第16話 つながる思い

「キミは自分のことばかりじゃない。僕のことも、周囲のみんなのことも、いつだって気遣ってくれていたじゃないか」

「そんなことはないわ。私はずるい人間よ。今度のことでもこんなに迷惑をかけて」

「さすがに今回のことは、いろいろと慌てたな。まさか引っ越しまでしてしまうとは思わなかった。連絡も……もう取り返しがつかないくらい、僕は嫌われたんだろうか?」


 ストレートに聞かれ、言葉に詰まった。

 嫌いなわけがない。だってずっと連絡を待っていたんだから……。

 片時も携帯を手放せなかったじゃない。鳴りもしないのに、鳴ったような気がしてあんなにも携帯に触れていた。


 私にとって今、一番大切な人が誰なのか、もうハッキリとわかっているのに、言葉が繋がらない。

 沈黙のまま数分が流れ、反らした視界の端であの人が動いた。


「まぁ……そうだよね。僕はキミが一番されたくないだろうことをしてしまったわけだし……そろそろキミのお母さんも着く頃だろうから、少し表を見てくるよ」


 あの人が立ち上がる。

 答えられないでいたことを、嫌いだと受け止められてしまった。母親が来たら、あの人と話す時間など持てないだろう。

 退院して帰ってからも、私は住む部屋さえ決めていないし、あの人には仕事もある。連絡が来るかどうかもわからないし、きっと私はまたためらって、自分から連絡をすることもできない。


 これが最後で、私たちは終わってしまうんだ……。


 窓の外を強い風が通り過ぎ、木々が大きく揺れ、突然雨粒が窓ガラスをたたいた。この期に及んでまだ自分の思いを口に出せず、諦めてウジウジと後悔を抱えながら生きていこうとする私を、叱っている気がする。

 急な雨に、あの人もドアに手をかけたまま、驚いて振り返った。


「私、あなたのことが好きです! もう、ずいぶん前から……でも、ちゃんと言えなくて……いつも……」


 気づいたら泣いていた。いい歳をして、まるで子どもみたいで情けないと思うのに、涙が止まらない。

 頬を拭おうとした手があの人に包まれ、ハンカチがそっとあてられた。


「今のが本当なら飛び上がるほど嬉しいんだけど、そんなに泣かれたら、どうしたらいいのかわからなくなる」


 顔を上げると、本当に困ったような顔で微笑んでいる。

 涙は一向に止まらないのに、その表情を見てつい笑ってしまった。


「……ふふっ」

「ひどいな、僕としては笑いごとじゃないのに」

「ごめんなさい、だって……」

「泣き続けられるよりは、笑ってくれるほうがいいんだけど、何だか複雑な気分だな」


 一緒になって笑うあの人に、今まで以上の親しみを感じ、本当に大好きだと改めて思った。もしもさっき、自分の気持ちを口にしなかったら、こんな時間はなかっただろう。


「さっきのは嘘でも冗談でもなくて、私、本当にあなたが好き。今までは自分のことばかり考えて、気持ちを口にも出せなかったけれど、これからはちゃんと伝えたい。いいことも、悪いこともちゃんと」

「本当にそろそろ、キミのお母さんを迎えに出ないと」


 もう一度、あの人は私の頬と目もとをハンカチで拭うと、立ち上がってドアに向かった。


「キミは忘れているかもしれないけれど、僕は最初に会った時からキミの事が好きだ。検査が終わったら、一緒に帰ろう。それでそのまま、一緒に暮らそう。少し順番は違ってしまうけど、もう離れているのは嫌なんだ。それに僕は、キミ以外の誰かを妻に迎える自分が想像できない。結婚するならキミとだ。いいよね?」


 振り返って一息で言い切ったあの人に、私は大きくうなずいた。

 あの人が出ていったあと、私の手に残った指輪を握りしめ、窓の外を見た。雨は上がり、今は夕焼けのオレンジの光を受けた木々が、さわさわと優しく揺れている。


(良かったね)


 どこからか、そんな声が聞こえた。

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