自分の苗字を変えたくて

神在月ユウ

七ばかり

 婚活パーティは大いに盛り上がっていた。

 相手の年収や趣味趣向、互いの金銭感覚や価値観の擦り合わせがいたるところで行われている。


「わたし~、けっこう童顔っていうか、若く見られるんですよ~」

「消えろBBA」

 四十代半ばで二十代の男性に猛アタックして両断される女性。


「ぼ、ぼく、えへへ、ね、年収一千万、あるんですよ。ぐふ、ぐふふ」

「ははは、すごいですねー」

(キモっ!金持っててもこれは無理!年収倍でも無理!)

 高年収をアピールするも、完全に女性に引かれている、脂ぎった顔で気持ち悪い顔と喋り方の男性。


「お仕事は何をされているんですか?」

「家事手伝いです」

「……へ、へぇー。得意料理とかあるんですか?」

「おいしいご飯を炊くのが得意です」

「…………」


 …………様々なやりとりが、あちこちで行われていた。


 そんな会場の中、会話が弾んでいる一組の男女がいた。

「まさよしさん、お料理もされるんですね。お仕事もお忙しそうなのに」

「いえ、一人暮らしが長いこともありますし、お弁当や外食ばかりでは体にもお財布にも優しくないですからね」

「あ、それわかります。わたしも基本自炊なんですけど、外食はほんとにご褒美っていうか、たまの楽しみみたいにしています」

「なのかさんもですか?実は、僕もそうなんです。さすがに毎日自炊は大変なので、休日のお昼とかはちょっと外に出てお店に入ることとか、今日はお弁当にしよう、って思っちゃいます」


 二人は意気投合して、周囲の男女とは違って和気あいあいと会話を楽しんでいた。

 互いに胸のネームプレートを確認しながら、相手の名前を呼び合って会話する。

 この会場では、自分のネームプレートに平仮名で名前を書いている。苗字を小さく、名前を大きめに。互いに名前でコミュニケーションを取ることで、精神的距離を近づけようという試みだった。

 他の男女にはあまり効果的ではなかったようだが、事この二人に対しては心の距離を近づけるいい効果を出していた。


 なのかはまさよしを気に入っていた。

 二十八歳の彼はインフラ会社に勤めており年収は六〇〇万円ほど。金銭感覚も近い。自活能力が高く、炊事だけでなく適度な清潔感で掃除もする。潔癖だとすごく面倒なことが多いため、意外とここは大事だ。

 なのかが絶対に譲れない条件はあまり問題になることがないのだが、他の条件まで良好ならば、もう万々歳だ。

 『あたどまさよし』さん。

 珍しい苗字だけど、どういう字を書くんだろう?


 まさよしはなのかを気に入っていた。

 二十三歳の彼女はとても愛らしい笑顔を向けてくれる。鉄道会社の子会社に務める正社員で、結婚しても仕事を続けたいという。金銭感覚が近く、自炊はするけれどもたまにはお弁当や総菜で楽もしたいねと、無理な節約を強要されて息が詰まることもなさそうに思える。すごく好印象だ。

 今のところ、彼女には好印象だと思うが、問題は、自分が提示する条件だ。日本では一般的なことではないが、彼女はどう思うだろうか?

 『きずやなのか』さん。

 見ただけだとどんな字を書くのかわからないが、珍しい名前だな。

 どんな字なんだろう?



「あの、変なことをお聞きするかもしれませんが、なぜ婚活パーティに?」

 まさよしは少し歯切れの悪い風に尋ねた。

「なのかさんなら、その、こういう場でなくともお相手が見つかりそうなのに」

 対して、なのかは特に気を悪くした風もなく、クスリと笑って答えた。

「実は、バカみたいなお話なんですが……、一日でも早く、結婚したくて」

「一日でも早く、ですか?」

「はい。一日でも早く—――」


「この苗字を変えたくて」


「……え?」

 まさよしはきょとんと、目を丸くした。

 なのかは昔を懐かしむように語る。

「この名前、ちょっとコンプレックスがあって」

 自分のプロフィールカードを取り出して見せる。


 『喜寿屋きずや 七夏なのか


 彼女の名前だった。

「これが、何か?」

 珍しい苗字だが、特に悪い意味もない。『寿』って名前で独身なのが嫌とか?

