88.デルタスケール・ソフトウェア
……少し時を遡り、セナがレギオンを進化させた頃。
「――くふ、ふふ、あははははっ! 上々、歓喜、驚喜っ! まさか、これほど早く到達するとは思いませんでしたよ……!」
管理者限定アナウンスが流れたことで、デルタは仮想空間内に用意した自室に移動していた。
ここは彼女の仕事場であり、そして……彼女の本体を格納している場所でもある。
「嗚呼……私は歓喜している。細胞が、権能が、存在が、喜びに震えています……!」
片手で顔を覆いながらも、デルタは歓喜の笑みを隠そうとしていない。その様子は狂っているようで、端から見れば狂人にしか見えないだろう。
「賞賛……レギオンよ、よくぞ到達しましたね。私はその奇跡を讃えましょう、言祝ぎましょう!」
バックアップとして保存されたデータは、単なる情報の塊とは言い難いほど洗練されていた。複雑極まりない緻密で精密な魂、数列に変換することの出来ない確かな異常。
彼女が手ずから設計し、調整を施したうえで、彼女の手から離れて自己進化を遂げたイレギュラーな存在。
デルタはこのイレギュラーな存在を待ち望んでいたのだ。
「嗚呼しかし……予想より半年も早いのは、些か以上に急ですね。プレイヤーの信仰もさほど高まっていないというのに……」
彼女らの目的からすれば、最優先するべき事項は信仰の確立である。
戯れで創った生命体の進化程度、本来なら些事として片付けるべき案件だ。しかし、今回の進化には無視できない要素が絡んでいるのだ。
「活性化した神格が独自に動き始めているのは予定通り……進化に介入するのも不都合はありません。ですが、秩序より先に混沌の神が活性化するとは……」
今回の進化に介入した神格――エイアエオンリーカが他の神に先駆けて活性化しているのを確認したデルタは、思案するように触手を蠢かした。
プレイヤーの殆どは秩序陣営の神を信仰し、混沌陣営の人口はさほど多くない。だから、神格が確立されるのは秩序陣営が先だと予測していたのだ。
デルタは熟考という深い海に潜る。
ゲームとして発表し運営している以上、素人目にも分かる異常事態は避けなければならない。
バグの存在など以ての外である。
幸い、レギオンをテイムしたプレイヤーは外部に情報を伝えることが出来ない状態にあった。
人間関係が上手く構築できていないのもいいことだ。軽く探査してみたところ、現実世界の人間と言葉を交わしたのはここ数ヶ月で数える程度。
そう、問題は無い。デルタたちの計画に支障は無い。
活性化した神格もこちらに刃向かうような性格をしていないので、しばらくは経過観察だけで大丈夫だろう。
「………………ふむ、問題はありませんね。ええ、急ではありましたが、予定を前倒しにするほどのことではありません」
「えー? ほんとにぃ?」
ほんの数秒の熟考から目覚め、デルタは計画の変更は必要ないと判断する。が、そこに茶々を入れる者がいた。
「……茫然、一体何のようですか」
「用事が無かったら来ちゃダメってルールないしー? ……っていう冗談は置いておいて、あのアナウンスは本当かい?」
道化……シータも管理者限定アナウンスを聞いたのでこちらに来たのだ。
「疑問、イベントはどうしたのですか?」
「私を誰だと思っているんだい? 意識を分割し、アバターという人形を操ることなど造作もない」
「……嗚呼、そうでしたね」
この何度殺しても殺せない女は、自己というものを分割できる。自身の人格を作り替えるような所業をしてもアイデンティティが崩壊しない奴が、たかが一体の分体を操作することになんの問題が生じるだろうか。
デルタは思う。この女は性根が腐っているからこそ真面でいられるのだと。
「で、その魂が発生したという個体はどれだい?」
「……提示、このモンスターです。私がデザインしたユニークモンスターを捕食したのが、進化するきっかけとなったのでしょう」
「ふーん……。親として感慨深かったりするのかい?」
「訂正、それは正しい表現ではありません。私は創造者であり、設計者であり、進化を促す者。あれらはただの被造物です。……魂を持ったことに喜びはしますが」
シータは思う。この女は身も心も怪物だからこそ、人間以上に人を理解してしまうと。
「――へぇ、もう活性化したんだ」
画面を眺めていると、エイアエオンリーカの存在に気付くシータ。
その神格が活性化しているのは、シータにとっても珍しいことであった。
「予想だと半年は先だっただろう? いつ引き上げるんだい?」
「確定、エンディングに到達してからです。神格を顕現させるにはまだ信仰が足りないでしょう」
「……それもそうか。では、私はあちらに戻るとしよう。ついでに、邪魔なハッカーも潰しておくよ」
シータの姿が消えると同時に、『フェイス・ゴッド・オンライン』のサーバーに掛かっていた負荷が軽減する。
実は、異常なほどバグが発生しないということで、海外の企業が雇ったハッカーに攻撃されていたのだ。
無論、簡単に突破できるほど甘いセキュリティーではないし、そもそもクラッキングでシータを出し抜ける存在はいない。
「……再開、私は観察を続けましょう。こちらに引き上げられるほど強固な存在になることを祈って」
そうして画面を眺めるデルタの瞳は……白と黒が反転していた。さながら、夜空にうかぶ満月のようである。
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