種明かしと筋肉讃歌



 部屋の中には、俺と、彼女。


「アルバイン様」

「ネフィリア」


 昨日だって見舞いに来てくれたのに、やはり顔を見ると嬉しい。

 名を呼んで近づいたのに、なぜ、一歩下がるんだ?


「あの、私、そんなに叩いたりしたことなんてなくて。でも一歩間違えばアルバイン様が怪我では済まなかったかもと思うと」


 なるほど、ランドリックの頬のことか。


「心配をかけた俺も悪かったと思う。あいつもあんなやつだし」

「嫌になっては、いませんか?」

「ならない。ただ、叩く方も無事では済まないだろうから、気をつけて欲しい」


 誠意を込めて言えば、やっと、近づいて腕に触れてくれた。

 冬服の厚い生地の上から、下にある俺の熱を指の腹で探るように辿る。たった五本の白く細い指でしかないのに、俺は痺れたように動けなくなった。


「騎士服を着るとはっきり分かりますね。痩せられました」


 ドキリとしてしまう。筋肉が落ちて、腕どころか、全身が一回り小さくなっている気がしていたのだ。

 これを、彼女は裏切りのように感じるだろうか。

 しかし彼女は、キリリといった顔をして、任せてくださいと言った。


「私、母からも体作りに良いお料理やお薬を教えてもらいましたから! 腕が治るまでは、私が、アルバイン様のお料理と生活を、きっちり整えてお手伝いしますね。あの、もし足りないところがあったら、教えてください。私、義父になった方からアルバイン様のお話を聞いて、ずっと憧れていて……」


「義父君とは、ゼンゲン侯爵のことだろうか?」


「いえ、伯父様ではなく、母と二年ほど前に再婚した騎士様のことです」


 彼女の母と再婚し彼女の義父となった人とは、なんと俺の弟子入りを受け入れてくれた師の騎士その人だという。

 俺はそれを聞いて、彼女の呆れの原因を察した。師は普段の生活に関しては、本当に、本当に、大雑把な人だ。

 その師が、騎士全般に呆れ果てていた彼女に、自律と自己管理の行き届いた騎士もいるぞと、俺の話をしたのだそうだ。


「アルバイン様にひと目お会いしたくて王宮まで来たものの、私の身元はただの平民で、養女になるというお話もいただいていたけれどまだ養女ではなく……。それにずっとローザと名乗っていて、貴族名のローザリアとは呼ばれ慣れていなくて……」


 だから、ネフィリアと名乗ったのだと言う。

 それなら、ローザでもよかったのでは、とちらり思いはしたが。

 彼女がもじもじと続けたので、どうでもよくなってしまった。


「お会いしてみたら、アルバイン様は本当に理想の騎士様で……。私、線の細い殿方は、父のこともあって苦手なのです。ずっとお会いしてみたいと思っていた方が、予想よりがっちりムキムキでいらして、その、つい……。話に聞く恋愛物語で、愛名を呼び合うのがとても素敵だったから」


 押し付けてしまってごめんなさい、とすぐに萎れてしまう彼女は、俺の想像とは違って少し卑屈だ。

 それがたまらなく可愛く思える。いや、どんな側面であれ、知らない彼女を知ることができるのが、俺は嬉しいのだ。

 もっと、もっと知っていけたらいい。


「俺は、あなたが触れてくれるのが、嬉しくて、いつまでも続くものだと甘えていた。本当は、聞きたいと思っていたんだ。――あなたが好きなのは、俺か、俺の筋肉かって」


 ああ、真っ赤になった。でも、緑灰の目の端に、今まで見たことのなかった強気が光っている。


「私、ランドリックから、アルバイン様に体目当てだと思われていると聞き知って、恥ずかしくて」


「それで、会いに来てくれなくなったのか。俺のせいだな」


「違います」


「ぐずぐずしてた俺のせいだ。そもそも、体目当てだろうとよかったんだ」


「よくないです。それだけじゃないもの!」


 口を滑らせたと慌てる彼女が、愛しくて愛しくて、おかしくなりそうだ。


「俺の筋肉が始まりでも、俺の几帳面さが始まりでも、どちらでもいいんだ。それが俺であれば。むしろ、ネフィリアを惹きつけるものを持っていて良かったと思う。俺は、もう貴方を失えないのだから。必要ならいくらでも体を鍛えるし、生活を整えるし、……臭くならないよう気をつける」


「か、香りつきの石鹸はそんな意味では……私、だって、アルバイン様の自然な香りが好きだから、その、他の女には隠しておいてもらいたくて」


 とうとう我慢ができずに、俺は動かせる手で彼女の腰を攫った。

 あいかわらず彼女は羽のように軽くて、いとも簡単に俺の腕の中にふわりと舞い込んできた。


 本当は、きっちりと順序を守ったほうがいい。

 結婚を申し込んで、受けてもらって、後見の侯爵に認めてもらって、俺の家族にも報告をして、婚約して結婚をして……。

 だが、俺は学んだ。

 好機は決して逃してはならない。


「好きだ、ネフィリア」


 私も、と囁いてくれた彼女の甘い香りと吐息をまず味わう。何度も。

 跪いてプロポーズをするのは、その後だ。


 大丈夫、俺が作ってきた体は、少し窶れたといえど彼女を抱き上げても揺らがない強さを保っている。彼女が俺の肩に手をおいて、僧帽筋素敵……とうっとりしっかり撫でさすったのも確認した。なんなら、俺の腹筋に当たった足をそっと動かして、腹の硬さを味わったのだって気がついた。冬服越しなのを、残念そうにしたことも。

 それからはっとして、ちょっと申し訳なさそうな顔をして俺を見る彼女は、気がついていない。

 彼女が俺を堪能する時、俺もまた、彼女に触れてその芳しさと柔らかさを満喫していることに。


 筋肉はこれからも鍛えるし、年齢を重ねても維持できる自信はある。

 常時努力が必要だが、それで彼女が俺を見るなら、容易いことだ。

 俺は自分の体格と性格に感謝をした。


 特に俺の筋肉よ、よくやった!

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