、アマチュア格闘技大会だ。出場前のウエイト計量を済ませた後、俺は決まって、フリッジが鮮度抜群に保存してくれていたステーキ肉を平らげる。すると、苦しかった減量中の辛さが吹っ飛び、一気にパワーと気力が体中にみなぎってくるのだ。俺にとって、いや、俺とフリッジにとってこのことは欠かすことのできない、勝つためのルーティン、勝利を呼び込む重要な儀式なのである。おかげで、今のところ全戦全勝を記録している。まったく頼れる相棒である。

 そしてある日、遂に、俺に好機が訪れた。なんとメジャー格闘団体「ストロンゲスト・フォース」から、出場オファーが届いたのだ! これまでの俺の活動が実った瞬間であった。次大会の第一試合前の前座試合であるとのこと。構わない。「ストロンゲスト・フォース」の前座なら上等だ。即座にオファー了承の意思を伝えた。よし、やってやるッ!

 それからの俺はより一層トレーニングに力がこもった。流せるだけ汗を流す。フリッジが管理してくれる新鮮な栄養食材が俺の身体を筋肉の鎧に変えていく。シェイプアップもぬかりなかった。

 そしていよいよ試合当日の朝を迎えた。リミット一杯に引き締まった俺の身体は、計量を難なくパスした。試合前に一度だけ食事ができる。食事制限から解放されて、久々にそこそこ食べれる、お愉しみのランチタイムでもある。

 実はこの時のために昨日、大枚はたいて最高級ステーキ肉を買っておいた。プロになれるかどうかの大チャンスなのだ。それに備え、出来るだけいいものを用意しておきたかったのだ。多少の予算オーバーも致し方あるまい。それを、鮮度を保ったまま俺の相棒が保存してくれている。計量後、俺はひとまず腹ごしらえのためにいったん帰宅した。大事な大一番を前にして、今、最もしなければいけないのは、毎回のルーティン通り、しっかり食って、気力とパワーを充実させることである。これでいつも通り勝てると思い込むことが肝心なのだ。

 部屋に入るなり、俺はある異変に気付いた。何か焦げ臭い。嫌な気がした。

 すぐに分かった。異臭のもとは何とフリッジだった。扉の隙間から、幾筋かの灰色の煙が漏れている。

「おいおいおい! なんだよこりゃ!」

 俺はフリッジの扉を開けた。取っ手が熱い。そこからは冷気ではなく、もわっとした熱気が漂ってきた。中を覗いてみると、卵やら野菜やら、その他何もかもが真っ黒こげだ。肉専用ボックスはドロドロに溶けて変形し、とっておきのステーキ肉も墨そのものになっている。冷蔵装置がショートし、発火したようだった。こればかりは超高性能AIもどうにもならなかったのか。

「よりにもよってこの大事な日にブッ壊れやがって……。このバカ野郎ッ!」

 怒鳴りながら、フリッジの横っ腹に怒りの拳を思いっきりぶつけた。ドウンッ、という大きな音を立てて、側面部は拳の形にへこみ、フリッジの開いた扉の内側から大量の墨の粉が舞い上がった。

 どうもこうもありはしない、荒ぶる心の整理もつかないまま、俺は仕方なく棚の上のコーンシリアルの箱を取り出し、中身をサラダボールにざらざらと入れた。注ぎかける牛乳は無論、無い。

 バリバリと味気なく食べながら、リモコンでテレビをつけた。午後のワイドショーだ。突然、アナウンサーがハイテンションな声でニュース原稿を読みだした。

「臨時ニュースです! ただ今入りました情報によりますと、昨日、非常に毒性の強い新型の食中毒菌が発見されたということです! 都内で販売されていた食用肉から検出された模様。購入された市民の方々は絶対に食べないでください! この新種の菌は少々の加熱では死滅しません。超高温でなければ、滅菌処理できないということのようです。レアーステーキは非常に危険です。繰り返します……」

 「……」

 俺は言葉が出なかった。フリッジ、お前……。

 フリッジはロボットだ。ロボットには三原則がある。人に危害を加えない、人の言いつけには逆らわない、自分自身を守る、だ。しかし、初めの二つを守るためなら、最後の自分を守ることが反故にされても良いこととされている。

 俺はいつもフリッジには「鮮度を保て」と命じてきた。フリッジは忠実にその言葉を守ってくれていた。だが、昨日、俺が預けたステーキ肉にとんでもない猛毒菌が付着しているのをフリッジのAIは察知した。このままでは俺に重大な危害が加わる。かといって、フリッジの所有者である俺の命令は守らなくてはいけない。それでフリッジは、「命令を守らずに、命令を守る」を果たしてくれたのだ。

 俺は足早にフリッジに近寄り、庫内の設定温度パネルを見た。やっぱり!

 パネルのデジタル表記は[1000℃]となっていた。

 フリッジは俺を守るために「1000℃を保って」くれたのだ。自分自身を壊してでも。

「ありがとう、フリッジ……、お前、最高の相棒だぜ……」

 今夜、俺は、勝つッ! 相棒、いや、愛亡と共にッ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最高の相棒 朝倉亜空 @detteiu_com

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