第31話 紙岸潤香 3

 その日、潤香うるかは非番だった。逆葬儀はしない。たとえ過死者かししゃが目の前に現れたとしてもアプリで連絡するだけで、仕事は別の人間に振ってもらう。

 そう言う日は、大概図書室に長く居座り、本を読み耽る。潤香うるかの日課だった。しかしその日は読み耽ることができない。先日の自身の先走りを後悔していた。

 本から顔を上げて、ぼうっと運動場で部活動に励んでいる生徒を見るともなしに見た。


 楼義ろうぎの気持ちもわかる。付き合いは、他の同級生に比べたら濃いはずだ。だから、過死者かししゃに対して必要以上に感情移入をしてしまうことは理解していた。対象者が死んだはずの妹に似ているのであればなおのこと。だがしかしだからこそ言いようのない焦燥に駆られる。死点戻してんもどしのあと妹と同様に死ねば、楼義ろうぎはどうなってしまうのか。彼は彼自身をよく理解出来ていないのでは、と思っていた。もしも自己理解の深い人間ならば、もっとセルフコントロールが上手いはずで、カッとなって葬儀屋に向かって行ったりもしないはずだ。彼が抱えたトラウマを思えば当然の怒りとは言っても、あとさきを省みなさ過ぎる。


 逆に、もしも兎佳子うかこ死点戻してんもどしのあと生き直したとしたら。

 きっと楼義ろうぎは彼女のことを愛するだろう。兎佳子うかこは可愛い。外見だけじゃあない。性格も。今は過死者かししゃだから無邪気という可能性もあるにはあるにしても。

 もしかしたら少し思慮深くなるかも知れない。彼女は、潤香うるかがドアをノックしたら簡単に開けてしまった。そして自分が逆葬儀屋だから死点戻してんもどしをしたいと告げたら、簡単について来てしまった。あの無邪気さが過死者かししゃ由来のものであるのならば、軽率な行為はなくなるだろう。


(思慮深い兎佳子うかこちゃん……最強可愛いじゃない。もう……)


 潤香うるかは劣等感に塗れていた。

 楼義ろうぎのやや釣り目の大きな瞳を想像する。あの瞳のわかり易いこと。彼が潤香うるかを見るときの目と兎佳子うかこを見るときの目は違った。潤香うるかに対しては友情の、兎佳子うかこに対しては愛情の色が濃く出ている。そのことをおそらく本人は気付いていない。


「どうしたの? 紙岸かみぎしさん」

美土利みどり先生」


 美土利みどり潤香うるかの隣に座り、頬杖をついて顔を見上げてきた。赤茶色の長い髪の毛がサラサラと零れて行く。美土利みどりはそれを耳に掛けた。


「なにか、物凄く悩んでいるように思えたけれど」

「あー、えっと」

「先生には隠しても無駄だぞ?」


 キメの細かい指先で、おでこをちょんとつつかれた。

 潤香うるかはたまにこの教師に相談をすることがあった。相談、とは言っても話の流れでなんとなく愚痴を言うようなもので、大それた相談事はしたことがなかった。

 頭の中で、一般人にしても良い話の取捨選択をしていく。こういうとき、潤香うるかは器用で賢い。


楼義ろうぎくんはきっと、全部溜め込んじゃうんだろうな)


 などと頭の片隅で考えながら話を整理していく。


「あの、美土利みどり先生は過死者かししゃって知っていますか?」

「ええ。もちろん」

「実際に見たことは?」


 美土利みどりは人差し指を、細く綺麗な縁取りがされた顎に当てて、考えるように上を見上げた。


「……さあ? 見分けの付け方がわからないし、いつの間にか見ちゃっていたかも知れないわねえ。それがどうしたの?」

「わたしの友達の親戚の子が、多分過死者かししゃなんですけど、その友達が逆葬儀屋センターに連絡しないんですよ」

「あら、それは困ったわねえ。過死者かししゃって、なにをするかわからないんでしょう? 確か、意識が曖昧になって、暴力を振るったりするって聞いたことあるわ」


 一般的な過死者かししゃのイメージはこれだ。世の中には、いつだって悪いイメージの方が先行して伝わって行くし、一度普及したイメージは覆し難い。しかし今ここでそれをわざわざ否定する必要はない。潤香うるかとて、それが嫌で兎佳子うかこの逆葬儀に踏み切ったのだから。それに——


「わたし、お母さんが過死者かししゃになったことがあるんです」


 その告白に、美土利みどりは口元に手を当てて目を開いた。丸眼鏡の奥の瞳孔は小さく震えていた。


「大変だったわねえ。その、お母様は……?」

「生き直しましたよ」


 その言葉に美土利みどりは胸を撫でおろした。


「そう。良かったわねえ」

「でも——」


 と、言いかけて、言葉を詰まらせ、唇を噛んだ。美土利みどり潤香うるかの言葉を静かに待っていた。


過死者かししゃのときに、人を傷付けてしまいました。子供です。わたしのお母さんはやさしい人です。絶対に人に暴力を振るうことはないですし、声を荒げているところだって見たことはありません。だけど過死者かししゃになって、スーパーで走り回っている子供を殴りつけて怪我をさせてしまいました」

「あらら。それは大変ね。その子は大丈夫だったのかしら?」

「殴ったときに気を失いましたが、幸い後遺症もなく外傷もなかったので、検査入院しただけでことなきを得ました。でも、そんなことになるまでわたしもお父さんも、お母さんの異常に気付けなかったんです。家庭では普通で、まったく正常に見えましたから」


