第15話 2032年4月29日(木)雨

 震えながらも眠りについた僕が目を覚ました時、自分の気持ちを代弁するかのような空模様が目に入り気が滅入る。


 この1カ月の生活ですっかり7時に起きる習慣がついていたこともあり、ゆとりをもって支度ができることはありがたいが、余計なことばかり考えてしまう時間でもある。


 そんなもやついたまま、支給されたラバースーツに袖を通すと体に吸い付くようにピタリと吸着したようだ。

 動くことに関して一切邪魔になることはなく、吸い付いてはいても締め付けるような圧迫感は皆無だ。

 ランニングポーチにも似た小物入れに薄型情報端末カードを入れる。

 購入した衣類はあるが、ここにきた時点で僕の荷物など元々なかったため、特に整理をこれ以上することもない。


 椅子に深く腰掛け、心臓の鼓動の音だけに耳を澄ませる。

 自分で望んで出演したが、今は時間が来ることに怯えているというのが現実だ。

 震える手を握りしめていると、薄型情報端末カードの通知音がなり、小物入れの中からにも関わらずホログラムでプリムが映し出された。


『は~い! それじゃ約束の9時です! ゲームを始めるので外に出てくださぁ~い!』


 すでに9時になっていたことに驚きを隠せない。

 だが、僕は震える膝を拳で叩き立ち上がった。


 部屋の扉に手を掛け、振り向いた時、少しだけ名残惜しいという感情はあったが、それを振り払うように前を向き扉を開け放った。


 すると扉対面の通路の壁に張り紙と何かが張り付けてある。

 思わず駆け寄った時、目に入った内容は、


『ゲームは9:00~10:00の1時間! じゃあみんな頑張ってね~! これフォークね』


 張り紙の下部にフォークが張り付けられている。


「――え?」


 思考に空白が刻まれようとした時、ふいに出した僕の声は普段の声ではなく……

 僕がアバター向けに設定した声だった。


「あっあっ――嘘だろ!?」


 確かめるように喉を震わせても勘違いではないということを確認するだけの結果だ。

 背筋に毛虫が這いずった感覚を覚えた時、僕の耳に入ったのは足音。

 しかも地を蹴る速度テンポの走る音だ。


 僕が右手の通路に目を向けた時、婦警型アバターが右手に握りしめたフォークを振りかぶっている瞬間だった。


「死んどけやぁぁーーーーーッ!!」


「――え、まっ……――!!」


 僕は驚きのあまり背後へ倒れ込みながらも、咄嗟に顔の前で両腕を交差させた。

 僕の顔面を狙ったであろうフォークは、倒れ込んだことで僕の肘付近に相手の手首部分が勢いよく叩きつけらる。


 その衝撃で僕が地面に転がった瞬間だ。


「――あぁああぁああっ!!! ぎぃいいぃい――ッ!!」


 婦警が跳ね上がるような挙動と共に背後へ倒れ込み痙攣を起こし始めている。


 これは……接触ペナルティだ。


 時間は5秒。

 それならば――


 僕は張り付けられていたフォークを剥がし右手に持つ。


 今なら僕でも……


「や――ッ!! やめろぉぉぉ!! 俺は女だぞ! み……見えてねえのか!!」


 逆手に持ったフォークが震えている。

 いや、震えているのは僕自身だ。

 こいつの言葉に揺らいだわけじゃない。


 ただただ僕は怖いんだ。

 覚悟を決めて来たはずが、想定と実戦が違うということも踏まえて来たはずだ……

 それでも……


 そんなことを考えていた時、通路の奥にさらに人影が見えた。


 僕の思考はすでに限界を超えている。

 ここであいつまで加わってきたら、どうなるか想像も……

 いや、今の僕では高確率で最悪のケースになる。


 僕はそれ以上の思考を放棄し、2人に背を向け、廊下をがむしゃらに駆け抜けていった。

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