幸福な王女

香居

朝食後、アンは私室で新聞を読んでいた。

「お嬢様!」


 侍女が叫んだ。その顔は真っ青だ。無理もないだろう。新聞の一面には、大きく写された正装のアン。その見出しは『〝アン・ラッキー〟な王女の逆転劇』だったのだから。


「お嬢様が、そのような下賤な物をお目にかけることはございません!」


 慌てて新聞を取り上げようとする侍女を笑顔でいなすアン。


「昨日の会見を、早くも記事にしてくれたのよ? 目くらい通さなければ、彼らに失礼でなくて?」

「失礼なのは、あの者たちでございます! 社交会デビューについて華々しく発表するならともかく、お嬢様が遭われたことを面白おかしく書き立てるなんて……!」


 侍女の血管は今にも切れそうだ。

 アンは侍女をなだめつつ、記事に目を移した。そこには、アンの身に起こった7年前の不幸と、それによって見出された王家の血筋。子どもを亡くしたばかりの王室にとっての希望。下級貴族からの華麗なる大転身……といったことが書かれていた。


「嘘は書かれていないわ。ただ、少し誇張されているだけよ。人々の興味をそそるようにね」


 伏せぎみの目は、知らない者からしたら、ただ文字を追っているようにしか見えないだろう。だが幼少期からアンに寄り添ってきた侍女にはわかる。憂いを隠し、亡き実の両親に思いを馳せていることを。


「お嬢様……」


 侍女が声を震わせる。

 アンは顔を上げ、わずかに目を丸くした後、苦笑した。


「今のわたくしを、不幸だと思う人はいないわ。わたくし自身もそうよ」

「……っ……」


 侍女は口を開きかけたが、何と言葉をかけたら良いのかわからなかった。言葉でうまく表せない思いを、唇を強く噛むことでしか表現できない自身の不甲斐なさに、泣きたくなった。


「あなたがそんな顔をすることはないわ。お養父とう様もお養母かあ様も、本当の娘のように大切にしてくださる。あなたが傍にいてくれるから、わたくしは気の休まる時間が持てるのよ」


 ありがとう。アンの心からの言葉に、とうとう侍女の目から涙がこぼれた。


「お嬢様……お嬢様……」


 泣き崩れる侍女。アンは椅子から立ち上がり、膝をついて侍女に寄り添った。


「あなたの優しさは、いつもわたくしを包んでくれるわね。だからわたくしは、前を向いていられるのよ」

「……お嬢様……っ!」


 顔を覆い、激しく泣く侍女。アンは侍女が泣き止むまで、背中にそっと手をあてていた。


 しばらくの後。嗚咽が収まり、のろのろと顔を上げた侍女は気まずそうな表情をしていた。


「……申し訳ございません……感情が、抑えられず……」

「いいのよ。感情を押し殺して良いことなどないわ」

「ですがっ、お嬢様は……っ」

「わたくしは、立場というものがあるもの」


 しとやかに、だがまっすぐ侍女を見つめるアン。その揺らぎのない気品は、まさしく一国の王女と言えるものだった。


「わたくしのために、泣いてくれてありがとう」

「お嬢様……」


 侍女の頬を、新たな涙がすべり落ちていく。


「わたくしは、幸せよ」


 アンの微笑みは、美しかった。


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