外気に触れてもあなたが息をしている世界

外並由歌

外気

外気に触れたら窒息

 窓の外から母親の声がする。締め切った部屋には、その声は詰まって遠くに聞こえた。視界の端に僅かに留めた青空の下には、透った暑さがあるのだろう。七花ななかはそちらのほうが好きだったが、風を誘い込むこともなくじっと両足を抱いていた。

 息をひとつ吐いたが、少量の熱を含んだ室内の熱はあまり揺らがないように感じた。諦めて膝に額を押し付ける。


(ちょうちょう、ちょうちょう、なのはに、とまれ)


 なのはにあいたらさくらにとまれ、と、やがて慌ただしく階段を駆け上がってくる足音が聞こえるまで、心の中で繰り返していた。


「ねえちゃん」

「……ゆう…?」


 控えめなノックの音と、潜めた声が七花を呼び戻す。緩慢な動作で顔を上げた彼女が戸の向こうの相手の名を呼ぶと、ドアノブが回って弟が入ってきた。左手に虫篭を抱えている。七花は僅かに首を伸ばした。

 勇は室内を見回してから、クーラーつけていい?と申し立てた。一拍置いて短い返事をすると、棚の上にあるリモコンを手に取って、小さな指がひとつのボタンを押した。斜め上の白い機械が静かに唸って微風を吐き出す。ぬるくて、湿度を持っていて、独特のにおいをもつ風だった。


「ツマグロヒョウモン、だって」


 言いながら勇が虫篭を差し出す。覗いてみると中でオレンジ色の羽をもつ蝶が静かにしていた。


「かわいい」


 呟くのと同時に顔が綻ぶ。それを見て勇も微笑んだようだった。それから、この間その幼虫を見たんだよと教えてくれる。

 どんな幼虫なの、と問い掛けると、話し出そうとしてからふと困った表情になり、篭を足元に置いて両手でいろいろやってみながら辛うじて「くろと、オレンジで」と言い、最後に「つんつん…してた」と頼りない表情を見せた。

 見てみたい。そう言うと、勇は「じゃあまた見つけたらとって来る」と嬉しそうにする。


「ねえ、この子、もらっていい?」

「…いいよ」

「ありがとう」


 七花はそっと篭を持ち上げた。驚いたのか、蝶は一度足を離して羽を上下させた。


わたしはへいき

ほしいものは勇がもってきてくれるから

ちょうがここにいるから

この窓はけっして開けたりしないから。

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