「わたしの七夏って名前、父がつけたんです。酔っぱらった父が、パチンコから帰ってきて、『七が三つ並んだだけじゃゲン担ぎが足りない』って言って」

 彼女の説明によると、七十七歳のことを指す『喜寿』は草書体で『喜』を『㐂』と書くことが由来だそうで、彼女の父は七が三つ並ぶその苗字から「俺はラッキーセブンだからパチスロで負けない」と普段から豪語しては負けていたらしい。

 だから、七十七歳を指す苗字に加えて、娘の名前に『七』を足して、二重の意味で『ラッキーセブン』にしたそうだ。『なのか』という読みは、どうしても聞き入れない父に対して、母が「せめてかわいらしい名前に」と足掻いた結果らしい。

「おまけに、小学校でこの名前の由来を作文で書いてしまったら、遠足で雨が降れば『ラッキーセブンなのに雨が降った』とか、新幹線事故のせいで修学旅行が中止になったときには『ラッキーセブンがいるのに不幸ばっかじゃねぇか』とか言われたり。小中学校でつけられたあだ名が『不幸』で、ずっと塞ぎ込んでました」


「だから、早くこの苗字とさよならして、新しいわたしになりたいんです」


「そうですか……」

 まさよしは神妙に頷いた。

 そして、自分のプロフィールシートを取り出し、七夏なのかに見せた。

「実は僕も、自分の名前が嫌で……」


 『愛戸あたど 正義まさよし


 七夏なのかは特におかしいとは思わなかっ―――

「愛と正義……!」

 気づいた。

 そういうことか。

 きっと小学校で散々弄られたに違いない。


「僕は、結婚したからといって、女性が男性の姓を名乗ることが当然だとは思いません。そこは自由であるべきだと—――」

 正義まさよしは唐突に日本の改姓について語り出した。

 七夏なのかは察した。

 つまり、あなたも苗字変えたいのね。



 互いの相性は抜群だろう。恐らくここまでマッチすることはもうこれ以降はないかもしれない。

 でも、互いに「あなたの苗字に変えますよ」と言い合っている構図に、両者困惑のまま時間がどんどん過ぎてしまう。

 七夏なのかはなんとも言えない感情を抱えながら、気持ちを切り替えて他の男性とも話してみようと思った。

「初めまして、七夏なのかと申します」

「さいくさです、よろしくお願いします、なのかさん」

 少しスポーティな印象の男性だった。

「珍しいお名前ですね」

「ああ、よく聞かれますよ」

 さいくさという男性は、自分のプロフィールカードを見せた。


 『七種さいくさ 八雲やくも

 

 七夏なのかは適当に話をして切り上げた。

 自分は『七』に呪われているのだろうか。



 続いて、今度話をしたのは儚い印象の男性だった。

「どうも、うるわし、です」

 今度は大丈夫そうだ。

 それにしても『うるわし』って、そんな苗字あるの?

 七夏なのかの疑問を察してか、もしくは慣れているのか、どんな漢字を書くのかすぐに教えてくれた。


 『うるわし 六実むつみ


 一瞬安堵と関心からほっと息を吐いたが、七夏なのかは気づいた。

 『漆』って『七』じゃん!

 むしろちょっと捻ってる分『漆 七夏』ってなんか響きがいやだ!

 声に出すのはいいけど書類とかに書く時なんか嫌だ!




 喜寿屋きずや七夏なのかは近くの椅子に腰かけ、項垂れた。


 ああ、婚活って難しい。

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