付喪神
大塚
第1話
バスケ部の部室周りに白い服を着た女の幽霊が出る、という相談を持ちかけられた。この話題は実は二度目だ。前回は部長の十和田くん、今回はマネージャーの大野くんが神妙な顔をして僕の教室までやってきた。十和田くんと大野くんは同じクラスだ。
「前十和田くんからもその話聞いたけど」
「うん」
「一応話つけたつもりだったんだけど……同じ
「同じかどうかまでは俺には見分けつかないんだけど、いるんだよ、絶対」
以前十和田くんに白い服の女の幽霊が出るという話をされた時、僕はとりあえずバスケ部のミーティングルームに向かって、それからその幽霊とやらが現れるまでひたすら待機した。幸いにも下校を促すアナウンスが流れ出す前には白い服の幽霊が現れてくれて、彼女は僕たちがこの高校に入学するずっと以前に在籍していた女生徒で、不運にも事故で命を落としてしまい(交通事故だったらしい)、自分がまだ生きていた頃に想いを寄せていた男子生徒が今どうしているのかが気になって成仏できない──というような身の上話をされた。純愛である。ストーキングもしてないし。それで僕はその男子生徒は既にこの学校にはいないこと、希望するなら当該男性の行方を追っても良いけどもしかしたら学生時代の面影のないひどい大人になっている可能性もあるということ、そういう現実に直面しても呪ったり祟ったりしないならご相談を伺います、という風に申し出て、先方は悩みに悩んだ末「いい思い出のまま川を渡ります」と言い残して成仏した。たぶん。
「まだ何か心残りがあったのかな……」
「ていうかさ、俺ちょっと引っ掛かってることがあって」
「何?」
部室棟に向かうために渡り廊下を歩いていると、大野くんがいやに神妙な声を出した。
「うちのバスケ部……男バスってさぁ、マネージャーも男だけじゃん」
「あーね。女バスの方が強いしね」
「そういう話じゃなくて。選手もマネージャーも男だからさ、……女子が男バスに接触することって基本的にないんだよな」
「……」
足を止める。顔を上げる。マネージャーだけど大野くんの方が僕よりもずっと長身だ。
「前回部長が相談したっていう幽霊は……部室の中に、いたか?」
「いや──」
言われてみればそうだ。僕はミーティングルームの中で幽霊を待ち、幽霊はミーティングルームの扉を控えめにノックして姿を現した。あの時は。
じゃあ、今回は、なに?
面倒な予感がする。
幽霊騒動が再発し、男バスの部員は誰ひとりとしてミーティングルームに寄り付かなくなっていた。気持ちは分からないでもない。大野くんに鍵を開けてもらい、ドアを開く──
「きったねえ!!」
考えるより先に声が出ていた。大野くんが顔を顰めているのが分かる。だが事実だ。なんだこの汚さは。前回来た時も男バスあんまり整理整頓とかしてないのな……と思ったものだが、今のこの、荒れ放題に荒れ尽くした部屋はいったいどういうことなんだ。こんな場所でミーティングができるのか。できない。僕だったら無理。僕の所属している書道部は常に茶道部と部室の美しさを競い合っているというのもあって、こんな風になんだかよく分からない紙切れや雑誌が部屋中に散乱しまくったり、スナック菓子の袋が放置されていたり、あ、あれは成人指定の雑誌ではないか!? 風紀がひどい! 前回はここまで最悪じゃなかったのに!!
「大野くん……」
「……」
「あのさ……」
幽霊じゃなくってふつうに保護者の人が注意しに来たんじゃないの、この部屋、と言いかけて、不意にまったく違う言葉が脳裏を過ぎった。
「大野くん、男バスって普段どこで活動してるんだっけ」
「は? ……第二体育館だけど?」
「──大野くんさぁ、俺に言ってないこと、あるよねぇ」
うちの学校は部活動にも結構力を入れていて、先述の茶道部、書道部にはきちんと畳張りの部屋が与えられるという気合いの入れようで、つまり運動部だってかなりの良い待遇を受けているわけで──
「き……きったねえ!!!」
大野くんの尻を蹴飛ばしながら辿り着いた第二体育館は、ミーティングルームと同じぐらい、いや、それ以上に荒れていた。何をどうすればこんなにめちゃくちゃにできるんだ。真面目に部活動をしていたら、こんなことにはならない。
つまり男バスは、真面目に部活動をしていないということだ。
適当に放り出されたボール、薄汚れたダンベル、大金をかけて設置したであろうに埃まみれになっているベンチプレスマシン……。
「あっ!」
「ああ!!」
ベンチプレスマシンの上に、その女は座っていた。
確かに白い服を着ている。長い黒髪に青白い顔、前回現れた元在学生の幽霊と良く似た顔立ちだ。だが。
長い脚を組み、呆れたような表情でこちらを見下ろす彼女は素人の僕の目にも分かるほどにアスリートの肉体をしていた。細身に見えてきっちりと筋肉がついた二の腕、白いロングスカートの裾から覗く引き締まった足首。裸足の足そのものも大きく、がっしりしている。
なるほど、彼女は幽霊ではない。
「ベンチプレスマシンの──付喪神さんですね?」
◇
つくもがみ、と菅原が平たい声で繰り返す。そう、と頷いて僕は菅原特製のハヤシライスにスプーンを突っ込む。
「私も出会ったことはありますが、付喪神……ベンチプレスマシンの付喪神というのは初めて聞きますね」
「ちょっと前にさ、白い服の女の幽霊が出るって話があったじゃん。あの幽霊さんがまだ存命だった時のうちのガッコの男バス、かなり良かったらしいんだよ」
「成績が? 全国大会に出たりとか?」
「それもあるけど、なんていうか、バスケに対する真剣度がね。今とは全然違って、だから学校側もあんなお高いベンチプレスマシンを導入してくれたらしいんだけど」
ベンチプレスマシンの付喪神はご立腹だった。これまで見てきた部員たちとは比べものにならないほど怠惰な当代の部員たち。怠惰なだけならばまだ許すが、幽霊が出たと言っては騒ぎ、幽霊がいなくなった途端にミーティングルームや体育館でダラダラと過ごし始める、練習もせずに、そんな彼らの姿が許せないのだとベンチプレスマシンの付喪神は滔々と語った。
「それで、坊ちゃんは……?」
手元のコップに麦茶を注ぎながら菅原が尋ねる。菅原は幽霊とか怪異は苦手だけど、付喪神は平気みたいだ。なんでなんだろう。
「何もしないよ。大野くんには祓ってくれって迫られたし、実際やろうと思えばできたけど……」
付喪神は神様だから手に負えない、と僕はしれっと嘘を吐いた。その代わり、部員全員でミーティングルームと第二体育館の掃除をして、毎日真面目に練習に励めばいなくなってくれるかもしれないね? とだけ伝えて現場を去った。ベンチプレスマシンの付喪神は「
「バスケ部の皆さんは頑張るでしょうか?」
「さあ、それは俺には……でも付喪神が怖いならやるしかないっしょ」
来月にはなんか、県大会に向けての地区予選的なものも始まるらしいし。
「青春を支えてくれる付喪神、いいよね!」
他人事だけど、他人事ではない。僕だって彼らと同じ学生なのだ、それなりにやることは色々ある。
「坊ちゃん、おかわりたくさんありますからね!」
寸銅鍋を構えた菅原の声が、やたらと心強い夜だった。
付喪神 大塚 @bnnnnnz
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