卓越した剣術は魔法より優れるのか
おいしい塩
卓越した剣術は魔法より優れるのか
東方海岸線 港町ダリナス
噂話は鎖のように絡みつく
海鳥の甲高い鳴き声と、潮の匂いが漂う港街。朽ちた木造の建物が並ぶ狭い通りには、魚を運ぶ労働者や、遠くの地からやってきた旅人が行き交っていた。
その中心にある古びた食堂「潮騒亭」では、今日も厨房から聞こえる包丁の音や、客達の賑やかな声が飛び交っている。
木製の床は潮で濡れ、客のブーツから滴る水が足跡となっていた。天井から吊るされたランプの光が、煙草の煙と湯気で霞んでいる。
「おい、あの話を聞いたか?」
奥の隅、煤けたテーブルを囲む三人の男たちが、小声で話をしていた。その中の一人、既に顔を赤くした船乗りが手元のビールジョッキを振りながら、小さく呟いた。
「あのって……なんの話だ?」
向かいに座る漁師が怪訝そうに問い返す。船乗りは満足げに頷くと、周囲を警戒するように目を走らせた。
「帝国の世界樹が、枯れ始めてるって話だよ」
その言葉に、隣に座る若い漁師が目を見開く。
「世界樹って……あの伝説の大樹のことか?」
「あぁ。馬鹿げた話かもしれないが、確かに聞いたんだ。言い伝えでは、世界樹の枝葉からこの世界に魔力を供給してるって話だろ?」
船乗りは声を潜める。
「ただでさえ、最近は優秀な魔法使いが少なくなった。それに加えて、世界樹が枯れたらどうなる?当然、今満ちている魔力もどんどん減る」
「魔力が減る……」
船乗りはテーブルに身を寄せて声をさらに低くした
「こんな噂が周辺国に漏れてみろ……帝国が最強なんて呼ばれる時代は終りかもな。今、帝都じゃこの話を口にするだけでもヤバいらしいぜ」
話を聞いていた漁師は、一瞬黙り込み唾を飲み込んだ。その目は不安と好奇心に揺れている。
「それで、枯れちまう原因ってのは……なんなんだ?」
若い漁師が不安そうに問いかける。船乗りは眉をしかめ、低い声で言った。
「それが、禁忌とされていた魔法の実験だとよ。それをやったのが、黒髪の魔法使い。そう、黒い魔女だって話だ」
「黒い魔女……?」
若い漁師は怪訝な顔をする。船乗りの話を完全に信じきっている彼に、一緒に話を聞いていた別の漁師は煙草をくゆらせながら呟いた。
「おいおい、そんな魔女の怪談なんて、子どもを寝かしつける時の話だろう」
「いーや、本当だ。帝国は黒魔女を捕らえようと躍起になってる。で、その黒魔女が実はこの辺りに潜んでるって話だ」
「嘘だろ、そんな奴が近くにいるかもしれないのか?」
若い漁師はさらに不安そうな表情になる。
「ははっ、まぁただの噂話だ。こんな話、もし事実なら本当に……」
彼が言葉を続けようとしたその時、ギィッと錆びついた扉の軋む音が、食堂中に響いた。
話に夢中だった三人ははっとして顔を上げる。吹き込む潮風と共に、食堂に二人の人物が現れた。
不機嫌そうな初老の男と、軽薄そうな笑みを浮かべた若い男だ。
初老の男は堂々とした態度で店内に踏み入り、深い皺の刻まれた顔をしかめていた。その胸元には銀の装飾が輝き、彼の地位の高さを物語っている。
冷ややかな眼差しを放つその姿に、周囲の人々は誰もが一歩引き、遠巻きに彼らを眺めていた。
「はあっ。まったく、どこもかしこも磯臭くて息が詰まりそうだ……」
店内に響いた男の声には、まるで空間そのものを拒絶するような嫌悪感が込められていた。
若い男が肩をすくめ、そう言った彼の方に顔を向ける。
「まぁまぁガルドリスさん、そう言わずに。ここらじゃ、これが当たり前っスから」
しかし、初老の男——ガルドリスと呼ばれたその男は、若い男の軽口を無視して続けた。
「まったく……まるで、使い古された魚網の中に居るようだ。こんな場所で暮らして、君たちは本当に満足しているのかね?」
その言葉に、近くに居合わせた若い漁師が怒りに任せて立ち上がりかけたが、隣に座っていた仲間が肩を押さえ、彼を座らせた。
ガルドリスの胸に輝いている、銀色の装飾が示す立場を知っている者は、誰も反論することはできなかった。
「すんませんね、皆さん。この人、帝国の温室育ちなんで、気にしないでやってくださいっス!」
「余計な話をするな、リックス。」
そう言いながら、慌てて軽く手を挙げる若い男——リックスを軽く一瞥し、彼は持っていた笏杖を床に叩く。その音がまるで静寂を切り裂くように店内に響いた。
「まったく、こんな辺境、用がなければすぐにでも去るところだが……まぁ、私には少しばかり情報が必要でね」
その言葉が発せられた瞬間、店内の空気はさらに張り詰める。彼が探している「情報」が何を意味するのか、客の誰もが考えを巡らせる。
ただ、さっきまで噂話に夢中だった船乗りは、震える声で呟いた。
「嘘だろ……本当に……」
船乗りは人知れず声を震わせる。
静寂の中、小さく漏れたその声は、波止場から聞こえる潮騒に紛れて消えていった。
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