 潤香うるかは当時9歳だった。母のガラス玉が地面に接していることに違和感は覚えていたが、逆葬儀屋のことも過死者かししゃのことも知らなかったため、それがいったいどんな状況なのかまでは考えが至らなかったのだ。


「でもそれは言い訳で、家族なら、やっぱり気付いてあげるべきでした」

「そんな……」


 美土利みどりは眉をハの字に曲げたが、それ以上は話さなかった。


過死者かししゃになった原因はただの事故だったので、逆葬儀をしてもらったら、さっきも言った通り、お母さんは生き直してくれました。でも、異常行動をした記憶は忘れていなくて、それがお母さんを苦しめました」


 潤香うるかは俯いて、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。


「それに事件があった当日に近くに居た周りの人も、お母さんを責めました。過死者かししゃだからなにをしてもいいと思っているのか、と言うのが一番言われたことです」


 美土利みどりは黙って頷いている。


「お母さんはなにをしてもいいと思ってなにかをしたわけじゃあないんです。過死者かししゃになった人は、自分でコントロールできない。でも、それを言ったところで全部言い訳になってしまいます。時々ニュースで殺人事件の裁判とかで心神喪失がどうのこうのって言われていて、心神喪失だったからって人を殺していい訳がないって言う世論があるじゃないですか。あれに関してはわたしもその通りだと思います。だから、あれと同じだという雰囲気で迫られたら押し返すことなんてできません。過死者かししゃは厳密には病人じゃあない、人の倫理から外れた人ならざる人なんだって言いたいですけど」


 潤香うるかは顔を上げて美土利みどりと視線を合わせたあと、逸らした。


「それからお母さんはうつ病になって、お父さんは看病のために減給覚悟で部署異動をさせてもらいました。わたしは通っている塾を辞めて家事手伝いをしました。それから高校のランクを下げました」

「下げてここなの?」

「はい。本当は進学校に行きたくて。国公立大学が狙えるところを。お母さんはなにも悪くはありません。だからお母さんを恨むことはありません。でも後悔はあります。もしももっと早くに気付いていれば、子供に怪我をさせることも、お母さんがうつ病になることも、お父さんが部署異動することも、わたしが夢を諦めることもありませんでしたから」

「だから、袋木ふくろぎくんには早く親戚の子のことを報告してほしいわけね」

「はい」


 首肯してから、潤香うるかは違和感を覚えた。


「あれ? わたし、楼義ろうぎくんの名前出しましたっけ?」


 キョトンとする潤香うるかを見て、美土利みどりは口元に手の甲を当ててうふふと笑った。


「あなたが本気で悩んでいるときって、彼のことを考えているときじゃあない?」

「え? えぇー!?」


 潤香うるかは耳が熱くなるのを感じた。


「いやー、先生としては袋木ふくろぎくんより芦和良あしわらくんをお薦めしたいんだけど。カッコイイし、やさしそうだし、あなたのことも大切にしてくれるわよ、きっと」

「せ、先生! 勝手にやめてください!」

「はいはい、ごめんなさいね。まあ好みの問題ですものね」

「そうじゃなくて!」

「それで、さっきのことをそのまま彼に言わないのは、なぜ?」


 潤香うるかは視線を落とし、肩の上で跳ねる毛先を弄び始めた。

 美土利みどりはくるくる回る毛先を見つめる。


「そっか。嫌われたくないんだ」


 図星だった。散々潤香うるかは言ってきた。楼義ろうぎに無事でいて欲しい。兎佳子うかこを助けたい。そう言う気持ちがあったから再三注意してきたが、そろそろ楼義ろうぎの耳にもタコが出来る頃だろう。この時点で嫌われていない保障はない。けれども、どれだけ言っても聞く耳持たないのならば、もうこれ以上嫌われるようなことはしたくない。もう一度彼に言えない理由は、それに尽きた。

 潤香うるかにも過死者かししゃ絡みでのトラウマはある。だがそれは楼義ろうぎも同じだ。さらに言えば、潤香うるかの母親は死んでいないが、楼義ろうぎの妹は死んでいる。この隔たりは大きい。どちらが不幸だとか、そういう比べ方をするのは良くないとわかってはいるが、どうしても比べてしまう。


「それで、悩んでいたのねえ……あ、ごめんなさい、ちょっと着信」


 美土利みどりは一言置いて、その場を離れた。図書室を出て行く。

 しばらく呆けていた。昔美土利みどりに愚痴を言ったことを思い返した。考えてみれば、名前を伏せていたものの、そのほとんどが楼義ろうぎのことだった。おそらく美土利みどりは、同じ生徒のことを言っているというのを勘付いていたのだろう。読書部に人を入れて欲しいと頼んできたのも美土利みどりだった。彼女は潤香うるかの話の中に登場する人物に会ってみたかったのかも知れない。そのとき楼義ろうぎ理人りじんも紹介したが、どちらかがいつも潤香うるかの話に上がる生徒であると当たりを付けたのだ。もしかしたら先のやり取りも、山を張っただけなのかも知れない。


「そうだ」


 いつの間にか電話を終えた美土利みどりが、ポンッと手を叩いた。


「私がセンターに言いましょうか」

「それは良くないですよ」

「あら? 知ったからには報告する義務があるんじゃなかった?」

「公式サイトにはそう書いてありますけど、国民の義務とまではいきませんよ。言わなかったからと言って法的な措置が取られるわけでも罰則があるわけでもないですから」

「いい方法だと思ったのに」


 美土利みどりはがっかりした様子でため息を吐いた。


「お気持ちだけ頂いておきます」


 そう言いながらも、本当に最悪の事態に陥ったら美土利みどりを頼るという方法もあるのだと思い、少しではあるが気持ちが楽になるのを感じたのだった。

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