第9話 雨に曇る街角

 こぼれた涙がココアに奇麗な波紋を作った。


「お姉さんの気持ちを、きちんとその人に伝えなかったの?」


 女の子の瞳はしっかりと私をとらえているのに、何か別のものを見ているんじゃないかと思うほど澄んでいる。

 まるで心の内側を読まれているみたいな気持ちになった。


 今も、私は思いを口にしたのだろうか……?

 女の子にまたうながされ、熱いココアに口をつける。

 甘味が喉をとおり胸に染み渡るのと同時に、強く締めつけられて痛みが走った。


「伝えても……信じてもらえたとは思えない」


 カウンターの向こう、ガラス窓の外はいつの間にか雨。

 薄暗くなった景色に、ランプの灯りが一層明るく見える。


 あの日も、晴れていた空が急に曇り、小雨が降り出した。

 私は夕方になってから、社用で得意先へ書類を届け、そのまま帰宅をするよう上司に言い付けられた。

 ちょうど得意先を出たころに雨が降り始め、急ぎ足で駅へと向かう。


 大きなガラス張りのビルを通り過ぎるとき、つとガラスに映った自分の姿を見た。

 ぼんやりと映る自分の姿の向こうは洒落たレストランで、家族連れや何組かのカップルが楽しげに食事をしている。

 暖かな雰囲気に、自然と頬がほころんだ瞬間、私の目は一組のカップルをとらえた。


 つややかな黒髪の女性と、テーブルを挟んで身を寄せ合っているのは、あの人だ。

 食事をしながらも会話が弾んでいるのがハッキリとわかるくらい、あの人の笑顔は明るい。


 女性のほうは決して派手ではないのに、とても目を惹く容姿で、私とは正反対のタイプに感じた。仲睦まじい二人の様子に、私の胸はえぐられたように痛んだ。

 さらに追い打ちをかけたのは、テーブルの端に置かれた、小さいながらも存在感のある、有名な貴金属ブランドの袋。


(……そうだったんだ)


 雨粒が大きさを増し始め、周りの人波が忙しなく動いている中、立ち止まったままの私に女性の視線が向いた。

 怪訝そうに小首をかしげ、数秒見つめ合う。おかしな様子に気づいたのか、視線を落としていたあの人の目が女性に移り、こちらへ動いた。

 あの人が完全に私を向く前に、弾かれるようにその場を離れた。

 小走りで人ごみの中を抜け、一番近くにあった地下鉄の階段を駆け降りる。


「あっ……!」


 動揺のせいで足がもつれたのか、ヒールがバランスを崩して階段を降り切った所で勢い良く転んだ。


「っつ……」


 強かに膝を打ち、足首を捻ってしまった。痛みをこらえて立ち上がり、壁伝いに歩き出す。

 惨めで仕方ない。自分が情けなくて涙があふれる。また、哀れな自分を持ち上げようとする気持ちを、頭を大きく振って振り払った。


 そのあとのことは、良く覚えていない。

 自宅に着いたのは、二時間も経ってからで、私は無気力なまま何もせず、灯りを点けることなく、そのまま眠りについた。


 翌朝、怪我を理由に会社を休み、私はその足で不動産屋へ向かうと、部屋の解約を申し出た。

 次に引っ越し業者の手配をし、トランクルームとウィークリーマンションの契約を済ませた。


 私の部屋は、おおよそ女性の部屋とは思えない殺風景な部屋で、大した荷物は置いていない。

 着替えや当面生活に必要であるだろう荷物だけを、トランクとキャリーバックへ詰め込み、部屋をあとにした。

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