短編

@rabbit090

水の中にいたい

 死にたい気持ちになるより、生きたい。

 何度もそう願ったはずなのに、体中から怒りが満ち溢れてこぼれ落ちながら私は、同時に壊れていっていたようにも思う。

 「もう帰らない。分かってるでしょ?」

 母はいつもそう言って、私を脅しつけることに人生をかけていた。

 「ふざけんな、クソババア。」

 そう言葉にしたのはそれほど前のことではない、ずっと押し黙って耐えていた私は、すでに壊れてしまっていて、最早手に負えるものでは無かった。

 黙っていればバレないけれど、私はいつも壊れている自分を隠すために全力を使っていて、外に出ると非常に疲れてしまう。

 ぐったりと体を預けたいのに、そこには最早誰もいなくて、ぼんやりとした絶望だけがそこにあり、私はそれを満たすためにひたすらマンガを描いている、音楽を作っているので

 当のクソババアである母は、いつも怒りながらどこか泣いているようで、それがさらに私の心を乱していた。


 「もうさ、家出た方が良いよ、あんたも分かってるでしょ?」

 「………。」

 だけどそう言われても、分かってるけどどうしようもない、だって。

 私は一度家を出て一人で暮らした。

 けれど、私にはそれを維持できる能力が無かった。お金が無かった。

 祥子さちこはそれを知っていて、でもいつも同じことを繰り返して伝えてくる。

 彼女の客観的な瞳には、私がどうするべきなのか、そりゃ単純明快、分かりやすく見えているのだろう、けれど。

 「しない、仕方ないから。」

 私がそう言うと、祥子は残念なものを見る目で一瞬私を捉え、そしてすぐ、友人を心配する心根の優しい人間の表情へと変わる。

 「そう、分かったよ。」

 分かってくれたのかしら、私の心にはいつもトガのようなものが光っていて、親切な言葉ですら、善意に満ちた思うやりですら投げ捨ててしまえば、とさえ思う。

 ありがたいのに、すごくありがたいのに、私は自分の不器用さを呪いながら叫びだしそうな衝動を必死の思いで押さえつけていた。

 

 祥子は、一度結婚し、それから離婚を経験し、何か私の手の届かない場所にいる人のように感じてしまった。

 ずっと一緒にいた親友だっていうのに、私のコンプレックスのようなものを刺激する彼女が、ひどく嫌な存在のように思えて仕方がなかった。

 お風呂に浸かりながら、ゆずの香りを浮かべた湯船の揺らぎを見つめる

 そこには、どうしようもない感情も、衝動も、苦しさも何一つないただ穏やかで安定している、静かな揺らぎがあるだけだった。

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