【KAC20235】「この春は、なかったことに」
水ぎわ
第1話 「大事な女に逝かれるなんて、男はどうすりゃいい?」
その日は、不思議なくらいに桜が舞っていた。
病院の窓から見える枝のぜんぶにピンク色の花が咲き、風がふくごとにひらひらと散った。
まるでおれの妻、シノの残り時間を散らすように。
医者はおれとシノを目の前にして言った。
「シノさんの病気は進行性の難病です。すこしずつ筋肉が動かなくなり、やがて内臓を動かしている筋肉が止まります。そこで……」
医者はそれ以上いわなかった。
言えなかったんだろう。シノの隣に座るおれが、真っ白な顔をしていたから。
21××年。
医療技術は有機メディカル分野で急激に進化を遂げた。
内臓を含む人体のほぼすべてはサイボーグ化が可能になった。病気は患部を交換することで完治する。
ただひとつ、筋肉が衰えていく病を除いては。
シノがかかった難病をのぞいては――。
おれ、サンギ28歳、シノ28歳。
結婚したばかりのおれたちには、すこやかな50年がつづくはずだった。
共に在る未来が、目の前で消えていく……。
だがここで、医者は降りしきるピンクの花を見ながら言った。
「ただひとつ、新しい治療法があるのです……まだテスト段階ですが。全身を人工筋肉に取り換える方法です」
「やります、それ!」
おれとシノは同時に言った。しかし医者は困った顔をして、
「ただし問題があります。シノさんは有機メディカルパーツを受付けない体質なのです。
移植後に拒否反応が出てしまい、亡くなられる危険性があります。生体移植なら耐えられますが……」
おれたちは顔を見合わせた。
「生体……生きている人間の筋肉なら、移植できるって事ですか」
「そうです」
「じゃあ、おれの筋肉でも?」
「サンギ、だめ。サンギが死んじゃう」
シノがおれの腕に手を置いて止めた。指先に桜の花のような爪が震えていた。
その瞬間、おれは決心した。
この人を生き伸びさせるためなら、おれはなんだってやる。
大事な女に先に逝かれて、どうやって生きていけばいいんだ?
「やります。おれの筋肉をシノへ、おれには人工筋肉を移植してください。
それで、シノの病は治りますか?」
医者は言った。
「完治は難しいかもしれません、なにしろ進行性の難病ですから……。
しかし10年単位で進行を食い止めることはできるでしょう。
サンギさんとシノさんの細胞型が同じなら問題はない……当院でも初めての試みなのでチームを作って対応します。
使用するのは最新パーツなので、いろいろなオプションを付けられますよ。
たとえば筋肉の大きさや色、不随意筋肉を随意筋肉に変えることだって可能です」
「なんだかよくわかりませんが、全部のオプションをつけといてください。何が役に立つかわからないですし」
「……サンギ。あぶなくない、あなたが?」
ぎゅっとシノがおれの手を握った。
だまって握り返す。
もう一度言う。
大事な女に先立たれたら、男がどうやって生きていけばいんだ?
シノが生きていたら、それでいい。
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