ただ一人でも仲間を子宮に沈めたい
森エルダット
第1話
終盤がなければよかった。子宮に沈めるって映画のレビューにそう書かれてた。私は真逆の感想だったから、千差万別だなーってなった。
子宮に沈めるは、端的に言えば育児放棄の話。視点人物は主に5歳?くらいのお姉ちゃん。舞台が最初から最後まで部屋で完結しているのとか、家の描写とか小道具がリアルで好きだったけど、正直それ以外が全部わざとらしすぎて、対比もメタファーもわかりやすすぎて、一行先がわかる小説を読んでる感じだった。演技も正直そこまで上手くないかな…ってなってた。終盤までは。
ラストシーンで視点人物のお姉ちゃんは母親に殺される。今まで逃げ続け、特段理由が明瞭に説明されるわけでもなくどこかをほっつき歩いて弟を餓死させた母親が、現実と対峙して、弟からウジを取り除き、姉を溺死させ、二人の死体をマフラーで巻いて仲良く座らせ、ふと静かになった食卓で、母親はオナニーを始める。自分の子宮の入口をいじりながら、出て行ったものたちの前で、涙を流す。そして達すると、静かになる。ただ、静かな食卓と、静かな子供と、静かな私が、座っている。母親はシャワーを浴びる。なぜなのか、説明できる気がして、できない。死体のにおいを落としたかったから、いやその後のシーンで死体をシートで包んでる、食卓から逃げたかったから、いやその後死体を包むのは食卓と同じ部屋だ。端的で明瞭な理由は、多分ない。だけどこの母親の、シャワーを浴びるっていう行為が、深く沁みるのはなんでなんだろう。なんで、そうなるよなって、理屈じゃなくて感覚で感じるんだろう。母親はまたオナニーをしている。シャワーを股間に当てている。また達すると、母親は、何かに見つかったとでもいうように、つめたく怯えた、しかし確かに鋭く見据えた目をぐるぐる回す。母親は前述の通り、シャワーから上がるとシートで子供の死体を包む。母親はそのあいだ、ずっと全裸だ。セックスの時と同じ格好で、その産物の肉塊を封じこめている。母親はさいごに空を見やる。空は青く、ただ青く、どこまでも続いている。私はこのシーンだけが、この映画の中で異常な輝きを放っていたと感じた。最後の母親の所作の全てが意味や技法を引きちぎって脈を打って生きていて、ほんとうに怖かった。
ただ一人でも仲間が欲しい、って漫画を思い出した。それは短編集の中の一話で、ヤバいやつを気取ってる子が内なる自我の解放!とかでアヴァンギャルドな絵を描いてたら、共感してくれる子がいて、仲間いたかも!ってなったらその子は人間ではなくて、アヴァンギャルドな絵に出てくるクリーチャーそのままで、それを内に秘めてたはずの女の子は、パニクりながらたすけてたすけて助けてってやばいやばいほんものだほんものだって逃げ出す。怪物の子はその子を探しながら、夜空にぽつり、ただ仲間が欲しいだけなのにって呟く。私は女優さんがこんな感じになったんじゃないかって思ってしまう。平べったい「ネグレクトのやべーヒス母親」がずっと画面に映ってたのに、いつのまにか終盤でほんものが顔を出して、それが指を動かすだけで私は、たすけてたすけてほんものだほんものだ、ってなって心臓が痺れた。私はそんな感じで最後だけめっちゃ面白かった。
ただ一人でも仲間を子宮に沈めたい 森エルダット @short_tongue
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